選別とエラー

 昨晩の騒動が想像以上に精神的ダメージとなっていたらしく、ユーリは頭部に重くのしかかるような倦怠感を背負いながら出勤した。ロッカールームでは、既に数名の先輩が身支度をしており、その中にディルク班長の姿もあった。


「あ……ディルク班長、おはようございます」

「おう、おはよ……うん?」


 振り向きざまに挨拶を返しかけ、班長は手を止めてユーリの正面まで寄ってきた。そして軽く身を屈め、じっと顔を覗き込む。


「随分疲れた顔してるな。なにかあったのか?」

「ええと……はい」


 一瞬、業務外のことだから報告しなくてもいいのではと頭を過りかけた。だが家に押しかけてきたのは親戚や近隣住民など個人的な関係者ではなく、他班の整備士だ。彼が警察の世話になったことはそのうち伝わるだろう。それなら変に隠し立てせず、自分で報告したほうが幾分かマシだとユーリは考えた。


「昨日、家に帰ってすぐのことなんですけど……」


 班長が手振りでロッカーを指したので身支度をしながら、昨晩の出来事を話した。家にファブリツィオが押しかけてきたばかりか、時間も辺りも憚らず呼び鈴を連打、大声で何事か喚きながら玄関扉を叩くなどの奇行に及んだ。

 改めて言葉にしても理解に苦しむ事態だが、起きたことはこれが事実だ。

 いつの間にか、ロッカールームにはユーリと班長だけになっていた。


「そんなことがあったのか」


 支度を終えた班長が、再びユーリの傍まで来て頭に手を乗せた。ぽんぽんと優しく撫でる手つきで撫でられ、涙腺が緩む。

 ユーリはずっと、自分が妹を守っていくと思っていた。その決意に嘘はなかった。だがあの日、初めて恐怖で足が竦むという言葉を実体験として知ってしまった。人は本当に恐ろしい思いをしたとき、その場に固まって声も出ないのだと思い知った。

 相手は化物でもなければ、ヤクザの類いでもない。銃器や刃物を突きつけられてもいないし、武装した兵士に取り囲まれたわけでもない。

 ただ、家のことを聞きに来た人間が扉一枚隔てた先にいただけだ。ただそれだけのことが、本当に恐ろしかった。警察が到着したときの安堵は過去嘗て味わったことのないものだった。


「俺……あの人が連れて行かれたとき、思ったんです」


 恐怖で真っ白に染まっていた思考が、徐々に落ち着いてきたとき。ユーリは雪衣が眠る寝室を覗いた。一日の大半をベッドで過ごす妹。たった一人の家族。

 ソムニア上層部から『唯一の例外』として生存を命。


「なんであの人は良くて、雪衣はだめなんだろう、って……」


 班長はユーリを抱きしめ、背中を撫でた。

 押し殺すように泣くユーリの肩が震えているのを宥めるように、何度も。

 雪衣はあの人のように、他人に危害を加えたりしない。大声で喚いて周りに迷惑を振りまいたりしない。それなのに、何故。何故あの人は普通に生きることを許されて雪衣はだめなのか。考えても仕方ないことが頭を渦巻いて吐きそうになる。


「理不尽だよな。その『なんで』をちゃんとわかってるから、余計にな」

「っ……はい……」


 生前選別で弾かれるのは、先天性疾患と遺伝子疾患を所持している場合のみ。

 生まれてくる子供の性格までは選べない。どういう子に育つかなど育ててみないとわからない。躾や教育である程度親の望む子に育てられるとは言え、持って生まれた性質まではなかなか矯正することが出来ないものだ。

 其処まで考えて、ユーリは『なんで』の先に靄のような疑問を見た。エラー品は、まず検品で弾かれる。これが生前選別だ。しかし実際の製品も稀に検品の目を免れて世に出てしまうことがある。そうなったとき、間違いだった製品は何処へ行く?

 其処まで浮かんだが、始業後分前を告げる鐘の音が聞こえ、現実に引き戻された。


「あ……す、すみません、お時間取らせてしまって」


 体を離して袖で涙を拭い、頭を下げる。

 下げてより低くなった頭に班長の手が乗せられ、今度はいつものようにくしゃりと撫でられた。ユーリは班長や隊長が自分に対してする、この少し乱暴だが愛を感じる手つきが好きだった。


「気にすんな。それよりちゃんと仕事は出来そうか?」

「はい、大丈夫です」


 へらりと笑って班長を見上げると「よし」と言いながら両手で頬を包まれた。顔をわしづかみに出来そうな大きな手が、もちもちと頬を挟む。


「他班のこととはいえうちの隊の人員だから、そのうち追って情報が入るとは思う。どうあれお前のことは守ってやるから何かあったら言えよ。ほうれんそうは社会人の基本だぞ」

「はい、ありがとうございます」

「よし。んじゃ、仕事仕事」


 班長と共に持ち場へ走る。

 班員たちは明らかに涙の跡が残るユーリをいつも通り出迎え、いつも通りに仕事をした。敢えて触れない優しさがありがたかった。


 そして――――終業時。

 ファブリツィオ・フランツィーニが再教育センターへ送られたと、全体業務連絡が入った。そのとき先輩たちが見せた表情がどういった感情を示すものか、正しく表す語彙を、ユーリは持ち合わせていなかった。

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SOMNIA~歪な方舟は星海の夢を見る 宵宮祀花 @ambrosiaxxx

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