夢の恋人

無雲律人

夢の恋人

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 その夢の中で、僕はいつも君に手を伸ばす。君は天真爛漫に花畑の中を舞い踊り、ピンクのスカートをひらひらとさせて、そして僕の方を向き手を差し出してくる。そしてその手を掴もうとする所で目が覚める。


 君は、誰なんだ……?


 頬を紅潮させた君。優しいまなざしを向ける君。僕に笑いかける君。でも僕は君の正体を知らない。


 もう、9回だ。9回もこの夢を見ている。半年で9回はとんでもないペースだ。いつ、君に出会えるのだろうか……?


***


「大将! 生お代わり!」


 こいつ、ケイは僕の悪友で飲み友達でもある。中ジョッキを煽る仕草はおっさんそのものだが、一応生物学上は『女』だ。


「ったくなぁ、しけた面してんなほまれはよ。夢の中の女ぁ? そんなんどっかの芸能人だろ?」


 このやたら男らしいからしたら、夢の中の彼女はこんなぞんざいな扱いをされてしまうものなのか。


「でも、僕にとっては大切なひとなんだよ。何せ9回も夢に出て来てるんだぞ。ただならぬ縁を感じるんだよね」


 21時の居酒屋のざわめきは最高潮で、僕たちの会話なんてかき消されてしまいそうになる。


「そんな、夢の中の知らない女より、現実を見ろって」

「現実? 現実を見たって彼女よりいい女はいないが?」

「……いるだろ、ここに……」

「は?」

が、いるだろ!?」


 驚いた。ケイがそんな目で僕を見ていただなんて。


 僕はどちらかというとケイよりも男らしくなくて、ヒョロガリで、頼りない感じの優男なんだけど、そんな僕にケイが想いを寄せているだって?


「何かの冗談でしょ?」

「冗談でこんな事言えるかよ! 察しろよ! おい、出るぞ!」


 ケイに急かされて割り勘で会計を済ます。まだ21時なのにお開きになるのは珍しい。大抵ケイとは終電コースなのに。


「お前んち連れてけ」


 店を出ると、ケイにそうせっつかれた。


「僕んち? 一人暮らしだって知ってるよね? さすがのケイだって、一人暮らしの男の家に女性が一人で訪ねて来る事の意味分かってるよね?」

「分かってるさ……! だから……!」


 そこまで言うと、ケイは僕の口を唇で塞いできた。


 あ、意外と柔らかい……。


 そんな事を考えていた。


***


 朝、僕のベッドには裸のケイがスヤスヤと眠っている。


「……しちゃったなぁ……」


 夢の中の君に面目が立たない。君がいるというのに、僕は女友達と寝てしまった。


「ん……誉、もう起きてるのか?」


 ケイが目を覚ます。


「ごめん! ケイ!」


 僕は衝動的に彼女に土下座をした。


「ごめん! 女友達にこんな事しちゃってごめん! 僕は昨日どうかしてたんだ!」

「え……? え……? どういう事?」

「だから、僕は、こういう事をしてもケイの事をとしては見れないというか……その……」

「私は、セックスをしてもなお夢の中の女に勝てないって事か?」

「……そういう事になります……ごめんなさい!」


 ケイの大きな瞳から涙が零れ落ちる。


「帰る!」


 ケイは急いで支度をすると、嵐のように去って行った。


 僕の心の中には、モヤモヤとしたおりのようなものが流れ落ちていた。


***


 あれから三カ月。四月だ。外はソメイヨシノが満開で、あちこちの花見スポットで宴会が催されているようだった。


 ケイとはあれから連絡を取っていない。でも、今日開催される大学のサークル主催の花見にはケイも来る予定だった。


「お前、最近のケイ見た事あるか?」


 サークル仲間の一人に声を掛けられる。


「さぁ? 最近ケイとは会ってないから。ケイがどうかしたの?」

「あいつ、前は常にジーンズにロンTで、言葉遣いも男勝りの豪傑だったじゃん? それがさ、今じゃスカートにブラウスですっかり女らしくなっちゃってさ……」

「そうなの!?」


 ケイに何があったんだ? そんなのらしくないじゃないか。あの後、恋人が出来たとかなのかな!?


 その時だった。桜吹雪の中から、が現れた。


 ピンクのスカートをひらひらとさせて、優しいかんばせを僕の方に向ける。桜の花びら一枚一枚を愛でるように手で掬い取り、そしてまたそれをくうに放つ。


 ああ……夢の中の彼女だ……。


「ケイ……君だったんだね……」


 前よりも伸びた髪の毛をフワフワとさせたケイが、僕に手を伸ばす。僕はその手を掴む。


「君だ……君だったんだ……夢のひとは、君だったんだ……」


 ケイは僕を見付け、そして微笑む。


 僕は人目もはばからず、ケイを抱きしめ、そして囁いた。


「探してた。ずっと、探していたんだ。こんなに近くにいただなんて……」


 その夜、10回目のあの夢を見た。


 僕の手は、彼女に届いた。彼女の手を放すまいと、必死に抱き寄せた。


 そして目を覚ます。隣には君がいる。


「ケイ……もう離さないよ……」


 スヤスヤと寝る君の額に口付けを落とす。


 まさか、こんなにも近く夢の君がいるとは思っていなかった。僕の想い人がこんなに近くにいた事に全く気が付かなかった。


 遠回りをしてごめん。


 もう、君を離さないから。


 そして僕は、大切な君を抱きしめ、夢の続きを見ようとまた眠りについた──。



────了

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