三月十七日、保健室。

野村絽麻子

天下無双・ダンス・布団

 卒業生を送る催しの代表格はもちろん卒業式。私の通う高校は少し変わっていて、伝統と格式の卒業式の後に、ダンスパーティが行われる。

 十数年前に卒業した生徒会メンバーの中に海外ドラマ好きがいたらしく、それはもう、プロムさながらの光景が繰り広げられるのだ。

 さすがにドレス姿とはいかないまでも、卒業までに約束したパートナーと揃いの花のコサージュを胸元に飾り、ダンスを楽しむ事になる。

 もちろん参加は任意だし、友達同士でダンスする卒業生もいる。けれど、会場の華はやはりカップルのダンスで、これに憧れる生徒は多い。予想通りの安定した二人組あり、驚きの組み合わせあり。モテる人には申し込みが殺到してそれこそ天下無双の様相を呈する訳で、それを遠くから眺めては、果たして誰をパートナーとして選ぶのか……なんて楽しみ方も、特に我々下級生を中心にあったりもする。


 今年は特に、公認と噂されていたカップルがそれぞれまったく異るお相手と手を取って現れたことで、ダンス会場は大きなどよめきに包まれた。

 それが、よりによって私の所属する調理部で部長を務めていた先輩だったので……私たち部員にとっては一層の驚きとなっていた。


「まさか先輩達が別れてたなんてねぇ」

「うう……」


 真っ白な布団に包まったまま、私は枕に顔を押し付ける。保健室の先生が枕に敷いてくれたタオルは少しごわごわするけれど、こぼれた涙をすんなりと吸収してくれる。

 体育館の底冷えする寒さはもちろんだけど、どうやら自分で思っていたよりもショックが大きかったらしく、ダンスパーティの直後に体調を崩してしまった。片付けを請け負ってくれたクラスメート達が保健室で休むように勧めてくれて、付き添いの美羽と一緒に過ごしている。


「しかし、美乃里がそこまでショック受けるなんて」

「……そうなの、実は私もびっくりしてて」


 自分でも不思議なくらい気持ちが落ち込んでいる。先輩達に憧れていてのは本当だ。いつもニコニコと嬉しそうにパートナーのことを話題にしていて、本当に仲が良くて。お互いのことを想い合うってこういう事なんだなぁと羨ましく思っていたのだ。


「ねぇ、……もしかして美乃里、そろそろ近いんじゃない?」


 保健室には私たちの他に誰も居ないのに、律儀にも美羽が抑えめに発音するのでピンときた。途端に自分でも合点がいく。アレだ、アレ。言われてみれば、そうだ。月のものってやつが近い。


「……ホルモンバランスかぁ」

「それっすね」


 なぁんだ。分かってしまったら少し落ち着く。悲しくて動揺している気持ちに変わりはないけれど、これは抑えが効きにくいって事なのだ。

 布団の暖かさでだんだんと緊張がほぐれてきたらしく、なんとなくウトウトして瞼が下がってくる。それを感知してか、美羽が優しい声を出した。


「少し寝たらいいよ」

「……そうする」


 答えたのが先か、眠りに落ちたのが先か、私にはわからない。よく手入れされた布団はふかふかで、少しよそ行きの顔をした真っ白なカバーから清潔な匂いがして、慣れてくると肌にそっと馴染んでくる。

 浅い眠りの中でしばしまどろむ。それが何分か、何十分かは分からない。布団は暖かいし、ダンスをする先輩はパートナーが変わっても素敵だった。だからこそ、私はショックを受けたままだ。

 先輩、本当にどうして?


「……もうやだ、誰も信じられないよ……」

「……そう?」


 夢現つの中でふにゃりと口から出た弱音に、だからまさか返事があるなんて思う訳もなくて。いつの間にか閉められていた白いカーテンの向こう、小さく椅子を鳴らして立ち上がる気配がある。

 保健室の明かりを受けながら近づいて来た人影は次第にその輪郭を明瞭にして、私は息を呑んだ。高瀬くんだ。

 カーテンのすぐ側に立った人影は、美羽から様子を見て来て欲しいと頼まれた旨を伝えながら、それでもその薄い布を捲ろうとはしなかった。


「誰も、信じられない?」

「……だって、あんなに仲が良くて、憧れてたのに」


 どの程度の事情を聞いているのかは分からない。ふにゃふにゃのメンタルになった私は取り留めもなく弱音を吐く。先輩たちがいかに仲良しだったか。お互いを想い合う二人の姿が素敵で、どのくらい憧れていたか。

 あのまま、想い合ったままで、二人はずっと仲良く過ごしていくものだと思っていた。悲しい。とても悲しいな。あの二人で上手くいかないんじゃ、私なんか上手く行きっこない。そんな気までしてくる。


「だからもう、何も信じられないの」

「……それって俺も?」


 ふと、差し込まれた声が静かに鼓膜を揺らす。


「俺のことも、信じられない?」


 高瀬くんにはいつも、何だか変なところばかり見られてる気がする。変な歌を歌ってる所とか、音楽室を覗き見してる所、焦げたメレンゲクッキーも見られてしまったし、あと靴擦れもした。

 でも何故だか笑ったり呆れたりせずに、きちんと向き合ってくれてるような気持ちになる。例えば先週の美術館へ行った時も、一足飛びに「付き合おう」とかそういう話にならなかったのが、かえって信じられる、ような。上手く、言えないけど。


「信じ……る」

「……良かった」


 心底嬉しそうに微笑む高瀬くんの声がする。ドキドキする心臓を押さえながらそっと身を起こした私は、ひとつ小さく息を吐く。それから、この白いカーテンを開けてしまおうかという気持ちになる。

 この先どうなるか分からないけれど、来月からも同じクラスになれたらいいって、私はそう思ってるってこと、高瀬くんには知っておいて貰いたい。ほとんど衝動のようにそう思う。

 どんな顔をしたら良いかいまひとつ分からないままで。それでも、眼鏡の奥で細められるまぶたを、緩やかに弧を描く口元を、控えめに首を傾げてこちらを覗き込む仕草を見たくて。ゆっくりゆっくりとカーテンに手を伸ばす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三月十七日、保健室。 野村絽麻子 @an_and_coffee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ