チート探偵の破綻

桃鬼之人

捜査現場に宿る狂気の芽吹き

 いかにも男の一人暮らしという乱雑な部屋。しかし、そこには異様な空気が漂っていた。立ち入り禁止テープが無造作に貼られ、不吉な境界線を作り出している。床には白い紐でかたどられた人型――そこに横たわっていたであろう誰かの痕跡が、沈痛な気配を漂わせている。


 先ほど現場に入った刑事、宮六地みやむじ つとむは、内心苛立ちを覚えていた。事件発生の報せとともに、「探偵も派遣されるから面倒を見ろ」との指示。どうやら上層部の鶴の一声らしいが、納得がいかない。なぜ、探偵なんぞという一般人を、捜査現場に立ち会わせる必要があるのか――宮六地には到底理解できなかった。


 そう思った矢先、目の前にふいに若い女が現れた。

「えっと…こちらに派遣された探偵なのですが…」

 控えめながらもはっきりした声が、場の緊張をわずかに揺らす。


 宮六地は女の姿を一瞥すると、ぶっきらぼうに応じた。

「ああ…あんたが、探偵ってやつか」


 その探偵の女は、鳶色の艶やかな長髪をふわりとなびかせ、わずかに青みを帯びた瞳に聡明な光を宿していた。年の頃は女子高生の若さに見える。端整な顔立ちは、美少女と呼ぶにふさわしい。身なりは、まさに「探偵」の典型。薄茶色の帽子を目深にかぶり、同じく薄茶色のトレンチコートの襟を軽く立てた姿は、古典的すぎるほどの探偵然とした装いだった。


 探偵の女は、宮六地の顔をじっと見据え、にこりと微笑んで口を開いた。

「こんにちは。はじめまして、たん 禎代ていよと言います」


 宮六地は腕を組みながら、どこか呆れたように呟く。

「俺は宮六地だ。…にしても、お前さんの名前、そのまんまだな……」


 すると、丹は微笑を崩さぬまま、誇らしげに答えた。

「はい。生みの親が、立派な探偵になれるよう願いを込めてつけてくれた、大切な名前です」


 宮六地は鼻を鳴らし、軽く肩をすくめる。

「ふーん、そうかよ」

 そして、探るような視線を向けた。

「で、お前さん、この殺人事件の解決に一役買ってくれるってわけだよな――この現場を見て、何か分かったことはあるのか?」


 丹は人差し指を顎に当て、思案するように目を細めた。

「そうですね…。まず、あのドアノブ、しかも、通常なら触れないような位置に指紋が残っていますね」


 宮六地は思わず眉をひそめる。

「指紋…? いや、普通、肉眼じゃ見えないだろ……」


 丹は涼しい顔で微笑みながら答えた。

「いえ、私、目がいいので」


「マジかよ…目が良いだけで指紋が見えるもんなのか…」

 宮六地は信じがたいといった表情で丹を見つめた。


 丹はくんくんと匂いを嗅ぐ仕草をしながら、静かに言葉を続けた。

「…あ、そして、何か匂いがしますね。これは…麻薬の匂い…かな……。あの隙間から、ですね」

 彼女は本棚を指差し、顔を近づけて慎重に確認する。

「うん、やっぱり…麻薬の粉がわずかに残っています」


 宮六地も本棚に顔を寄せ確認した。

「確かに…、だが…麻薬の匂いなんて、普通、分かるもんじゃないだろ…」


 丹は再び穏やかに微笑みながら答えた。

「いえ、私、鼻が利くもので」


「麻薬犬かよ………」

 宮六地は驚愕の表情を浮かべ、その言葉を口にするのが精一杯だった。出会って間もないというのに、すでに常識では考えられない事態が次々と起こっている。目の前の探偵の女が一体何者なのか、その正体を理解することができず、思考が停止してしまう。


 さらに、丹は周囲を静かに見渡しながら、言葉を続けた。

「おや、テーブルの上に飲みかけのコーヒーがありますね」


 宮六地はなんとか冷静さを装いながら答える。

「そうだ。ガイシャの死因は青酸カリによるものだ。その飲み物に混入されている可能性も──」


 だが、その言葉がまだ口を離れぬうちに、丹は何の前触れもなく、指を伸ばし、コーヒーの表面にちょんと触れた。そして、その指を口に運び、ペロッと舐めた。


「えーーーーー! 舐めたーーーーー!」

 宮六地は思わず大声で叫ぶ。しかし、さすがに刑事だけあって、すぐに我に返り慌てて口を開いた。

「ばかやろう! 大丈夫か、おい…! いや…そもそも、よく分からないものを、躊躇なく舐められるな……」


 丹は何事もなかったかのように、宮六地に視線を送りながら冷静に答えた。

「なるほど、青酸カリが含まれているようですね」


「青酸カリ…って! いや、ちょっと待て、お前、大丈夫か…? すぐに救急車を呼ぶから待ってろ!」


「いえ、大丈夫ですよ、私、味覚が鋭いので」


「いや…お前…本当に大丈夫なのか…? どうして死なないんだ? それに…味覚が鋭いからって、青酸カリ舐めて何ともないなんて、あり得ないだろ…」


「いえ、私は毒耐性が強いので」


「なんだそりゃ……、お前、なんなんだよ……」


 宮六地はその状況に呆然とし、頭がパンクしそうになった。確かに、丹は何事もなかったかのように元気そのものだ。これは一体どういう状況だ…? 本当に現実なのか…? 宮六地の混乱は、ますます深まるばかりだった。


 そして、丹は再び宮六地の顔をじっと見据え、冷静に人差し指を彼の顔に向けながら言い放った。

「そして、犯人が分かりました。犯人は、宮六地さん、あなたです!」


「は…? いや…おい、何を言っているんだ……」

 宮六地は驚きと戸惑いを隠せず、声を震わせた。


 丹はその反応を冷静に見逃さず、静かに告げる。

「宮六地さん、心音と血流の流れが激しくなっていますね。極度の緊張状態ですよ」


「そんなこと、わかるわけがないだろ!」


「いえ、私、地獄耳なので」


「それは……意味が違うだろ! いや…そんなことはどうでもいい…、俺は──」


「証拠は揃いました。観念しなさい!」


「違うっ! 俺はやっていないっ………!」


「犯人さんは、いつもそう言うんですよね──」






 ▦ ▦ ▦ ▦ ▦






【報告書:重要機密情報】


 本報告書は、国家機密プロジェクト「丹 禎代」に関する重要な進捗報告です。

 本プロジェクトは、超高性能アンドロイドの開発を目的としており、特に人間に極めて近い外見と行動特性を持つことが求められています。この度、事件発生後の迅速かつ正確な犯人逮捕を目的に、初の実用試験を実施しました。


 実用試験において、アンドロイド「丹 禎代」は、事件現場に到達後、周囲の状況を迅速に分析し、現場に残された証拠を効率的に収集しました。その後、収集した情報を基に、わずか十数分で犯人を迅速かつ正確に特定することに成功し、予想を大きく上回る成果を挙げました。人的捜査による裏取りも完了し、犯人の特定には間違いがないことを確認しています。


 これらの結果は、アンドロイド「丹 禎代」の実用性と有効性を強く証明するものであり、今後のさらなる活躍に大きな期待が寄せられます。速やかな犯人逮捕と証拠収集の精度が示す通り、プロジェクトは予定通り順調に進展しており、引き続きその成果を最大限に活用することが重要です。






 ▢ ▢ ▢ ▢ ▢






 宮六地は留置場の冷たい床にひとり、深く沈み込むように座り込み、心の中で苛立ちと絶望が交錯していた。

「くそっ…。俺は無実だ。だが…誰も俺の話なんて信じちゃくれねぇ…。確かに、確実な証拠が揃って、俺の犯行は疑いようもない…。だが…、俺は俺自身のことをよく知ってる……俺はやってねぇ……」


 宮六地は思わず床を力任せに叩いた。

「ちくしょう…、丹 禎代、あいつは……。超高性能アンドロイドだって……ふざけやがって」


 顔を歪め、怒りと焦りが交錯する。

「何が超高性能だ───違う、超高性能だからこそか…………、あいつ、しやがった……。自分の存在価値を高めるため、自分の成果を上げるため、早々に手柄を立てるために、俺を嵌めたに違いない……」


 宮六地はもう一度床を叩いた。


「俺は本当に無実なんだ……………」


 宮六地は次第に深い失望の淵へと沈み込んでいく自分を感じていた。






 ▩ ▩ ▩ ▩ ▩






 広々とした部屋に、二人の男が対峙していた。

 一人は重厚な机を前にどっしりと腰を下ろした恰幅の良い男。もう一人は、細身で眼鏡をかけた男が、その机の前に静かに立っていた。


 眼鏡の男が、慎重に言葉を選びながら口を開く。

「……これで、本当に良かったのでしょうか?」


 椅子に座る男は、わずかに尊大な口調で応じた。

「ああ、それでいい。宮六地くんは正義感に溢れた刑事だと聞いている。正義感はもちろん大切だ。だが——彼は行き過ぎた。知ってはならないことを知ろうとしている。正義は、ときに毒にもなるのだ」


「……はい」


「彼の正義感が、この組織そのものを脅かしかねない。もしこの組織が揺らげば、それは、この国の治安維持にも直結することになる……わかるな?」


「……承知しています」


「しかし……くくく……」

 男はふと笑いを漏らしながら、机の上の書類を指でトントンと軽く叩いた。

「知っているか? 宮六地くんの名前を」


「はい……、"みやむじつとむ"です」


「ああ、そうだ。"無実"という言葉が含まれている。皮肉なものだな……」


 眼鏡の男は小さく息を呑んだが、黙って頷くだけだった─────




 〈了〉

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