The Garden of Panta Rhei

凪々卯

The Garden of Panta Rhei

 今日は卒業式。高校三年間の最後の日。

 雪がちらつくこともなく、桜が舞い散ることもなく、平凡な快晴が学徒の門出を見守っていた。

 式は特に何事もなく挙行された。終わってしまえば感慨も薄く、一抹の呆気なさが残る。

 しかし、その捉え方こそ正しいのかもしれない。なにせ、本番はむしろここからだろうから。

 最後の交流をひとしきり楽しむのだ。その熱狂とも呼べるものを、自分自身も楽しんで、あるところで輪から抜ける。

 抜けたところで当てはないが、何かに誘われるように俺——木々野きぎの あゆむは校舎の裏に足を運んだ。

 

「————」

 

 喧騒を離れて校舎の角を曲がった瞬間、俺は息を詰めた。

 それはまさしく驚きの発露ではあったのだけれど、内情までも書き表すことはできない。

 そこには女がいた。


 錆びれ、半分ぐらい破砕したベンチに腰掛けて頬杖をついていた。彼女はこちらに気づくと一瞬目を合わせて、すぐに視線を戻した。

 そこに俺は小走りで近づいていく。

 そして側に着くと、彼女は天を仰いで口を開いた。

 

「君には見える? この壮大なキャンバスが」

 

 変な人だ。と、初めにそんな感想が湧き上がる。

 彼女は流々亜るるあ れい

 高校生活の中では、ついぞ最後の一年しか同じクラスにならなかった。

 

「何それ?」

 

 意味のわからない問いかけに眉を顰めて、俺は薄汚れたベンチの端に腰掛ける。

 案の定、ギシリと音が立った。

 

「いや、適当に言ってみただけ。空が綺麗だったから」

 

「適当すぎだろ」

 

「……木々野君なら、何か面白い答え返ってくるかなって思ったんだけど」

 

「流石に無理っす」

 

「そっか」

 

 そして彼女はまた頬杖をつき、雑草の生い茂るカラカラの地面を眺めた。

 

「高校生活、終わっちゃったね」

 

「そりゃあ終わるよ」

 

 意味もなく足で地面を擦りながら、俺は薄い返事を返す。

 

「三年間って長いよね。でも、思い出の中の三年間は本当に一瞬。だから、変化したって大きな結果だけが手元に残って変な気分になる」

 

「それ分かる。今の自分に対するあるべき過程が、端折られてる感はある」

 

 自然とそうなったという説明が、むしろ不自然を掻き立てるのだ。

 かといって、それを自覚して変化を遡行することはできない。

 

「卒業式で泣けないのはそれが理由なのかもね。思い出を摘み上げてるせいで、重みが……感動に対する裏打ちがないみたいな。卒業もきっと、摘み上げた思い出の一つ。だから、泣いてる人なんて本当に数人だったよね」

 

「あー、まあ、その側面もあるかもしれないけど……」

 

 高尚な意見に水を差すように俺は首を撫でる。

 

「単純にインスタとかで繋がってるから、あんまり別れみたいな意識が少ないんじゃない?」

 

「……たしかに」

 

「学校生活を惜しむってアングルを持ってる人に適用するなら、流々亜のも結構芯食ってるとは思うけども」

 

 三年間の重みを感じれなくとも、高校生活が終わったことは実感ではなく事実としてあるのだ。

 ただそれはそれとして、という話である。

 

「今はインスタ見たら、大体何やってるか分かるし。DMなら連絡のハードルも下がる。……こっちの感覚は俺もよく分からんけど」

 

 連絡なんてどこからしようが一緒だろと思ってしまう。なんか媒体によって微妙に感覚が違うらしい。

 

「全部一緒なのにね」

 

「ほんとそう」

 

 共感を得て俺は少し声量を上げて相槌を打つ。

 

「そういやインスタやってないよな」

 

「やってない」

 

「何か理由とかあんの?」

 

「まー、単純に機会を逃したってのが一つ。それで、やらない系の人ってキャラが付いちゃったから、始めるにも始められなくなった感じかな」

 

 別に始めたからといってとやかく言われることはないだろうし、キャラクター性を頑として守る必要もない。

 高校生の間なら基本的になんでも、『意外な一面』なんて言われてすぐに受け入れられる。

 それでも、人は演じることをやめられない。

 

「後悔はちょっとだけあるよ。でも、まあ、いいかな」

 

「どっちなんだよ」

 

 腕を伸ばしてあっけらかんとする彼女に俺は苦笑する。

 

「最初は、なんかむやみやたらにコミュニティを増やしたくなくてやらなかったんだよね」

 

「考えすぎだろ」

 

「そ、考えすぎなの。さっきのキャラの話もそう。なーんか色々と考えすぎちゃうんだよね」

 

 それは確かに美徳になり得るが、人として正しい割り切り方というのも生きていく上では必要だろう。

 だけど、

 

「それはお前がどうするかって話だから」

 

「すごい正論だなぁ」

 

 彼女は頬杖を付き、こちらを向いて嬉しげに苦笑する。

 

「大学じゃどうしましょ」

 

「好きにしたら」

 

「さっきから無責任パンチ多くない?」

 

「無責任は認めるけど、殴ってはねぇよ」

 

「本当かなぁ」

 

 この二人の関係で一方的に責任を持ち始めたら、それはそれで悍ましいことではある。

 

「で、どうすんの。てか、どこ行くんよ」

 

「芸大」

 

「もしかしてさっきの伏線? キャンバスがどうとかって」

 

「んーん、それは全然なんも考えてなかった」

 

 なんだか勝手に美術系と断定してしまってたけど、さっきの会話にあまり引っかからないところを見るとたぶん合ってそうだ。無論、間違っていたところで一切の支障もきたさないが。

 

「————」

 

 寒風が二人を順に体当たりしていき、同時に沈黙を残していく。

 横を見ると目が合って、俺は咄嗟に口を開いた。

 

「あんまそうやって頰杖付きすぎないほうがいいらしいぞ」

 

 控えめに腕を持ち上げて、彼女の顔を支える手を指差した。

 

「俺の友達、それしすぎでなんか骨か歯かめり込んで、歯医者行ったらしい」

 

「あははっ、馬鹿すぎでしょ」

 

 彼女は大笑いして、しかし、頬杖をやめて背筋を伸ばした。

 美しい所作に、彼女が小学生の頃に新体操をやっていたことを思い出す。

 

「でも、やめたほうがいい癖みたいなのって結構あるよね」

 

「足組んでたら骨盤歪むとか」

 

「なんでさっきから、骨に対して一家言あるの」

 

 彼女は笑いながら、自身の右手を前に出した。

 

「私、寝てる間に腕を上げちゃう癖があってさ。それでたぶん血液が巡らなくなるからだと思うんだけど、朝起きたら感覚ないみたいなことよくあるんだよね」

 

「それちゃんと危なくない?」

 

「たぶん結構ヤバいと思う」

 

 感覚にまで作用してるとなると、神経系までいってるので非常に危ない気がする。

 

「感覚ない腕ってすごいんだよ。ぶよぶよしたものが垂れ下がってる感じ。動かせなくはないんだけど、持ち上げてもストンみたいな。奇怪すぎてもう笑うしかなくなっちゃうの」

 

「えぇ……」

 

 奇怪なのはお前だよ。とは流石に言わなかったが、正直かなり引いた。あとちょっと心配もある。

 

「腕、大事にしろよ。進路的にも」

 

「あははっ、どこに行こうと腕は大事にするよ」

 

「そりゃそうか」

 

 当たり前のことだと普通に頷く。


「————」

 

 二度目の沈黙が——今度は風のせいにもできない沈黙が場に満ちる。

 そもそもが話したかっただけで、話したいことがあったわけではないので、必然的に長くは続かない。

 きっと終わってから初めて、話題は沸々と上ってくるのだろう。たぶん、お互いに。

 

「ねえ、その卒業証書になんか書いていい?」

 

 無意識に荷物に手を触れると、それに気づいた彼女が提案してくる。

 

「そういうのって普通、卒アルとかにするんじゃないの? ……別にいいけど」

 

 卒業証書は筒形のものではなく、布地のそれこそキャンバスのような肌触りのファイルだった。色はくすんだ薔薇のような赤で、大して見栄えもないので落書きの一つでもあればいいかもしれない。

 そう思って俺は素直に手渡した。

 彼女は膝をイーゼルのように立てて、その間に裏返した卒業証書を挟み、マジックをポッケから取り出した。

 

「なんか希望とかある?」

 

「特には。好きに書いて」

 

「りょーかい」

 

 さっさっさと彼女は迷いなくペンを走らせる。時折、考えるような仕草も交えながら、十分ほど描いていた。

 描き終えると彼女は満足したように頷いて、卒業証書を俺に返却する。

 描かれていたのは——、

 

「エンジェル」

 

 種明かしをするように彼女は描いたものを発表する。

 大翼を生やし、トーガを纏ったエンジェル。特徴的なのは、その首から上が存在していないこと。宗教上の配慮でなければ、これが彼女の美的センスということになるのだろう。

 そこに込められた意図を理解するのに、今の一瞬じゃあまりにも短すぎる。

 

「ありがと」

 

 俺はお礼を告げ、絵を一撫でしてからベンチに置いた。

 一生残るものを、この瞬間に必死こいて紐解く必要はない。いつか思い出した時に、好きなように思惟すればいいのだ。

 

「じゃあ、そろそろ帰ろっか」

 

 彼女は何気なく切り出して立ち上がった。そろそろ終わりどきだと俺も思っていたのでちょうどいい。

 

「あ、ちょっと待って」

 

 同じように立ち上がって、彼女を呼び止める。

 疑問符を浮かべる彼女を横目に、俺はポケットを弄って小袋を取り出した。


「それ、先生から貰ったやつ?」

 

「うん。蒔いて帰るわ」

 

「うわ、悪い子だ」

 

 小袋に入っているのは、卒業祝いに先生が私的に贈ってくれた花の種だ。それを躊躇なく、目の前の褪せた地面にばら撒いた。

 

「先生、どんな花が咲くか確かめてほしいって言ってたのに」

 

「咲いた頃に見にくればいいんじゃない? ここって一応、外からも見えるし」

 

「それは妙案。じゃあ私も蒔こっと」

 

 彼女も小袋を取り出し、俺の蒔いたところに重なるように袋を振った。

 しかし、雑草の合間に、粒は互い違いになるようまばらに乗った。

 

「咲いたら見にこよう」

 

「咲いたらな」

 

 この痩せこけた地面に花は咲かない。——だから、俺たちはもう二度と会うことはない。

 それでも、そんな約束をしてしまうのは、何故だろうか。

 

「ほら行こ。もう完全下校時間過ぎちゃってる」

 

「マジか。時間厳守が俺の高校三年間のポリシーだったのにな」

 

「破っちゃったね」

 

 どうしてか彼女は嬉しそうに笑う。

 

「バレたらちゃんと怒られるな。たぶん」

 

「うーん……ダッシュ!」

 

 見つかったときはその時だと笑い飛ばすように、彼女は俺を急かす。

 その背中について行き、俺はふと足を止めて、また小走りでついて行く。

 

「————」

 

 きっと同じじゃない。同じなことなんて、きっと一つもない。

 呼び方が変わったとか、笑い方が変わったとか、会話の話題が変わったとか、そんな変化は小さいもので、しかし、当人たちにとって大きなものであったとしても、いちいち取り沙汰さない。

 全ては変化していく。それは避けられない。

 

「どっち行く?」

 

 俺は尋ねてみる。

 

「せーので指差そうよ」

 

「オッケー」

 

 二人で顔を合わせて、息を合わせた。

 

「右」「左」

 

「はー、なんも分かってねぇなぁ」「はー、なんも分かってないじゃん」

 

 二人の声がユニゾンして、ふっと吹き出してしまう。

 おかしくて、笑ってしまうのだ。

 それもいつかは時間と共に流される。だけど、まだちょっとだけ留まることが許されるのなら、足踏みをしていよう。

 大事なものを囲い、そして守るように。

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