北乃家毛髪談義【KAC⑦ 4】

関川 二尋

北乃家毛髪談義

 あの夢を見たのはこれで9回目だった。

 だったと思う。

 いや、もっとか……


   ✂


「あ、ああっっっ!」

 その朝、わたしはちょっとした悲鳴とともに、布団を跳ねあげた。

 胸がドキドキしている。

 それからそっと頭に手を触れる。

 よかった。まだあった。

 あれが夢だったことに安心する。


   ✂


「どうしたの? 怖い夢?」

 どうやら悲鳴で起こしてしまったらしい。

 妻のかな子が心配そうに声をかけてくれる。


「ま、まぁね。ちょっとだけあせった」

 にっこりと笑って答えると、かな子がわたしの頭を撫でてくれた。

 その手の感触にやっぱり安心する。


「またあの夢でしょ? 気にすることないのに」


   ✂


 いつの頃からだろうか?

 髪がなくなる夢を見るようになった。


 大抵は同じパターンだ。

 会社に行く前の朝、いつものように洗面所で顔を洗い、ふと鏡を見あげると見慣れない顔がこちらを見ている。違和感の正体はすぐにわかる。あるはずのものがない。あったはずのものがない。

 鏡に映るのは落ち武者のように髪がなくなった頭。前髪も頭頂部もツルツルで横だけ髪が生えている。いつの間にこうなっていたんだろう? それとも前からなのか? 夢の私には判断がつかない。

 仕方ないさというあきらめの気持ちと、気恥ずかしい気持ちと、笑われるんじゃないかなという恐怖がないまぜになったパニック。


 そして自然と漏れ出す小さな悲鳴……


 たまにそんな夢を見るようになった。


   ✂


「なんか最近、そんな夢を見ることが多くなって」


 今日は男三人でスペインバルに来ていた。

 メンバーは私と義父の要三郎さん、娘婿の小森君である。

 乾杯のビールも飲んで、ゆっくりとハモンセラーノとピクルスをつまみにボトルワインを楽しんでいる。


「まぁ、サラリーマンやってて禿げない方がおかしい、って話もあるけどね」

 そういう要三郎さんはウェーブのかかったふさふさのグレーヘアだ。

 この先もそういう心配はなさそうなタイプである。


「まぁ苦労しているつもりはないんですけどね。まぁ歳とったら自然とそうなるってのも分かるんですけどね」

「でもやっぱりあきらめきれない、ですか?」

 と小森君が聞いてくる。小森君は……どうだろう? なんかバリっとした髪で、わたしの若い頃によく似ている気がする。


「せめて白髪だったらなって。小森君は気にならないのかい?」

「なんか薄くなったら坊主にすればいいかなって。今も三奈さんに定期的にボウズにされてますから」

 そういえば、小森君の髪、娘の三奈が切ってるって言ってた。厳密には切るじゃなく、刈るみたいだけど。


   ✂


「そういえば海藻類は髪にいいって言われてなかったっけ?」

 と、要三郎さん。ちょうど目の前にはその海藻をふんだんに盛り付けたサラダが運ばれてきたところだった。これはたぶんスペイン料理とは関係なさそうだけど、ワインとの相性は抜群だ。


「あの話は最近聞かないですね。それにどうも違うって話もあるみたいで」

「そうなんだ? なんかいろいろとアップテートされすぎて、昭和の常識がことごとく壊されていくな」


 なんて話をしていると、なんか悩んでいたこともどうでもよくなっていく。

 髪があろうとなかろうと私は私だし、外見がどうであろうと中身はずっと私のままなのだから。


「お、カルパッチョが来たぞ。今度は白ワインをたのもうか」

「スペインバルって初めてですけど、ワインもつまみもメチャうまです!」


 それでもちょっと引っかかってしまうのは、カッコつけの自分がまだ心の隅っこにいるからなのだろう。たぶん誰も見てないし気づきもしない、自意識過剰なだけだってことも分かってる。ちょうどこのおしゃれなバルで男性三人でワイワイやってるのを誰も気にしていないように。


   ✂


「そういえば、毛生え薬と風邪薬が発明されたらノーベル賞だって話ありましたよね?」

 小森君は少し酔ったみたいで、さっきからホタテのアヒージョにパンを浸し続けている。ちなみにこのアヒージョ、ホタテのうま味とニンニクの香りが効いていて実に美味しい。付け合わせのポテトがまたホクホクで最高だ。


「あったねぇ、そういう話。でもそう聞くと発明されない気がしてくるね」

「でもネットの広告なんてそんなのでいっぱいですよ」

「お試しで三か月ってやつだろ? 二万円くらいで」

「試したことあるんすか?」

「昔ね、ちょっと抜け毛が多くなった気がして心配で」

「どうでした?」

「分からなかったよ、そのうちめんどくさくなっちゃった」


「まぁ相手も商売さ。ガマの油売りと同じようなものなのだろう。売り口上が上手だとつい買ってしまうのが人のさがなのさ」

 要三郎さんの言葉はなんか深い。


   ✂


「そういえばダイエット商品も昔から広告が多いですね」

「あれも効くのか効かないのかよく分からないところあるなぁ」

「痩せなくてもいいのに、って思いますよね、男性としては」


 小森君の言葉にわたしたちは三人ともうんうんとうなづく。


「でも三奈ちゃんはそういうの結構好きなんですよね。たまにネットでは見つけては試してるんですよ。どれもお試し期間でやめちゃうのに」

「効果はあるの?」

「ないですね、たぶん、ぜんぜん。ちょっと減ってもすぐに戻るみたいだし」


   ✂


「まぁ髪も同じようなモノなんじゃないかな。気にすることないんだよ」

「気にしたってどうなるものでもないですしね!」

 この二人は明るく励ましてくれている気がするけど、なんか微妙に引っかかる気もする。そんな思いはワインと一緒に流し込む。


 うん。ちょっと酔ってきたかも。


「そういえば、フランス人は多いらしいですね、髪の薄い人」

 なんか『ハゲ』って言葉を使うことには抵抗のある私。

 そんな私に気づいてか、その言葉だけは出てこない。

 そういうところに二人の優しさを感じてしまう。


「それ聞いたことあるな。南国の人は少ないっていうし」

「やっぱりストレスなんですかね?」

「フランス人はストレスが多いってこと? それはないんじゃないかな」

「いや、フランス人近くにいないので知らないですけど」

「でもジダンはカッコよかったですね!」

「ああ、ああいうのに勇気づけられるね、マイケルジョーダンとか」

「彼も昔はアフロだったんですよね? 薄くなったんでボウズにしたとか」


 三人だと話がゆっくり脱線していくのもいつものことだ。


   ✂


「まぁだいたいだね、体毛が薄くなるってことは進化の証明って話もあるんだよ。ここまで体毛の少ない生物は人間だけだからね。君は進化の最前線にいるんだ」

 あれ。要三郎さんも珍しく酔っているみたい。


「それ、聞いたことあります。でも体毛が薄いのは、幼児のまま成長してしまったからという説もありましたよね。そのまま成長を止めてしまったって。だから体毛が生えてこないって」

 とは私。まぁ外見はともかく、精神年齢だけは昔から変わらない気もしている。


「よく知ってるね。そう。どっちも進化の証明なんだよ。子供のままでいることが進化するってこと。これはこれで興味深いと思わないかね?」

「まぁ今の人類ってやっぱり子供じみたことしてるってことなんでしょうね」

「そう、いつまでも止まない戦争とか、集団で誰かをとっちめるとか、他人のことを理解しようとしない自己中心的なところとか。子供じみたところが抜けないのはそのせいかもしれないよ」


「なるほど。深いですね……」

 小森君はうんうん、とうなずいている。


   ✂


 なんか髪の毛の話からずいぶんと遠くまで来たけれど、これはこれで面白いものだ。いろんな人の話を聞いて、いろんな人の話をして、自分の見聞を開いてゆく。


 わたしたちは三世代にわたってずいぶんと歳も離れている。それでもこうして美味しいお酒と食べ物を通していろんな話をすることができる。


 今はそういう機会が減っている気がする。

 会社の飲み会も行かない人が多いと聞く。

 親戚の集まりだって行かなくなっている。

 見聞きするのは同じ価値観を持つネットの情報ばかり。

 こういう流れはあまりよくないと私は思うのだ。


 


 年の離れた人と話をすること、相手がどういう価値観をもっているか理解すること、なにも仕事ばかりじゃない、どんな話だっていい、それこそ髪の悩みだっていい、違う価値観にたくさん触れること……


   ✂


「……たくさん触れること……それが大事なんですよね」


「北乃君、ずいぶん酔ったみたいだな。そろそろお開きにしようか」

「あれ、なんかすみません。でもなんかとても楽しい時間でした」

「僕も勉強になりました」


「ま、髪のことは悩んでも仕方のないことだよ。気になったらさっぱりボウズにすればいい。北乃君は頭の形がいいからきっと似合うよ」

「それ、かな子にも同じこと言われました」


「ま、髪がなくなったところで、わたしも君もなにも変わることはないんだ。だから不安になることは何もない」


 お義父さんの言葉はなんだかすごく胸にしみる。

 自分でもそれがはっきりと理解できる。


 それでも、


 たぶんまた同じ夢を見るんだろうな。


 でもそうなったらそうなったで、またこの店で悩みを聞いてもらおう。



 ~おわり~

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