貧乏長屋の厄介者と占い師
藍沢 理
短気は頭のかさぶた
あの夢を見たのは、これで9回目だった。そう言いながら、長屋の住人、与太郎が、占い師の元へ駆け込んだというお
この与太郎という男、中年にさしかかる頃合いでして、長屋では一番の貧乏人。その割には、見栄っ張りで酒好き。いつも周りに無駄な見栄を張っては、後で苦労するという人物でございます。
「あー、もう我慢できねぇ! 同じ夢で九回目だ。占い師に相談に行くべぇ」
与太郎は朝から大騒ぎ。隣の部屋の八五郎が声をかけます。
「なんでぇ、与太、朝っぱらから騒々しいねえ。どんな夢を見たんだい?」
「実はな、八っつぁん。わしゃあ、この九日間、毎晩同じ夢を見てるんだ」
「ほう、それは珍しいねえ。どんな夢だい?」
「実に奇妙な夢でな、わしが毎晩、お侍様の首を刎ねる夢なんだ」
八五郎は目を丸くして驚きます。
「えっ? 与太が侍の首を? いくら夢でも、それは恐れ多い。どういう夢なんだい、詳しく話してみな」
「そこがまた不思議なとこでな、夢の中でわしは立派な侍になってんだ。それも江戸一番の剣豪で、『人斬り与太』の異名で呼ばれてんだ」
「おう、すげえじゃねえか。それでどうした?」
「で、わしはある夜、江戸城を出る侍をひとり待ち伏せしてんだ。その侍とはかねてから因縁があってな、決闘になる。そしてひと太刀で、その侍の首を刎ねる。ところが、その侍の顔を見ると……」
「おう、続けてくれよ。そこが大事なとこだろ」
「その侍の顔は、赤牛の紋所のある苗字帯刀の……ええと、名前は……確か、なんとか……いや、おぼえちまわねえや」
「おいおい、肝心なとこを忘れちまうなよ」
「まあいいさ、とにかく同じ夢をもう九回も見るってことは、よっぽど意味があるに違えねえ。今日、裏長屋の占い師のとこに行って、夢占いをしてもらおうと思ってんだ」
「なるほどねえ。確かに九回も同じ夢じゃ気になっかな」
そう言って、与太郎は占い師のところへ向かいます。裏長屋の占い師というのが、これがまた曲者でして。みな本名は知らず『千里眼のお初』と呼ばれている女でございます。実のところ、占いなど当たったためしがない。ただ、客の言うことをよく聞いて、もっともらしい占いをするだけの、いわば詐欺師のようなものでした。
が、この与太郎がお初のところへ駆け込むと、なんともまあ、占い師のお初は真っ青な顔で迎えます。
「よ、与太郎さん……今日はどうしたんですかい?」
「いやな夢を見てな、占ってもらいに来たんだ」
「ど、どんな夢ですかい?」
「九日間も同じ夢でな。わしが侍になって、ある侍の首を刎ねる夢なんだ」
するとお初、ますます顔色悪くなって。
「そ、それはたいへん! 与太郎さん、そりゃあもう悪いことの前兆ですよ! すぐに厄払いをしないと……」
「前兆? なんの前兆だい?」
「それはもう、大凶でございます! このままだと与太郎さん、命が危ない!」
「えっ? マジかい?」
与太郎、さすがにびっくりです。
「そうなんですよ。首を刎ねる夢というのは、自分の運が尽きるという意味。それを九回も見るということは、九日目に大厄が降りかかる!」
「マジかい? じゃあ、わしゃあどうすりゃいいんだい?」
「厄払いが必要です。今日から九日間、毎日ここに来てお祓いを受けてください。それと、厄払いの供物として、毎日一升の酒と鯛一匹をお供えください」
「えっ? 一升の酒と鯛? そりゃあ高くつくじゃねえか。他に方法はねえのか?」
「命と引き換えにするなら、それでもいいですが……」
渋々、与太郎は毎日、占い師のお初のところに通い、酒と鯛を届けます。八日目まで来たとき、残り一日というところで、与太郎の財布は底をつきました。
「もうだめだ。金がねえ」
途方に暮れた与太郎は、長屋の大家のところへ行き、お金を借りようとしました。
「旦那、すまねえが、金を貸してくれねえか? 命に関わる大事だ」
大家の彦兵衛は、なんだかんだと言いながらも、与太郎の必死の様子に負けて、小判を一枚貸すことにしました。
「これでこの世とおさらばせずに済む」
安堵した与太郎は、最後の厄払いの日、酒と鯛を抱えて占い師のところへ向かいました。ところが、占い師の小屋に到着すると、なんと戸が開いていて、中は空っぽ!
「あれ? お初さんはどこだ?」
困った与太郎が隣の家に聞く。
「お初さんなら、今朝がた、荷物をまとめて出ていったよ。何でも『九日目が来る前に』とか言ってたな」
「なんだって?」
その瞬間、与太郎の後ろで声がします。
「そこにいたか、人斬りの与太!」
振り返ると、立派な侍が立っています。腰には刀。胸元には赤牛の紋所。
「お、お侍様! わ、わしは人斬りなんかじゃ……」
「言い逃れは無用! 九日前、お前は夢の中で拙者の首を刎ねた。夢とはいえ、その無礼、許せぬ!」
「えっ? 夢? 夢の中で?」
「そうだ! 拙者は夢占いの術を使う者。お前の夢に九日間侵入し、お前が何者か突き止めたのだ。そして今日、九日目に現世でケリをつける!」
与太郎は頭が混乱しました。夢に出てきた侍が現実に現れたのです。
「ち、ちょっと待ってくれよ、お侍様! わしゃあただの長屋の住人だ。刀なんて持ったこともねえ」
「黙れ! 覚悟しろ!」
侍が刀に手をかけたその時、八五郎が通りかかりました。
「おや、与太? どうしたんだい、そんな青い顔して」
侍を見た八五郎は喜色満面になりました。
「あれ? 弟分じゃねえか! よく来たな!」
なんと、この侍は八五郎の弟分だったのです。
「あれ? 兄貴? なんで兄貴がここにいんの?」
「ああ、ここに住んでんだ。それより、与太に何か用かい?」
「実は、この男、毎晩わたくしの夢に出てきて首を刎ねるんです!」
「えっ? 与太が? あいつは包丁も満足に使えねえぞ。それに、そんな度胸もねえ」
八五郎が大笑いすると、侍も混乱した様子。
「でも、確かに夢では……」
「きっと人違いだ。与太なんか見た目は強そうでも、中身はヘタレだぜ」
この話を聞いていた与太郎、プライドが傷ついて口を挟みます。
「なんだと、八っつぁん! わしゃあそんなヘタレじゃねえ。夢の中では確かに侍様の首を刎ねてやったさ!」
途端に、侍の顔が怒りに満ちます。
「やはりお前だったか! そこになおれっ!」
与太郎、しまったと思いましたが時既に遅し。侍に追いかけられ、長屋中を逃げ回ります。そして最後には裏長屋の井戸に落ちてしまいました。
幸い、井戸は浅く、与太郎は一命を取り留めましたが、ずぶ濡れになり大恥をかきました。
そして後日わかったことですが、占い師のお初は侍の妹で、兄の依頼で与太郎から情報を引き出していたのです。しかし、与太郎があまりに単純で、あっけなく全てを話すものだから、最後の九日目を待たずに逃げ出してしまったというわけです。
そんなこんなで、与太郎は九日間分の酒と鯛の代金を払うはめになり、さらに大家から借りた小判も返さなければならず、これからしばらく貧乏暮らしが続くという、なんとも間抜けなオチとなりました。
「やれやれ、夢の話なんかするもんじゃねえな」
与太郎の
(了)
貧乏長屋の厄介者と占い師 藍沢 理 @AizawaRe
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