コンビニのおにぎりを剥く

元気モリ子

コンビニのおにぎりを剥く

年々、コンビニのおにぎりを丁寧に剥くようになっている。


「剥く」という表現であっているのかは分からないが、一先ずあのフィルムの構造を考えた人は本当に凄い。

何かの賞を贈る必要がある。

あの技法を使えば、一瞬で人に洋服を着せることだって叶うのではないだろうか。

流石に言い過ぎたかもしれない。


「パリパリの海苔でおにぎりが食べたい!」と一度思ってしまったのなら、技術を駆使して意地でも叶える、この執念深さは日本人の良いところだ。


学生の頃は、「なんでも良いから早く食べたい!」という欲望が勝っていた。


①→②→③のような手順は一応踏むものの、それを凌駕する勢いでひん剥くものだから、過半数の海苔がフィルムの中に残る。

それでも食い意地は張っているので、指でほじくっては、海苔だけを無心でムシャムシャと食べる時間などが発生する。


フィルム開発者も、思春期の食欲までは計算外だったのだろう。



それが最近、それはそれは丁寧におにぎりを剥くようになった。

なにも「丁寧に剥いてやろう」と腹を括った訳でなく、ごく自然に、丁寧に剥くようになった。


どれだけ腹が減っていようが、①→②→③の手順をしっかりと守り、あの海苔の入った両サイドのフィルムをゆっくりと引き抜く。

まるで先の長〜い大根をひょ〜っと抜く時のように、最後まで目を離さない。


この丁寧さは、欲望を前にしても、それをコントロールするだけの余裕を身につけた証しだったりするのだろうか。

もしかすると、一昔前の恋愛本には「コンビニのおにぎりを丁寧に剥く男は、女性の扱いも丁寧だ」といった、お下劣無駄知識まで載っていたかもしれない。



もしこうした「余裕」がグラデーションだとすれば、コンビニのおにぎりを丁寧に剥くようになった私は、今どの辺りに居るのだろう。


おにぎりを無茶苦茶に剥いていた私は、すっかり丁寧さを身に付け、ならばこの先には何があるのか。

腹が減っている人に、自分も腹が減っていても、「どうぞ(にっこり)」とおにぎりを差し出せるようになるのか。

もっと言えば「丁寧に剥いてあげて差し出す」、これが人としてのゴールなのだろうか。

今の私には到底考えられない。

だっておにぎりは食べたいではないか!


生まれてこの方、「それいけ!アンパンマン」を観たことがない私は、おそらく自己犠牲の精神がまるでない。

(そもそも「それいけ!」とは、一体誰に何処へ向かわされているのだ)

自分のおにぎりを差し出せるような優しさは、今の私にはない。

せいぜい自分ももりもり食いながら、新しいおにぎりを握ってやることぐらいなものだ。

それならいくらでも握ってやる。



生活の中の些細な瞬間に、昨日とは違う自分に気が付くことがある。

それが良い方向に転んでいるのか、はたまた後退しているのかはその都度見極める必要があるが、少なくともおにぎりを丁寧に剥ける私はかなりイカしている。

イカした方向におにぎりを持って走り出している。


贈り物の包装紙を後生大事にとっておく人も、丁寧に畳んでからすぐに捨てる人も、これはどちらがどうと言いづらい。

しかし、自分好みのそれはある気がする。

それを選びとっていくしかない。


お昼に高菜おにぎりと納豆巻きを買った。

慣れた手つきで高菜おにぎりを剥き、ついには納豆巻きを寸分違わず巻き切った。


私は今この瞬間も、良い女へと近付いている。



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