第3話 幸せになっても良いのかな

 文を開くと流麗な女性の筆跡で一言、「ありがとう。あの桜の下で待っています。理緒」と記されていた。


 葉月は金輝を見た。どうやら金輝宛の女性の文、しかも……。


「これ、たぶん恋文ですよね」

「ああっ、やめてください奥さん!」

「へえ。理緒りおさん? どなたです? 桜の下で会えたんですか?」

「もう!」


 彼は大きく首を横に振った。


「……遅刻していったら、蹴り飛ばされて袋詰めにされちゃったんですよ」

「……え?」


 詳しく聞けば、金輝の経験したことは葉月の見ている夢と全く同じ内容であった。

 詳しいことは明かさないが、理緒という女性と桜の樹の下で待ち合わせをしていたこと。理緒がしびれを切らし、「遅い! いい加減にしなさい!!」と蹴り飛ばしてきたこと。最終的に袋詰めにされたこと。


「こんなワタシにも恋人がいた時期はあったんですヨ。向こうは恋人だと思っていなかったでしょうけど。向こうはとんでもなく聡明で頭の切れる女性だ。こちらは人の心が読めるだけの浅はかな人間」

「しかも黄金色ですしね」

「失礼な! この黄金色は幸運を呼び寄せる力があるのです!」

「怪しい話は信じないようにしてるんで。で、その女性とはどうなったんです?」


 金輝は爽やかに、


「内緒です!」

 と笑顔を浮かべた。


「それより朔夜クンを呼んできますね。ちゅーしましょう!」

「やめ、やめてくれます!? そういうの!」


 全身が茹蛸ゆでだこのように真っ赤になった葉月は、大きく首を横に振った。

 金輝は足取り軽く廊下へと消えた。


 葉月は考え込む。あの夢は金輝の記憶だったわけだ。であるならば、葉月がどうして巻き込まれなければならないのだろう。



 ***


利織理緒としおりりお


 部屋に入ってくるなりの金輝の言葉に、朔夜はびくりと肩を震わせた。


「……なんですか、師匠」

「朔夜クンが心に思う相手〜。美しくて聡明で、誰よりも優しい強い女性だった。異能の力は薄かった」

「……」


 彼はうつむき目をそらした。


「彼女に申し訳ないと思ってるんでしょう。彼女が死んでしまったのに、自分は幸福になっていいのかと。それが葉月サンを苦しめることになろうとも」

「師匠!」

「葉月サンの心に、ちょいとヒビが入っているかもしれないねえ。このヒビ、広がるとかなりまずいんですよ」


 朔夜は顔を上げた。


「ヒビ?」

「うーん、朔夜クンはわかるんじゃないの?」

「……理緒さんは僕の庇護者でしたから」

「話しちゃったら? 彼女のこと。葉月サンに」

「……師匠は構わないんですか?」

「どうして? ああ、ワタシから話そうか?」

「なんだかとても嫌です」


 はあ、仕方ない、と朔夜はため息をついた。葉月を今夜自分の部屋に呼ぼう。


 ***


 夜、白練しろねりの肌着を着た葉月は緊張した面持ちで朔夜の部屋の布団の前に座っていた。


(やっぱり忘れてた……?)


 うーん、適当な人だと思っていたけれど、やっぱり適当だったんだなあ、と一礼する。

 襖が開かれ、衣擦れの音とともに同じく肌着姿の朔夜がやってくる。


 ——……。


 しっかりした首筋、肌着の襟からのぞく広い胸、なによりも葉月と別の種類の生き物であるかのような質感。首筋にかかる髪の艶やかさ。


 ——えっ。まって。私、この人とどうにかなるの?


 一緒に寝る!? と彼女は悲鳴をあげそうになった。


「あっ」


 朔夜が葉月の前に膝をついた。手を頬に伸ばしてくる。全身の感覚が研ぎ澄まされ、頬が熱くなった。目の前の朔夜がいつもとは違う。なんだかとても「男性」に見える。


「いっ……」

「葉月ちゃん?」

「あ、あうあう」


 泡を吹きそうになる。腰が抜ける。朔夜が手を回して身体を支えてくれなければ、そのまま倒れていただろう。


 ——こ、腰に手が回って、み、密着してるぅぅぅ!!


 恥ずかしさに包まれて、気がおかしくなりそうだった。身体中が熱くなって溶け出してしまいそうだ。


「葉月ちゃん、おーい、葉月ちゃん? あ〜、だめだこれ」


 クラゲのようにぐにゃぐにゃになって泡を吹き始めた葉月を、朔夜は抱き上げ布団に寝かす。


 こんなところでヘタれている場合ではない、と葉月は体を起こして「……よ、よろしくお願いします」と朔夜の手を掴んだが、声がかすれていた。


 頭をぽんぽんと優しく撫でられる。


「今日は話したいことがあって呼んだだけだから。それ以上のことはしないから平気だよ」

「……話したい、こと?」

「うん。五家騒動の話」


 ふっと頭が冷静になる。葉月は体を起こし、姿勢を正した。


「僕は、利織理緒という女性をかばった」

「……」

「梅倉家は利織家の分家でね。しかも理緒様は真山金輝先生とならぶ僕の師匠だった。利織家当主でもあって……まあ、おばあちゃんみたいな存在だったんだ」

「おばあちゃん、ですか」

「うん。僕が結婚して子供を儲けるのを楽しみにしてくれていた。でも、目の前で惨殺された。思い出したくもない。惨殺だ。葉月ちゃんには詳細を語りたくないけど……」

「直白清零様にですか?」

「いや、清零は直接手を下していない。真山由衣さなやまゆいという娘を妻に迎えた。彼女はどうしてか真山家でとてつもなく虐げられていてね。清零はそんな彼女を救った。そのかわり、彼女は恨みと夫の依頼のままに人の心を操れる力で五家を操り、争わせた。理緒様は他の家の人間に囲まれて無能と言われながら死んでいったよ。僕は力及ばず守れなかった」


 言葉を失う。


「どうしても理緒様の死を思い出してしまって、いざとなるとその気になれない。理緒様があんな亡くなられ方をしたのに、自分だけが幸福になってもいいのかと思ってしまう」


 葉月はその瞬間、自分がバカだと思った。


「あの、すみませんでした」


 朔夜に頭を下げる。


「私、なんというか、旦那様と夫婦になれないのは、魅力がないせいかなあとか軽いこと考えてました! ……ごめんなさい! ごめんなさい!!」


 次の瞬間、葉月はぼたぼたと涙をこぼしていた。

 自分の親友のせいで尊敬する人がむごたらしい形で殺された。自分は守れなかった。

 そんな薄暗い気分を抱えた中、結婚なんて気が進まなかっただろう。でもそんなのをおくびにも出さずにいた朔夜に甘えていた。


「泣いてくれるの? 理緒様のために? ……珍しいね」


 涙は止まらない。自分は浅はかだ。

 葉月の頬にこぼれていく涙を、朔夜が吸った。


 

 翌日。

 葉月と朔夜は金輝とともに、ある墓の前に立っていた。

 利織理緒の墓だ。


「いやあ、理緒殿〜、朔夜クンが結婚したよ」


 金輝が墓に水をかけながら言った。

 朔夜は墓の前で顔を真っ青にしていた。


「理緒様」


 彼は大きく墓の前で頭を下げた。


「……お守りできず、申し訳ございませんでした」


 葉月は朔夜のとなりで彼を支え、背中を撫でた。


 ***


 懐かしく愛おしい理緒の墓の前で、弟子の朔夜が泣きながら何度も謝っている。

 理緒を守りきれなかったのは金輝も同じだ。

 だからこそ強く思うのだ。朔夜と、とくに清零を導かねばならないと。

 

 今日もきっと、あの夢を見るだろう。

 どうやら朔夜とその妻にどういう理屈あってか、真山家の能力の常か、伝染してしまったらしい夢を。


 幸せだったころ、逢瀬の約束に遅刻して、理緒に蹴り飛ばされ、袋詰めにされる夢を。


(おわり)

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嫌われ者異能者は旦那様に溺愛……されている? 肆 もも@はりか @coharu-0423

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