言いまちがいは良いまちがい

小石原淳

その読み、あってる?

 六年一組、朝二コマ目の授業にて。

「『こそこそと出て行った正太郎しょうたろうを見て、ぴんと来た。あの子の部屋に行き』」

 割り当てられた箇所を読み上げていた柏原須美子かしわばらすみこだったが、停まってしまった。読めない字が出て来た。

 教科は国語。“大人の小説を読んでみよう”というテーマで、クラスのみんながそれぞれ家から一冊ずつ、お父さんやお母さんの持っている小説を持って来て、それらをランダムに割り振って音読するというもの。もちろん授業用にコピーした物が、全員に配られている。

(これ何? 状況的には多分、アレなんじゃないかと思うんだけど、とてもそう読めそうにないよ? だいたい、アレの漢字は別にあるし。困った)

 仕方がない。一か八かに賭けてもよかったのだけれど、ここは間違いを承知でストレートに読もう。元々、そういう難しい漢字を勉強するのが目的の授業なんだし。

「『部屋に行き、カバダンをえいとめくり上げる。思った通り、そこには、“地図”が描かれていた」

「カバダン? ああ、そっか、なるほどね」

 村下むらした先生はそうつぶやくと、須美子に読むのを一時ストップするように言った。

 先生がストップを掛けたことでカバダンが読み間違いだと確定したせいか、笑いが広がる。

「はは、“カバダン”て」

「カバダンディズム、みたいな?」

 男子のひそひそ声が聞こえ、須美子は顔が赤くなるのを自覚した。そのまま騒がしくなりそうなところへ、村下先生が「はいはい、静かに」と手を叩く。それでもしばらくみんなざわついていた。もう一度、「静かにっ」と先生が言って、ようやく収まった。そして「柏原さん」と須美子の名を呼ぶ。

「はい」

「蒲の字は知っているのね、習ってないのに」

「えっと、料理屋さんのメニューで。蒲焼きってありました」

 須美子の返事に、意地悪な男子から「さすが食いしん坊!」と声が飛ぶ。先生が再び注意して、続きに入った。ボードにペンで「蒲団」と書きながら、「これで“ふとん”と読みます」と説明した。

「あれ? そうじゃないかなって一瞬思ったんですけど、ふとんは布に団て書くんじゃあ……」

 須美子の反応に対し、またまた一部男子から「ヌノダン」「ヌノダンディズム」と茶々が入る。今度は先生も相手にせず、スルー。ボードに「布団」と書いた。

「これのことね。その辺りが日本語の難しいところの一つです。ふとんに限らず、何か一つの物事を漢字で書こうとしたとき、いくつかの書き方がある場合が結構あって。たとえば、そうですね」

 ボードの方を向くと、先生は少しだけ考え、「引き出し・抽斗」と記した。

「あんまりいい例じゃないけれども、これは二つとも“ひきだし”と読みます。どうして『抽斗』と書いて“ひきだし”なのか、については次までの宿題にしましょう。あ、カバダンでなぜ“ふとん”と読めるのかも、同じく調べてきてください」

 えー!という声が一斉に上がるも、須美子も含めてみんな素直に宿題の旨をノートに書き記す。

 そのあと、須美子が割り当てられた分を全部読み終わり、後ろの子に交代となる。作品もまた別の物だ。

「じゃあ次を早川はやかわ君」

「はい」

 後ろの席の早川が立ち、続きを読み始める。

 御役御免になった須美子だが、まだ少し恥ずかしさが残っていた。おかげで、いまいち集中できず、手元にあるコピーの文を追う目も滑りがちだ。

「『――。舞香まいかは受け取った葉書を、裏返してひと目見るなり、喜びで飛び上がった。そのまま踊るような足取りで、ダンスをくぐり、店の中へ戻って――』」

「ちょ、ちょっとストップ」

 先生が慌てた様子で止めに入る。早川の読み方があまりにもスムーズだったせいか、クラスの大半は、どうして先生が止めたのか分かっていない様子。皮肉にも須美子は気付いたのだが、先ほどの件があるから言い出せない。ただ、恥ずかしさは和らいでいた。

「ちょっと待ってね……ふむ、なるほどなるほど。確かに読めなくはないか」

 村下先生は独り言をぶつぶつ言ってから、おもむろに「早川君」と名を呼んだ。

「はい」

「『踊るような足取り』につられたのかもしれないけれど、これはダンスじゃないわ。早川君なら、このお店が何だったのかを思い返せば、ひょっとしたら閃くかも?」

「……あっ、のれん、です。暖簾」

 頭を掻く早川。ここで遅ればせながら、皆の間にも笑い声が広まった。

「正解よ。知ってるじゃないの。どうして間違えたのかしら」

「やっぱり、『踊るような』につられてしまいました」

「仕方がないわね。それにしても、よく別の読み方を捻り出したものです。ダンは暖房の暖だからまだ分かるけれども、後ろの字(簾)が“す”と読めるなんて、よく知っていたわ」

「昨日読んでいた歴史ミステリに、御簾みすが出て来て。あ、失敗のミスじゃなくて」

「分かってます」

 先生は苦笑いを浮かべ、ボードに「御簾」と書いた。

「すだれの高級な物や、高い身分の人が使うすだれのことね。ほんと、御簾を知っていて、暖簾の読み方を忘れてしまうなんて、驚いた」

 先生はため息をつき、早川に続きを読むよう促した。


 二時間目の国語の授業が終わり、十分の休み時間になった。といっても次から二時間続けて家庭科があるため、家庭科室に移動だ。

 その道すがら、まだちょっぴり落ち込んでいる須美子に、仲良しの吉井双葉よしいふたばが話し掛けてきた。

「さっきのあれだけど」

「あれって?」

「早川君の読み間違いよ」

「言わないでよー」

 耳を塞ぐ格好をする須美子に、吉井は「違う違う、あんたの“カバダン”を言ってるんじゃなくて、早川君の方」と説明した。それでも少しむくれ気味の須美子だが、かまわず吉井は続ける。

「思うに彼、わざと間違えたんじゃないかな」

「何でわざと間違える必要が」

「須美子、あんたのためよ」

「はい?」

「“カバダン”で恥を掻いたでしょ。で、早川君は考えた。『柏原さんだけ恥ずかしい思いをせずにすむように、僕も間違えとこう』と」

「ま、まさかあ。だいたい、どうして早川君が、私のために一緒に恥ずかしい思いを味わおうとするのよ」

「そりゃ、好きだからでしょ、多分」

「――」

 先ほどの授業中とは別の意味で赤面するのを感じた須美子。手のひらで顔を扇ぐ。

 そこへ、背後からしゃがれ気味の声が飛んできた。クラス一の悪ガキ、新倉にいくらだ。

「くだらねえことしゃべってんな。そんなことより、漢字のお勉強した方がいいんじゃね?」

 二人を追い抜きつつ、丸めたノートで須美子と吉井の肩辺りをぽこ、ぽこ、と叩いていった。

「何すんのよっ」

 追い掛けることで自然と急ぎ足になった。


(双葉とのやり取り、新倉は見てたのかなあ)

 須美子はため息をついた。家庭科の授業のあと、給食の時間も済んで、今は午後最初の授業、英語だ。

(万が一、早川君の耳に入ったらどうしよう。顔を赤くしてたなんて)

 新倉は早川をライバル視していて、普段からつるむような仲ではないが、会話がないほど不仲でもない。微妙な線だ。

(悩んでも仕方がない。今は授業に集中)

 英語の授業は、簡単なストーリーを何回か掛けて訳していくというものだった。物語仕立てで、アメリカの小学校を舞台に、たかしという日本人少年が色々と体験をしていく。ちなみに天の読みは「たかし」だけれども、クラスメートからは「テン」とニックネームで呼ばれている設定だ。

「――では、次の一文を新倉君、訳してみて。辞書を引きながらでもいいからね」

「ほーい。……」

 新倉は席を立つも、すぐには答えない。かといって机の端に置いた辞書機能のある端末に触れる様子もなかった。

「新倉君? 難しい?」

「……」

 先生の呼びかけにも、何やぶつぶつ言っているばかり。

 須美子は気になって、くだんの英文に改めて目を通した。


   “Did Ten come so soon?”


(天の友達の台詞で、待ち合わせの場面だったから、これは……「天はそんなに早くに来たの?」ぐらいかな。ふふ、新倉ったら、私に漢字の勉強しろって言う前に、自分も少しは英語の勉強をした方がいいんじゃないの)

 そう思った矢先、新倉が思いきったように口を開いた。

「先生、できた!」

「できた? まあいいから、答えてみて」

「えへん。『天下無双をすぐにしたか?』なんてのはどう?」

「?? 天下無双?」

 思いも寄らない翻訳に、訝る声を上げたのは村下先生だけではなかった。クラスの大半が「え? 何だって?」と呟くか、違うページを見ていたのかとテキストを繰る。

「どこをどう訳せば、天下無双なんて出て来るのかな、新倉君」

「だってほら、書いてあるじゃん。“でぃっど テンカムソウ すーん”ってさ」

「――あははは。確かに」

 堪えきれずに笑ってしまった、そんな風な村下先生。

 須美子達児童も、ちょっと遅れて気が付いた。“Ten come so”の音読が「天下無双」に似ていることを。

 わざと間違えたのは明らかなので、先生もクラスメートも全員笑っている。

 ただ一人、須美子だけは違った。少し笑って、はたと思い至ったのだ。

(ま、まさか、新倉の奴も私のことを……?)


 終


※実際の小学六年生の英語授業とは乖離があるかもしれませんが、あしからず、ご了承くださいませ。m(__)m

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言いまちがいは良いまちがい 小石原淳 @koIshiara-Jun

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