招かれざる異質

「遅くなっちゃったな……」


 すっかり話し込んでしまい、気付けば二十時近くなっていた。

 自分で払うつもりだったので食後にデザートも頼んだのだが、班長が「今日は俺の奢りだ」と言い、更にユーリの遠慮を封じるように先んじて「こういうとき機嫌良く奢ってもらうのも後輩の仕事だぞ」とまで言われてしまった。そうまで言われてなお断れるほど豪胆でもないユーリは、後輩らしくお礼を言って厚意に甘えたのだった。


「ただいま」


 時間も時間なので雪衣は既に就寝しており、静かな部屋にユーリの声が溶ける。

 いつも通りまずは一日の疲れを洗い流そうと洗面所へ向かおうとしたときだった。


「うわっ!?」


 突然インターホンが鳴り響いた。

 かと思えば何度も何度も執拗なほどに連打され、まずユーリは慌てて管理ツールで雪衣の寝室とインターホンの接続を切った。しかしリビングやその他の部屋には依然しつこく鳴り続けており、その様子はある種の狂気さえ感じるほどだった。

 こういうときすぐ扉を開けてもいけないし、応答してもいけない。まずはカメラで来訪者を確認すべくインターホン脇にあるカメラの映像を呼び出した。


「っ……!」


 その顔を見た瞬間、ユーリは息を飲んだ。

 玄関前でひたすらインターホンを鳴らしていたのは、新人の顔合わせのときに妙な絡み方をしてきたファブリツィオだった。薄ら笑いを浮かべてカメラを見つめつつ、右手は機械のようにインターホンを延々と押し続けている。

 思わぬ事態に固まっていると、扉越しに叫ぶ声がし始めた。


「なに隠してるんスか!? ねえ! いるんでしょ!? さっき家ん中に入ってくの見えたんで居留守とか無駄ッスよ! お話しましょうよ! 俺ら同じとこに勤めてる新人仲間じゃないッスかあ! なんで黙ってるんスかあ!?」


 ユーリは、彼がどんな人間かは知らない。ただこの状況を自分で捌こうとするのは悪手だと直感した。関わってはいけない。対峙してはいけない。

 まるで、得体の知れない怪異にでも遭遇したような気分だった。


「ユーリ……」


 寝室から微かな声がして、ユーリはハッとなって雪衣の部屋にある内線に繋いだ。外のカメラと二窓して監視しつつ、マイクは雪衣にだけ繋ぐ。あまりにうるさすぎて起きてしまっており、眠そうに眉根を寄せている。


「ごめん雪衣、すぐ警察呼ぶから」

『ええ……お願い』


 左手に装着しているマルチデバイスで警察署のIDを呼び出し、通信を行う。すぐ応答があり、ユーリは「家の呼び鈴を連打して怒鳴っている人がいる」と伝えた。


『すぐに向かいます。絶対に扉を開けたり応答したりしないでください』

「わかりました。お願いします」


 通報しているあいだにしびれを切らしたのか、扉を殴りつける音までし始めた。

 此処まで執着される理由に思い当たる節もなく、ユーリは言われた通り応対はせずじっとカメラを監視していた。


 どれほどそうしていただろうか。

 カメラに映るファブリツィオがふと背後を振り返り、抵抗する素振りを見せながら引きずられていくのが見えた。ファブリツィオが見えなくなって暫くすると、警察の制服を着た男性がカメラに映り一度だけインターホンを鳴らした。


「はい」

『中層第六区第二分署の、シュトルム巡査と申します。ご自宅前で暴れていた人物は移送しましたので、少々お話を宜しいでしょうか』

「わかりました」


 警察に答えると、雪衣に改めて「お休み」と告げて内線を切り、外に出た。辺りを見回してもファブリツィオはおらず、ホッと胸をなで下ろす。だが、彼が騒ぎ立てたせいで近所の住民が何人か出てきてしまっており、視線が突き刺さる。


「ご協力感謝致します。此方へのサインだけ頂けますか」

「あ、はい。えっと……」


 事務的な言葉と共に差し出されたデジタルバインダーには、通報日時と通報内容が書かれていた。これは警察に通報した者の義務で、いつどこでどんな事件が起きたか警察側が把握、管理するためのものだ。

 通報内容の欄には不審者による自宅への迷惑行為とあった。


「これで大丈夫ですか?」

「はい。ありがとうございます」


 シュトルム巡査は最後に敬礼すると警察車両に乗り込んで去って行った。

 室内に戻り、施錠をして、ダストクリーナーが律儀に仕事をしている中、脱力してその場に座り込む。

 四方八方から風が吹くのを無抵抗に受けていると、ユーリは自分の手が震えていることに気付いた。

 ファブリツィオとは、定例会で顔を合わせただけの間柄だ。家の住所は勿論教えていないし、あれ以上の会話もしていない。班が違うため仕事で関わることもないし、新人は新人同士で戯れる暇などないくらいに覚えることが多い。彼もあのあと自分の班で仕事をしたはずで、班長の元であれこれ詰め込んだはずなのに、仕事が終わって家に帰るよりなによりユーリの家を突き止めて顔合わせのときに訊けなかったことを聞き出そうとするその執念が、心の底から理解できなかった。

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