コーヒーの夢、叶えてやんよ
唐灯 一翠
俺と後輩の2週間
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
パソコンの右上に貼られた付箋に、頭の中が疑問符だらけになる。会議の時間でも、締切スケジュールでもなくポエムみたいなメモ。朝から変なの見たなと席へ座ると、左隣の椅子が引かれた。
あまり見ないロゴの蓋付きコーヒーを手にするのは、後輩社員。とは言っても、天気の話しかしない二〇代の若手だ。昨年とうとう四〇を迎え、一年を雑にやり過ごす独身男と違い将来有望だろう。
「おはようございます」
「ああ、おはようさん」
目が合うといつも通り挨拶だけして終わる。気まずいとかはないが、会社内でこのWEB制作の部署はとりわけお互い無関心だ。なぜなら、上司が運動系の熱血人間なせいで、朝はとにかくテンションをゼロにし、一日のパワーを温存する他ないから。月曜日は尚のこと、精神統一してドアをくぐる。
「おはよう! 今週も皆んなで乗り切るぞ!」
冬でも無駄に熱い上司を尻目に、俺たちの一週間が幕を上げた──。
火曜日。
あの夢を見たのは、これで10回目だった。
また後輩より早く着き、無人椅子で丸出しのメモに足がぎこちなく止まる。存在に気付いたのは昨日だがまだ貼ってあるとは。でも数字が違う。カウントアップシステムなのだろうか。
水曜日。
あの夢を見たのは、これで13回目だった。
先に出社していた彼に挨拶される。軽く返し、後ろを通るがてら見ると何やら不吉な数字が。良くないことでも起きたりして。が、特になく杞憂に終わり後輩は帰っていった。強いて言えば、帰宅途中で赤信号が多かったな。何で俺が数字の影響を被ってる?
木曜日。
あの夢を見たのは、これで45回目だった。
急に爆増した数字に思わず二度見する。この一日で何があった、青年よ。しばらくすると、いつもよりルンルンと明るい後輩が入って来た。その手には、また知らないロゴの飲み物と香しいレジ袋。
ずっと眺めていたからか「あの、朝に失礼します」と断りを入れられ、始業前に腹ごしらえする。サンドイッチを
金曜日。
あの夢を見たのは、これで43回目だった。
カウントアップシステムじゃないのか。どういう基準か分からないが、昨日よりマイナスだ。でも左には元気そうな後輩が変わらずにいる。ただ会議前だからか、通常よりひと回り小さいサイズのコーヒーを選んだようだ。
土曜日。
あの夢を見たのは、これで46回目だった。
おお、過去最高に更新だ。心の中だけお祝いを手向ける。六日連勤のラストで、ふと彼のようにコーヒーで気持ちを引き締めようかと思い立つ。何となくだが、いつもより集中できた。後輩へ「また来週」と声掛けて一日が終わった。
日曜日。
当たり前だが、会社が休みならあのメモを確認できない。一週間は終わると早いものだが、そのルーティンに後輩のデスク周りをうろつく自分がいる。よくよく考えると、キモい行動なのでは? 今更なので止める気はないが。
新たな月曜日。
あの夢を見たのは、これで21回目だった。
おっとどうした後輩。気力の抜けきった姿を晒しながら座ってきた。よく見るとコーヒーではなく、有名コンビニチェーンの抹茶ラテ。甘い物の気分だったのだろうか。そして熱血上司による「仲間って大事だよな!」と挨拶が始まる。ただ、その日はいつもと違い何度も言っていた。
新たな火曜日。
あの夢を見たのは、これで13回目だった。
また不吉な数字だ。先週のように地味な不幸なら良いが、事故とかは笑えない。そんな机上の空論を広げたところ、荷物を置いて思考をシャットアウトさせた。しかし、トイレに向かっていた時、階段手前をフラフラ歩く後輩を見かける。
「おーい、下見ろ」
「えっ?」
そこでやっと、自分が段差スレスレにいたことを知ったようだ。「ありがとうございます」と飲み物片手にお辞儀される。そのコーヒーは、至福の顔をしていたお店のロゴではなかった。そこで、ほんの少し出来心が湧く。
「その店のコーヒーって美味いのか?」
「え、ええまあ。普通です」
「普通ね。いつもコーヒー持ち運んでるから、触発されて俺も最近飲むようになったよ。オススメなら買ってみようかと思ってさ」
「はあ。あのこれ、会社の真正面にあるところから買っていますので」
いつも挨拶以外に話さない人間同士。会話は当然ながら続かず、かつ俺にはこれ以上広げるトークスキルは無い。広げられるのは、デスクトップ内での文章だけだ。折角ならあの付箋について聞いてみることにしよう。
「君ってさ、毎日何か考えてる? 例えば夢とか」
「夢、ですか?」
朝から何言ってんだこのオジサン、みたいな顔で返される。やべ、そういえば俺トイレ行く途中だったな。早く行くか。
「悪い悪い。忘れてくれ」
「いえ、僕、夢があるんです。いつか自分の喫茶店を開きたい。だから喫茶店やカフェ巡りを週末はずっとしています」
突然のカミングアウト。朝のコーヒーもその研究の一貫なのだという。階段をバッグに、仁王立ちする後輩は真面目な口調で伝えてきた。あのメモ用紙にはそういう見えない夢があったのか。
「しっかり考えてて偉いね。付箋にも書いてさ」
「付箋? 何のことですか」
「何って君、夢を見た数字を毎日書いてデスクトップの端に貼ってるだろ。右上んとこに」
「僕、そんなこと一度もしていないです」
え、あれって俺しか見えてないの?
そんなこと現実としてあり得るか?
頭を掻くこちらを「ではまた」と端的に告げた彼は、行ってしまった。用を済ませ戻ると、パソコンの右上を眺めたり触ったりする後輩の姿が、前より近しい存在に思えた。
新たな水曜日。
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
ずっと減り気味だったが、これで振り出しだ。彼には明確な夢がある。でも、なぜなのだろう。この数字がいつリセットされているか分からないので、彼のどの時間帯のデータが反映されているか気になる。
先に座っている彼の後ろを通りながら、さりげなく見ていたらグリンと振り向かれる。見えますか。その一言。なので「九回夢を見たらしいよ」と伝えると、俯きながら「そうですか」と小さくお辞儀をされ、終わった。
新たな木曜日。
あの夢を見たのは、これで5回目だった。
ついに過去最低を更新した。どうやら後輩には本当に見えていないようだ。あと、気付かなかったけど彼が水曜日だけ出社が早いのは、寄りたいカフェが開いていないからだという。そこはコンビニを頼らないんかい。喫茶店の味を追う彼なりの執念、といった感じかな。
新たな金曜日。
あの夢を見たのは、これで3回目だった。
⋯⋯かと思えば二回とそれを行ったり来たり。リアルタイム更新だったのか。後輩が知らない様子だったのでもはや気にしてなかったが、未知の何かに興味が湧く。静かに感動して、通路を塞ぐ俺を他の社員が
しかしその日、左隣は結局埋まらなかった。熱血上司に渋々訳を聞くと「最近の奴はすぐ辞めるだなんだと生意気だ」と愚痴られる。仕事を完遂し、帰宅した俺は"ある段取り"をした。
新たな土曜日。
あの夢を見たのは、これで1回目だった。
物語の序盤なら希望があるような羅列を辿る。でも、残念ながら後輩は逆が正しいのかもしれない。だって朝礼前に呼び出され、皆んなの晒し者になりながら、社内に響く怒声を一身に受けているのだから。
「君みたいな子にも、上司や仲間が居るんだから辞めるなよ! 今どき、夢を叶えられる奴なんてそういない。そんな才能もないしさ!」
おそらく対面していたら、唇を噛んでいるであろう震えた拳を目の当たりにする。
そして、その瞬間──。
彼の夢が剥がれた。ゼロを刻んで。
「やめたいのか?」
全員が注目するその場へ向かう。落ちかけた薄い一枚を、まだ立っている背中へ叩きつけた。ギョッとした青年の、ブラックコーヒーより濃い髪が動く。一度も染めていないんだろうな。若いパワーは羨ましいよ。なんせ、オジサンの枯れたはずの夢を、引っ張ってくれるくらいだからね。
「夢、諦めんの? せめて一杯くらいは飲ませてほしいんだけどなあ。前払いで」
「ま、前払い?」
口端を上げ、内ポケットから封筒を取り出した。
「右に同じく、よろしくです」
「は⋯⋯⋯⋯はあ!?!?」
楽しい楽しい未来の切符。
白無地のそれに三文字が並ぶ。
いやあ人生初だね。退職届は。
「今の若い子は可哀想ですよ。五〇年くらい前なら、父親の稼ぎだけで家一軒建てることもできたのに、今では共働きが圧倒的に多い。そもそも、未来に何も憂うことなく夢を見れた方は幸せだと思いません? ホント、気の毒だと思いますよ」
いつも左にいる後輩。でも今は違う。
会社の席順に囚われないそちらを見やった。
任せとけ。この上司の扱いは俺の方がよく知ってる。できないことは先輩に頼っていいから。
「夢を見ることも、考えることも禁止されるんですか? 俺みたいな初老がかりからすれば、学生でパンデミックにあって、税とか物価も上がって、諸々スタートラインがきっつい状態から始まってる若手たちはめっちゃ応援したいですけどね」
あんぐり開いた口そのままの上司。
しかし、血液が煮えたぎり顔へ集中している。やや眩しくなってきた頭も含めると、茹でダコの調理過程みたいだ。でもこの人がメインディッシュじゃない。
「俺も会社辞めます。そろそろフリーランスになりたいんで。そして、この子がカフェ巡りする様子からSNS使って発信します。"皆んな"人なりから惹かれますからね。どんな思いで、どんな場所を作りたいのか。それで、喫茶店開いたらいの一番に記事にしますよ。ここでは随分とあなたに上澄み絞られましたから」
そこまで言い切り、程よく色付いた上司は爆発した。
「っざっけんなよお前ら! 誰が許すと」
「誰って?」
第三の声に急速冷凍する。
やっとお出ましだ。ここまで下処理したので、後は頼もう。昨日の夜に仕込んでおいたとっておきが、荒んだオフィスに戻って来た。
「え、あ⋯⋯涼宮部長」
「平野。俺が長期出張でいない間、変な朝礼してたらしいな。お前に良い土産話がある。能ある鷹は爪を隠すぞってことをよ」
タンタンと軽快にスマホを
「実はさ、このメンツの中で二年前に退職願を貰った奴居るんだ」
「ハイ?」
「んで、それがこの昨日送られてきた、後輩思いな報告主さん」
画面に映し出されたのは、上司のここ二週間の言動の数々。休憩室での会話や、退勤前に聞いて回ったものを片っ端からまとめた。流石はコピーライティングを磨く
「今回は仕方ないから任せたけどさ、元々はコイツが俺の臨時役だったんだぞ? 辞める予定なんでやりませんって降りやがったから」
「それはどうもスイマセン」
困った奴だと言うように「まあ良いけど」とだけ吐かれる。
「そういう訳だから、コイツは何にも問題ない。むしろ人材育成のために二年も残ってくれたんだからな。今の内に感謝しとけー」
そんな、今からお惣菜タイムセールですよ、みたいな言い方しなくても。案の定皆んな寄ってきた。おいこら、こういう時こそソーシャルディスタンスを機能させろ。
「もう皆んな十分育ったろ。俺は約束守ったし涼宮部長の許可も出たし。だからもう来月には完全に辞めるわ。そこんとこヨロシク」
最後の三〇代である三十九を迎えた時、彼へ退職願を手渡した。自分の力で食っていきたいと話して。しかし、せめてお前が抜けても回るくらい人材を育ててくれと頼まれ、抜けるに抜けれず今に至る訳だが。もういい加減大丈夫だ。
「新入社員マニュアル見直したり、指導化変えたり。関係ないこともやらされたけど、今となれば最善の道だったかもな。フリーの俺が専属で雇って貰えそうなオーナーが、ここにいるから」
ニカッと後輩を見る。
「多分早めに会社辞めれるよ。そう道筋作ったの俺だし」
「先輩が、ですか」
「そうだぞー。だから最高の一杯、頼むわ。君の淹れるコーヒーは何か美味そうだし。専門家の意見じゃないのは謝る」
「それが前払いという訳ですか」
うんうん。冷静沈着でしっかり受け答えできて良いね。正直、会社としては将来性を考えると残したいかもしれないけど、俺そこまで面倒見良くないから許して。
「御名答。どう? 俺のアイディア。乗ってくれるなら握手」
「乗らないなら?」
「即刻ここを出て行く。あと有給消化させて二度と戻らね」
差しだされた手を見つめる後輩。いつの間にか背中にあったはずの付箋が、彼の心臓部に貼られていた。音に反応するようにピクリピクリ、動いて──。
「そういえば君の名前何だっけ」
「本当に名前覚えるの苦手ですよね、先輩。僕は古賀です」
「そうだそうだ。古賀くんか。コーヒーの頭と同じ音だね。てかもう先輩じゃなくていいよ。出したでしょ。超スピード記入の退職届」
「色々ツッコミたいところ多い人ですね」
おや、ため息をつかれてしまった。
最近は皆んな俺がサポートしなくても回ってたから、二人して有給消化で円満退社。俺って前世でどれだけ徳積んだんだろう。そのくらい、トントン拍子に進んだな。
「明日一緒にカフェ視察する?」
「善は急げです。今日、この帰りから行きます。そこで今後についてお話しましょう。栗田さん」
「行動力えっぐ。俺はそこまでいける体力無いかなあ」
三歩前を進んでいた未来のオーナーは立ち止まる。
「言い出しっぺは栗田さんです。これでへばらないでくださいね。まだ僕たち、何も成してないんですから」
コーヒーでしか引き出せない、彼の笑顔が子どもの無邪気さをたたえ、向けられた。
俺たちの夢を叶える一週間は、週末からはじまる。
コーヒーの夢、叶えてやんよ 唐灯 一翠 @toubi-issui24
★で称える
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