夢の中で、きみは幸せでしたか?【KAC20254 あの夢を見たのは、これで9回目だった。】

えもやん

第1話 君は幸せでしたか?


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 どこかで聞いたことがあるような、けれども知らない場所。薄曇りの空の下、広がる緑の草原に赤い風車が一つだけぽつんと立っている。その風車の前に、君がいる。白いワンピースを着て、風になびく髪を抑えながら、こちらを振り返る。柔らかく笑って、何かを言おうとするのに、風の音がそれを全部さらっていく。その瞬間、いつも目が覚める。


 その夢を見るたびに、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。まるで、何か大事なことを思い出しかけているような、けれどもそれが何なのか手が届かないもどかしさ。起き抜けに深く息をつくたび、頬に涙が伝っていることに気づく。


「また見たのか?」


 コーヒーを飲んでいると、ルームメイトの拓が不思議そうに尋ねてきた。彼は俺がその夢の話をするたびに、半分呆れたような顔をする。


「9回目だ。忘れようとしても忘れられない」


「そんなに同じ夢を見るなんて、運命とか言い出すんじゃないだろうな」


「運命っていうより、呪いに近いよ」


 俺は冗談めかして言ったが、心の中ではどこか本気だった。夢の中の君の顔は、どうしてこんなにも鮮明で、どうしてこんなにも懐かしいのだろう。現実では一度も会ったことがないはずなのに。


 拓は肩をすくめて、新聞をめくった。


「ま、夢なんてのは脳が適当に作り出してるだけだろ。気にしすぎるな」


 そうかもしれない。そうだと頭では分かっている。けれど、この夢の中に漂う既視感と喪失感だけは、どうにも説明がつかない。


 ---


 その夜、俺はまた夢を見た。


 草原に立つ赤い風車。白いワンピースの君。風の中で何かを伝えようとするその唇。9回目と同じ光景。だけど、今回は違った。目が覚める直前、君の声が風に乗って、ほんの一瞬だけ届いたのだ。


「……待ってて……」


 言葉は途切れ途切れで、全てを聞き取ることはできなかったが、確かにそう言った気がした。目覚めた後も、その声が耳に残っていた。心臓が早鐘のように鳴り、思わずベッドから飛び起きた。


「待ってて、って……?」


 意味を考える間もなく、胸の奥から込み上げる感情に飲み込まれそうになる。君のことをもっと知りたい。夢の中のあの場所に行きたい。そう思った瞬間、頭に一つの景色が浮かんだ。


 ---


 翌週の休日、俺は電車に乗って田舎の小さな町を訪れた。浮かんだ景色、それは子供の頃に一度だけ訪れた祖父母の家の近くの草原だった。風車こそ記憶にはなかったが、夢の中の風景と何かが重なり合う気がしてならなかった。


 町に到着すると、どこか懐かしい空気が漂っていた。駅前の小さな商店街を抜けて、舗装されていない道を歩く。やがて視界が開け、草原が広がった。そして――


「……あった……」


 夢で見た通りの赤い風車がそこに立っていた。現実に存在していることに驚くと同時に、胸の奥に込み上げるものがあった。風車の前に向かうと、そこには古びた石碑がぽつんと置かれていた。苔むした表面をぬぐい、刻まれた文字を読む。


 **「きみは幸せでしたか?」**


 その一文を読んだ瞬間、記憶の扉が音を立てて開いた。


 ---


 あれは10年前の夏だった。俺はこの町で、君と出会った。


 君は隣町から引っ越してきたばかりで、最初は少しおとなしい子だった。けれども、話してみると明るくて、笑顔が可愛くて、一緒にいるといつも楽しかった。俺たちは毎日のように遊び、草原で寝転び、未来のことを語り合った。


「大人になったら、またここで会おう」


 君はそう言って笑った。俺も頷き、約束を交わした。けれど、その約束は叶わなかった。君が突然、病気で亡くなったからだ。


 君がいなくなった後、俺は忘れようとした。悲しみが深すぎて、思い出すことすら耐えられなかった。君との思い出を心の奥底に封じ込め、自分の記憶から消し去った。それでも、君は夢の中でずっと俺を呼び続けていたのだ。


「きみは幸せでしたか?」


 石碑に刻まれた言葉が胸に突き刺さる。俺は幸せだったのだろうか。君との時間は確かに幸せだった。けれど、君のいない日々の中で、俺は本当に幸せだったのだろうか。


 涙が頬を伝う。


「俺は……君といられたあの夏が、人生で一番幸せだったよ」


 風が吹き抜ける。夢の中と同じように、草が揺れ、風車がきしむ音を立てる。その中で、ふと声が聞こえた気がした。


「ありがとう……」


 君の声だった。振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。ただ、どこか温かい感覚が胸に残っていた。


 ---


 それ以来、あの夢を見ることはなくなった。けれど、俺の中で君はずっと生き続けている。草原の風車を訪れるたび、君と過ごした幸せな日々を思い出す。


「きみは幸せでしたか?」


 そう問われたら、俺は迷わずこう答える。


「君と過ごしたあの夏が、すべてだったよ」

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