言葉が世界を創るなら、詩は運命を変えられるのか?

まさか からだ

第1話 境界の詩

 霧の街に古くから伝わる伝説がある。

「詩人が一編の詩を詠んだとき、この世界の境界は崩れる」


 境界とは何か――それが人と人の間にあるものなのか、それとも世界そのものの輪郭なのか、誰も知らない。

 だが、人々はその伝説を恐れ、語ることすらためらった。

 もしも詩が本当に境界を壊すのなら、それは世界の終焉を意味するのか、それとも新たな始まりを告げるのか――。




 霧の街は、昼も夜も白い靄に包まれていた。

 ぼんやりと浮かぶ街灯の光は、まるで遠い夢のように儚く、すれ違う人々の顔を曖昧にしてしまう。

 人々は互いを認識するために声を掛け合うが、言葉を交わすことすら、次第に億劫になっていた。

 言葉は時に誤解を生み、争いの火種にもなる。

 だからこそ、人々は静けさを愛し、詩を恐れた。


 その街の片隅に、ひとりの少年がいた。

 名前はカイ。幼いころから「言葉の力」に惹かれていた。

 彼にとって、言葉は世界そのものだった。

 音が形を持ち、意味が生まれる瞬間に、彼はこの世界の秘密を覗き見るような感覚を抱いていた。


 カイは詩を作るのが好きだった。

 言葉を紡ぎ、リズムを生み出し、まだ見ぬ世界を描くことが楽しかった。

 彼の詩は、時に鮮やかな色彩を持ち、時に深い闇を描いた。

 しかし、彼が心から信じていたのは、言葉が人の心を繋ぐということだった。


 だが、ある事件を境に、カイは言葉を失った。


 それは、ある冬の日のことだった。

 霧がいつにも増して濃く、世界がぼやけていた。

 カイはいつものように小さなノートに詩を書いていた。

 「霧の向こうには、まだ見ぬ世界がある」

 彼はそう信じていた。

 だからこそ、言葉を紡ぎ、その向こうへと手を伸ばしたかった。


 だが、その日、彼の詩は思いがけない形で“境界”を越えてしまった。


 カイが詩を書き終えた瞬間、世界が揺らいだ。霧が渦を巻き、街の輪郭が歪んでいく。

 街灯の明かりがちらつき、建物が滲み、やがて空間そのものがぼろぼろと崩れ始めた。


 「何だ、これは……?」


 カイの目の前で、見知らぬ風景が広がる。

 そこは確かに彼が書いた詩の中の世界だった。

 言葉が形を持ち、現実を侵食していく。


 だが、それはただの幻想ではなかった。


 街の人々が叫び声をあげた。

 大地が軋み、建物がねじれる。

 カイの詩が、この街の境界を破壊してしまったのか――。




 次の瞬間、カイは鋭い光に包まれた。

 視界が白く染まり、頭の中で無数の言葉が弾ける。

 そして、その瞬間を最後に、カイの声は失われた。


 ――詩を詠んだ者が、境界を壊す。


 それが伝説の意味することだったのかもしれない。


 そして、カイは知った。


 言葉には、想像以上の力があることを。

 そして、その力は時に、希望ではなく破滅をもたらすことを。


 霧の街は、静寂に包まれていた。


 カイの言葉が消えた後も、人々は恐れながら生き続けた。

 彼らはもう詩を口にしない。

 だが、誰も知らなかった――カイの心の奥で、今もなお、新たな詩が生まれ続けていることを。


 それは、失われた言葉たちが綴る、境界を越える詩だった。

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言葉が世界を創るなら、詩は運命を変えられるのか? まさか からだ @panndamann74

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