貝を割る

銀色小鳩

貝を割る

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 飛び起きて周りを見回す。

 いやな笑いをする、クラスの女子も、いじわるな男子もいない。自分の部屋だ。


 いつからだろう、あの夢を見始めたのは。最初は、低学年か、幼稚園のころだったような気がする。3回同じ夢を見たところで、私はああ、3回目だ、とカウントを始めた。


 クラスの子たちと一緒に電車に乗っている。黄色い電車内はうきうきと楽しそうだ。私は端っこにちょこんと立って、バーに掴まっている。遠足なのかもしれない。外は眩しいくらいに太陽の光をちらちらと反射する海が拡がっている。


 だんだんと。気づかないくらい、だんだんと。


 私の足は、床についているのが難しくなってくる。電車の速度がいつの間にか上がっている。バーに掴まっているのがやっとで、体が宙を泳ぎ始める。

 でも、まわりのみんなは、めいめいが余裕の表情で、「普通」に電車に乗っている。外を見る者、おしゃべりする者、ぼうっとする者、荷物をさぐって何か取り出そうとしている者。普通に床に足がついている。


「普通」


 そう、これは、「普通」列車だった。


 どうして。

 どうしてみんな普通にできるの。

 どうして。


 こんなに力を入れて、振り落とされないように私はこの電車の中で必死なのに。


 他の子たちがみんな普通にしているのに、なぜか、私だけ、そうできなかった。溺れるように体が宙を泳ぐ。私だけが慣性の法則に乗れない。


 いつしか私は独り砂浜を歩いている。さっきまでの焦りと筋肉のこわばりを溶かすように、足を包み込む砂はやさしくさらさらと崩れる。皆と一緒に行くのをやめたのだろう。ぼんやりとした薄曇りの空は太陽の光を覆っていた。あのぎらぎらとした、まるで悪口を言う女子の笑顔のような痛みのある光は鋭さを弱めている。生まれる前に温度を感じたとしたら、このような体感だろうか。雨でも晴天でもない生暖かさが肌を包む。海と陸の、押し寄せては侵食しあう境界線の上、ぼんやりと、どこまでが陸で、どこまでが海だろうと思う。


 やがて、眼光の鋭い少女が現れる。ひととき睦まじく語り合ったあと、私は彼女に告白するのだ。


「実は、私、貝なの……」


 なぜ、自分がそんなことを言うのか、合点がいった試しがない。


 貝だから、閉じこもっている?

 貝だから、動けない?

 そもそも貝だから、人間と一緒には行かない?


「どうして、そんなこと私に話すの?」


 少女はそう言って真顔になり、大きな金槌を振り上げる。ひゅっと空を切る音に続いて、貝が割れる破壊音。


 あっと思った時には、割れた自分の殻が、やわらかな生身の体に刺さって来る――金槌で割られた衝撃でいつも飛び起きる。


 今思えば、これは、幼少期に自分でははっきりとは意識してないなりに、うすうす感じていた劣等感や苦しさが見せた夢だったのではないだろうか。「普通」の人々の生活についていけない、という実感が見せた夢ではなかっただろうか。


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 だけど、思い出すのは、9回目ではない。


 息子が支援級でない場所で活動することを思うとき、もしこの子を「普通」級に入れたらどうなるだろうと思うとき、自分が幼少期から時々見た、慣性の法則に自分だけが乗れない夢を思い出す。バーに掴まっているのが精一杯のしんどい夢を。そして、その夢と必ずセットで続く、電車から降りて海岸を歩く夢、貝として割られる夢を。


 割った少女は自分自身なのか、悪意ある他者なのか。痛くて、怖いものに見えていたのか。

 電車もギラギラとした鋭い太陽の光も、金槌も、人間も。


 この電車に乗り続けるのは、無理だ。私は、普通の人間と一緒には、行けない。

 人間とは話せない。何かを話せば、「人間」に割られてしまうかもしれない。


「どうして、そんなこと私に話すの?」


 どうして?


 ほとんど声を発することができなくなっていても、言葉を紡ぎはするんだよ。貝だって。


 雑談が苦手になっているときでも、文章は書こうとすること。これを書きながらなぜか涙が出そうになっていること、何度も見る夢であることを考えると、この夢には、それなりに深い心理があるのだろう。


 私は割られたかったのか。貝の身はどうなったのか。もし続きがあるとしたら――海に混ざったのか。あの少女は何なのだろう。


 夢はまだ、謎のまま。

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貝を割る 銀色小鳩 @ginnirokobato

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