繰り返す夜明けの向こう側

敗走さん

揺らめく境界にある秘密

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。夢はいつも同じように始まる。静まり返った部屋にただ一筋の月明かりが差し込む夜、体が宙に浮くかのような奇妙な感覚に襲われて目が覚める。いや、起きたはずなのにまだ夢の中にいるのだと気づく。そのとき部屋の空気は、まるで水中のように重たく、触れるだけで何かが震えそうなほどに濃密だった。


 そんな空気をかき分けるように、視線の先に古びた扉が浮かび上がるのも、いつも通りだ。扉はきしむような音をたてて開き、中から淡い光が漏れてくる。その光の中を覗き込むと、遠い昔の町並みが広がっていた。石畳の道、どこかで聴いたようなオルゴールの音。そして、必ずどこかに白い猫がいる。初めて夢を見たときは、その猫を追いかけて町をさまよった。しかし、それ以上のことは何ひとつ思い出せない。


 2回目、3回目と同じ夢を繰り返すうちに、自分がそこに「求められている」ような気がしてきた。と同時に、その町に入るたびにわずかずつ景色が変化していることに気づいたのだ。例えば、最初は枯れた木ばかりだった広場に、緑の芽が一つだけ顔を出していたり、真っ暗だった家の窓辺にランタンが灯っていたり。あたかも季節が巡っているかのように、少しずつ生気を取り戻していくようだった。


 7回目を迎えた夜、俺はいつもと違う場所に辿り着いた。町外れにある古い教会の扉を押すと、中は真っ白な空間が果てしなく広がっていた。そこには何もなかった。ただ真っ白な世界と、その中心に立つ長椅子が一脚。それを見つめるうちに、まるで導かれるようにベンチに腰を下ろす。すると、どこからか声が聞こえた。


「まだ、探しているの?」


 誰の声なのか、思い出せない。それでも切なさを帯びた響きに、胸が軋んだ。何か大切なものをなくしてしまったのではないかという感覚だけが、熱をもって染みついている。


 8回目、その教会は光の柱で満たされていた。中央のベンチに座っていたのは、かすかに笑う少女だった。長い髪をおさげにした、覚えのない顔。けれどどこか懐かしい。彼女は俺を見つめると、そっと口を開く。


「ようやくここまで来たんだね。……あと少し」


 それだけ言い残して、少女の姿は溶けるように消え、光の柱も見えなくなった。追いすがろうとする俺を、白い猫がじっと見つめていた。猫の琥珀色の瞳に映っていたのは、暗闇の奥で揺れる青白い炎。まるであの町全体を見守る灯火のように感じられた。


 そして9回目の今夜、俺はベッドの上で冷たい汗をかきながら、またあの教会へと足を踏み入れる準備をする。きっと今日は、あの夢の正体に近づけるはずだ。扉を開けると、相変わらず白い空間が広がっている。視界の中心にあるベンチに目をやると、今度はそこに少年が座っていた。漆黒の髪に小さな傷跡。初めて会うはずなのに、その姿がどこか自分と重なって見える。


「あなた、誰?」と問いかけると、少年は顔を伏せる。声は聞こえない。だが、胸の奥で何かが共鳴する。まるで同じ存在が二つに分かれて向き合っているかのようだ。俺はゆっくりとベンチに近づき、少年の瞳を覗き込む。そこには、俺がずっと忘れていた懐かしい景色が見えた。暗がりに散らばる記憶の欠片――夕暮れの川べりで笑い合う友人と、幼いころの自分。何かを失くしたあの日と、それに気づけなかった後悔。


 少年の指先が小さく震え、俺の手をそっと掴む。触れ合った瞬間、周囲の白い空間が鮮やかな色彩を取り戻す。灰色だった石畳は温かみのあるレンガ色に変わり、遠くの住宅の窓からは灯りがこぼれ始める。空は明け方のような薄い群青色へと移り変わり、光が射し込むたびに町は少しずつ目覚めていく。


 そこに立ち尽くす俺と少年の周囲を、白い猫が一周しては静かに消えていった。そのとき、頭の中にあの声が聞こえる。「あなたの探し物は、やっと見つかったのね」。そう呟くと同時に、遠くからさざめくような鐘の音が響いてきた。


 瞼を開けると、部屋の中にはかすかに朝の気配が漂っている。時計を見ると、夜明け前の4時過ぎ。夢か幻か判別しがたい現実感が、まだ肌に残っていた。けれど、これで終わりではない気がする。そう、あの猫とあの町はまだ完全に消えてはいないのだろう。


 9回目の夢が終わった今、奇妙なほど落ち着いた心持ちでベッドを抜け出した。喉の奥が乾いていたが、冷たい水を飲むと不思議と少しだけ満たされた気がする。これまでの夢には、確かに何かしらの意味があった。失くしていた思い出と、取り戻すべき大切なもの。それらが織り成す小さな奇跡を抱きしめるように、俺は窓から差し込む薄明かりをそっと見つめた。


 町は、今夜も俺を待っているだろう。あの扉の先で、光の柱がいつでも俺を導いてくれるだろう。だけど今日という現実は、昨日までより少しだけ優しいものに感じられる。まるで、あの町の目覚めがこの世界にも影響を与えているかのように。


 そう思うと、なぜか胸が温かくなる。いつかあの夢を見なくなる日が来るのかもしれない。そのとき俺は、本当の意味で大切なものを取り戻し、失くした自分自身を受け入れられるのだろう。もう恐れる必要はない。夜が深まっても、きっとその先には確かな夜明けがあるのだから。

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繰り返す夜明けの向こう側 敗走さん @Nokasa12

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