【KAC20254】ひたぐろの夜

佐斗ナサト

ひたぐろの夜

 あの夢を見たのは、これで九回目だった。姫君が暗い部屋でひとり、声を殺して泣いておられる夢だ。

 いつだったか、密かにご様子を伺いに行ったとき、天井裏から目にしたお姿そのままだった。

 誰かが夢に出るのは、その人がこちらを思っているときだという。なれば姫は、どれほど我が身を乞うておられるのか。


 姫君の護衛として常に傍らにあった歳月も、彼女の輿入こしいれを境に縁が絶えた今も、私は変わらず忍びである。

 忍びは主に仕えるもの。命令に従うもの。命じられたことに反さぬ範囲にのみ自由があり、背けば死が待っている。

 この乱世、役目があるのは善いことだ。そう納得して生きてきた。納得できるお役目であれば重畳ちょうじょう、そうでなくても呑み込んで引き受けてきた。


 だが、彼女の涙が少しずつ穴を穿うがつ。夢に見るたび息が詰まる。

 ――私はあやまったのではないか。取返しのつかぬ失態を犯したのではないか。

 絶えぬ囁きを耳の奥に聴きながら、仮眠の床より身を起こした。


「……小頭こがしら


 私が姿を現すと、部下たちが一斉に背筋を伸ばした。彼らのおもてには決まりの悪そうな色が浮かんでいる。必死に隠していたが、私に読み取れぬものではなかった。


「どうした。誰ぞ失敗でもしたか」

「いえ……」

「隠し事があるのだろう」


 部下たちは視線を交わしあう。やがて一人が片膝をついた。


「実は、輿入れなされた姫君についての情報が」

「……何?」

「城主との初子ういごが流れ、姫君もせっておられるそうです。おいたわしや」


 ――心の臓が一瞬、止まったような気がした。

 表情には出さずにすんだはずだ。だが、胸を突かれたような感覚は後を引いた。


小頭こがしらは長らく直々に姫を護衛しておられましたから……果たしてお伝えしてよいものかと」


 目を伏せる部下に、声を抑えて返答した。


「情報は情報だ。すべて伝えよ。些細なことが均衡を崩さぬとも限らん」

「……はっ」


 部下が深く頭を下げる。

 胸にあいた見えぬ穴を指でたどれるような、妙な心持ちだった。


 ひと月の後。私は再び、姫が嫁がれた城の付近で役目を仰せつかった。今度ばかりは出来心でなく、決意をもって姫のおられる部屋の屋根裏へ忍んだ。姫のご無事を――否、情報が正しければもはや「無事」ではないのだが――確かめなければ、ひたすらに黒いばかりの懸念と罪悪の底に沈んでいきそうだった。

 小さな隙間から覗くと、天井板がわずかに軋む。暗い部屋の中で、かすかな声が上がった。


「……影」


 消え入りそうな、細い声。命が滴り消えてゆくような、弱い声。 


「影……?」


 我が姫君。昼の陽射し、夜の灯り。そのお方が死の淵にある。

 こたえずにいることは、できなかった。


「――ここに」


 戻れぬ線を踏み越えた私に、彼女の声は震える。


「影……よかった」


 言葉に苦しげな喘鳴が交じる。

 けれど、なぜだろう。彼女が微笑んでいるように思われてならぬのは。


「あなたがいれば、もう……なにも怖くありません」


 ――拳を握りしめた。手のひらに爪が立つほどに。


「姫。わたくしめにご命令を」


 絞り出された愚か者の声に、彼女の願いは簡明で。


「……くにへ、帰して」


 姫には見えぬと知りながら、深々と頭を下げた。


「御意」


 これを叶えて、私は死ぬ。

 仕える者の本望である。

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