【SF短編小説】星々の消えゆく夜に ~忘却の彼方から~
藍埜佑(あいのたすく)
【SF短編小説】星々の消えゆく夜に ~忘却の彼方から~
あの夢を見たのは、これで9回目だった。暗い宇宙の果てで、無数の光点が一斉に瞬き、そして消えていく。その度に目が覚めると、シーツは冷たい汗で濡れていた。
朝食のテーブルで妻の香織が心配そうに声をかけてきた。
「また同じ夢?」
私は無言でうなずいた。
「病院に行ってみたら? 睡眠外来とか……」
「大丈夫だよ。単なる夢だから」
そう言いながらも、この夢が単なる夢ではないことを私は薄々感じていた。それは警告のようでもあり、記憶の断片のようでもあった。
仕事場に向かう途中、電車の中で新聞を広げた。一面には大きく「国際宇宙観測所、未知の宇宙現象を観測」という見出しが躍っていた。記事によれば、地球から約80億光年離れた場所で複数の星が同時に瞬き、そして突如として消失するという現象が観測されたというのだ。
私の体が震えた。夢で見た光景と同じだった。
オフィスに着くと、同僚の田中が珍しく声をかけてきた。
「佐々木さん、昨日の夜、なんか変なこと感じませんでした?」
「変なこと?」
「うん、なんていうか……時間がおかしくなったような」
私は息を呑んだ。昨夜、夢から目覚めた瞬間、時計が一瞬だけ逆回転したように見えたことを思い出した。単なる錯覚だと思っていたが。
「何時頃?」
「3時15分頃かな。トイレに起きたときに」
私が夢から目覚めた時間とぴったり一致していた。
その日の午後、私は衝動的に天文台を訪れた。学生時代に天文学を専攻していたこともあり、かつての恩師である村上教授が今でも研究を続けているのを知っていた。
村上教授は私を見ると、少し驚いたような、しかし何かを予期していたような表情を浮かべた。
「来ると思っていたよ、佐々木君」
「どういうことですか?」
「君も見ているんだろう? あの夢を」
私は言葉を失った。村上教授は重々しくうなずくと、コンピュータの画面を指し示した。そこには複雑な数式とグラフが表示されていた。
「これは時空の歪みを示すデータだ。2週間前から、微細だが確実に増加している。そして……」
教授はカレンダーを指さした。
「あと3日で10回目だ」
私の背筋に冷たいものが走った。
「10回目って……何のですか?」
「私たちがループしている回数だ」
教授の説明によると、私たちの宇宙は何らかの理由で時間のループに陥っているという。そして、そのループの回数を覚えているのは、私を含めた世界中のごく少数の人間だけだった。なぜ私たちだけがループを自覚できるのか、その理由は不明だった。
「でも、なぜ宇宙の果ての星が消えるという夢を見るんですか?」
「仮説だが……。宇宙の果てで何かが起きている。おそらく、私たちの知らない何かが、宇宙そのものを……消しているんだ」
教授は続けた。
「そして私たちは、その直前の約2週間をループしている。ループの度に、宇宙の消失速度は速くなっている。10回目が最後のループになるだろう」
「じゃあ、私たちにできることは?」
「わからない。だが、君とここで会うのも今回が初めてではない。前回のループでは、君は丸一日遅れてここに来た。その前のループでは、君は来なかった」
教授の言葉は私の中で反響した。もし本当にループしているのなら、前回とは違う行動をとれば、結果も変わるかもしれない。
「村上先生、私が夢を覚えているのには理由があるはずです。何か……できることがあるんじゃないですか?」
教授は長い沈黙の後、静かに語り始めた。
「宇宙の果ての星々が消える現象……それが始まるのは、地球時間で3日後の午前3時15分だ。そして、君の夢はいつも同じ時間に見るんだろう?」
私はうなずいた。
「もしかすると、君の意識は何らかの形で、宇宙の果てとつながっているのかもしれない。だからこそ、他の人間より早く現象を感知できる。そして、もしかすると……」
教授は言葉を選んでいるようだった。
「君の意識で、その現象に干渉できるかもしれない」
その晩、私は妻に全てを話した。彼女は信じないかと思ったが、意外にも冷静に受け止めた。
「あなたの夢のこと、実は私も気づいていたの。毎回同じ時間に目が覚めて、同じことを呟くから」
「何を呟くんだ?」
「帰らなきゃって」
その言葉が私の中で何かを呼び覚ました。そうだ、私は何かから「帰らなければ」ならないのだ。しかし、どこへ?
3日目の夜、私は意識的に夢を見る準備をした。村上教授から特殊な脳波誘導装置を借り、妻の見守る中、眠りについた。
いつもと同じ夢が始まった。宇宙の果てで、無数の星が瞬き、消えていく。しかし今回、私は夢の中で自分が明晰な意識を保っていることに気づいた。
そして私は気づいた。消えていく星々は、ただ消えているのではなく、何かに吸い込まれているのだ。それは巨大な渦、まるでブラックホールのようでありながら、どこか人工的な規則性を持っていた。
私はその渦に近づこうとした。すると、渦の中心から声が聞こえてきた。
「帰れ」
その声は私自身の声だった。
「ここは君のいるべき場所ではない」
その瞬間、私は理解した。この宇宙、この時間軸は、私の本来いるべき場所ではないのだ。私はどこか別の時空から来て、そしてループの中に閉じ込められていた。
「どうすれば帰れる?」
「渦の中心へ。しかし、それは全てを忘れることを意味する」
私は躊躇した。全てを忘れるということは、この世界での記憶、妻との思い出、全てを失うということだ。
目が覚めると、時計は午前3時14分を指していた。妻が心配そうに私を見つめていた。
「どうだった?」
私は全てを話した。そして決断を。
「行かなきゃいけない。行かなければ、このループは終わらない。宇宙は消えていく」
妻は泣きながらも理解を示した。
「あなたは帰るのね、本当の場所に」
「ごめん、香織」
「謝らないで。あなたと過ごした時間は本物だから。たとえループの中だとしても」
時計は午前3時15分を指した。窓の外で星が瞬いた。一つ、また一つと。
私は目を閉じ、意識を宇宙の果てへと向けた。渦が見える。中心に近づく。そこには光があった。
私は光の中に入った。
世界が白く染まる。
私の名前はアダム・ジェンセン。火星コロニー第三研究所の主任研究員だ。タイムスリップ実験中の事故で意識が21世紀の日本に飛ばされてしまったらしい。医療チームによれば、私の意識は9回のループを経験した後、ようやく本来の体に戻ってきたという。
しかし、私の中には確かに「佐々木」としての記憶が残っていた。妻の香織、村上教授、そして消えゆく星々の夢。
主任医師が言う。
「それは君の意識が作り出した架空の記憶だよ。心配することはない、徐々に薄れていくだろう」
私はうなずいた。しかし、心の中では違う声が響いていた。
「本当に架空なのだろうか?」
その夜、私は夢を見た。日本の小さなアパートで、香織が窓の外の星空を見上げている夢を。そして彼女のつぶやきが聞こえた。
「あなたは無事に帰れたのね」
彼女は空に向かって微笑んだ。その瞬間、火星の空に一つの星が、かつてない明るさで輝いた。
あの夢を見たのは、これで最後だった。
【SF短編小説】星々の消えゆく夜に ~忘却の彼方から~ 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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