永遠の追憶

月代零

宇宙《そら》の中で

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。妻と一緒に朝食を食べ、行ってきますと言って仕事に出かける、ありふれた日常の夢。


 9回目の冷凍睡眠コールドスリープから目覚めた男は、自身を包んでいたカプセルから起き上がる。頭がぼんやりとして、地に足が着いていないような違和感がある。まあ、ここは宇宙船の中だから、本当に地に足は着いていないのだが。何度経験しても、この感覚は慣れない。

 ゆっくりと肩を回したり背伸びをしたりしながら、男は船の管制室に向かう。男の覚醒に伴って船内に明かりが灯り、空調が快適な温度と湿度を提供する。普段は船内のリソースを節約するために、最低限の機能しか作動していない。

 男は椅子に腰かけてモニターを表示し、船内に異常がないかチェックする。


『おはようございます。ご気分はいかがですか?』


 船の官制AIが、抑揚のあまりない女性の声で男に呼びかける。


「問題ない。そちらは?」

『磁気嵐に遭遇しましたが、回避済み。船体のメンテナンスも滞りなく行われております』

「そうか。ご苦労」


 男は応答しながら、眠っていた間の記録を確認する。航行距離、調査した惑星の数、衝突を回避した隕石群に、メンテナンスの記録。

 もっとも、大抵のことなら船のシステムが自動で対処できるようになっているから、目立った問題はない。何かあれば、強制的に目覚めさせられるようになっているのだから。


 管制室の窓から見える宇宙は、変わらずどこまでも深い闇と、無数の星たちを映し出している。移住できそうな星も、やはり見つかっていない。

 この移民船が母星を旅立ってから、気の遠くなるような年月が過ぎた。何十年か、何百年か。記録を見ればすぐにわかることだが、見ても仕方のないことなので、男はそれを見るのをやめていた。


 この船の乗員は、冷凍睡眠用のカプセルで眠りながら、第二の故郷となるべく惑星に巡り会える時まで、長い夢を見ている。

 母星から旅立つことを決意した人類だが、この果てのない宇宙の中で、移住可能な星が見つかる保証はどこにもない。だから、いつかそれが見つかるまで、船内のリソースを節約しながら長い旅を続けるために、眠る必要があったのだ。


 そして、人々の夢は、AIによってある程度管理されている。悪夢を見ずに、幸せに眠れるように。大地の上に立ち、他者と共に暮らすという感覚を忘れないために、母星で暮らしていた頃の夢を見ているのだ。何人かの責任者が、定期的に目覚めて、船に異常がないか確認し、航行の安全を管理する役目を担っている。

 男には、確認しなければならないことがもう一つあった。これが一番、気が重い。


「一名……二名。バイタルの消失を確認。蘇生措置、効果なし。……カプセルへのエネルギー供給をカット」


 コールドスリープしていれば、永遠に生きられるわけではない。徐々に肉体や精神が弱り、眠ったまま死に至るケースも、稀ではなかった。一人だけ目覚めて、少しずつ減っていく乗員名簿を見ることは、精神を削られる作業だった。


「……あ」


 バイタル停止のアラートがあったカプセル。そこに眠っていた人間の名前を見て、男は呆然とした。それは、男の妻の名前だった。

 しかし、実感として感じられなかった。同名の別人かもしれない。そう考える思考とは裏腹に、気が付いたら涙が溢れていた。喉から嗚咽を漏らす自分を、後ろから冷静に眺めている別の自分がいるようだった。


 この後、遺体には防腐措置が施され、別室に安置される。埋葬できる土地が見つかるその日まで。あるいはそんな日は永遠に訪れず、いつの日か眠ったまま全員息絶え、乗組員を失ったこの船は、宇宙を彷徨い続けるのかもしれない。母星が滅びる瞬間も、仲間がいなくなるのも見ないで済むのは、ある意味幸せなのかもしれないと、男は思った。


 早く眠ってしまおうと、男は思った。そして、妻といる幸せな夢を見よう。もう、目覚めなくても構わない。男はふらふらと、自分のカプセルに戻っていった。




 まどろみの向こうで、声が聞こえた。

『地球と似た大気組成の惑星を発見。調査を継続しますか?』



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