レディと魔法のティーポット

穂辺 文

レディと魔法のティーポット

 シュンシュンシュン……。


 コンロの上に置かれたホーロー製のヤカンから立ち上る湯気が、静かな店内にふわりと漂う。

 後ろの棚には色とりどりのティーポットが並び、よく目を凝らしてみると、その周りを小さな小さな5人の妖精が舞っている。

 

「さーて、今日は誰が選ばれるかな?」

 木を司る、緑色の羽を持つ妖精ウッドが、ティーポットの上をくるりとひと周りしながら問いかける。

 

「私よ私! あの子にはきっと火の魔法が必要だわ!」

 勢いよく答えたのは、赤い羽のフィア。

 

「落ち着いてください、フィア。誰が選ばれるかはレディが決めることですよ。」

 金を司るシルビアは、白銀の羽を畳んでお行儀よく注ぎ口に座っている。


「待っていれば、そのうちわかるよお」

 茶色の羽をのんびりと羽ばたかせながら、土の妖精テラはゆらゆらと宙を舞う。


「そうだね~、選ばれたら嬉しいね~」

 水色の羽をなびかせる、水の妖精ウィーネは、うんうんと皆の話を聞いている。


「もう、テラもウィーネもマイペースなんだから!」

 フィアが口を尖らせた。その時——

 

「お前たち、いつまで喋っているんだい」


 低く響いた声に、妖精はピタリが止まる。


「ごめんなさい、レディ」


 レディ、そう呼ばれた女性がゆっくりと妖精達の方へ振り返ると、ざっくりと束ねられた長い深紅の髪がふわりと揺れる。色白の肌に高い鼻。黒いロングドレスに身を包んだ彼女は、まさに「魔女」そのものだった。

 レディは全てを見透かすような切れ長の目をポットの端から端へと滑らせていく。

 妖精達は、息を飲んでその様子を見つめていた。

 

「あの子には、このポットがいいかね」


 レディはスラリとした腕を棚に伸ばすと、淡い水色に茶色の唐草模様の装飾が施されたティーポットを手に取った。


「久しぶりの出番だあ。 待ったかいがあったなあ」

「テラ、良かったね~! 一緒に頑張ろうね~」


 ウィーネは嬉しそうにテラの周りをくるくると飛び回った。


 

 コポポポポ……。


 沸かしたてのお湯がティーポットに注がれる。


「ほら、お前たちの出番だよ」


 レディは手のひらを上に向けると、人差し指でくいっと手招きする。その仕草に誘われるように、テラとウィーネはひらりとティーポットに降り立った。


「さあ、いくよお、ウィーネ」

「うん! せ〜の……」


 2人はクルクルと舞い上がると、キラキラキラキラと魔法の粉をティーポットに振りかける。その瞬間、ほんのりスパイシーで甘い香りが優しく漂う。

 レディはカポッと蓋をすると、その上にふかふかのティーコジーを被せた。


 ——カチャ。


 テーブルの上に、ティーコジーを被せたポットとティーカップが静かに置かれる。そこには、セーラ服を着た少女が座っていた。少女は、ポットを運んできたレディをオドオドと見上げた。レディは少女の目の前で砂時計をひっくり返す。


「いいかい、この砂が全て落ち切るまで、けっして蓋を開けたりカップに注いだりしてはいけないよ? でないと魔法が解けてしまうからねえ」


 サラサラサラ……。


 砂時計の砂が静かに落ち始める。


「ま、魔法ですか!?」


 少女は思わず聞き返すが、レディは口の端を持ち上げて妖艶に微笑むと、そのまま踵を返してカウンターへ戻っていく。


 

 ***


 少女は頬杖をついてサラサラと落ちる砂時計を見つめている。


「はあー、どうして喧嘩なんてしちゃったんだろ」


 深いため息をついた少女、柚希ゆずきは数日前に喧嘩をしてしまった友人、しおりに思いを馳せる。


「そんなに嫌なら、辞めればいいのに」

 

 柚希にとっては、軽いアドバイスのつもりだった。友達から相談された部活動の悩み。もう何度も何度も繰り返し聞いてきて、それでも何も変わらず同じことでずっと悩み続ける姿に、つい軽く言ってしまった。

 あの瞬間、栞の表情がスーッと冷めていくのがわかった。

「ずっと頑張ってきたの知ってるのに、よくそんなこと言えるね」

 そう言い捨てて、栞は背を向けて去ってしまったのだった。

 

「もうすぐクラス替えなのに、このまま離ればなれになっちゃうのかな……」


 柚希は再び大きなため息をついた。気付けば、砂時計はもう最後のひと粒がするりと吸い込まれていくところだった。

 重たい気持ちのまま、ポットに被せられたティーコジーをとる。すると、ふわりとスパイシーな甘い香りが鼻をくすぐる。

 ゆっくりとポットをかたむけて、トプトプとカップに注ぐと、その香りはもっとはっきりと豊かに広がった。どこかりんごっぽさを感じるような甘く優しい香り。その中に、ほのかに感じるスパイシーな清涼感。


「……なんだか安心する香り」


 柚希はその香りを胸いっぱいに深く吸い込んでみる。じんわりと心の奥が暖かくなるのを感じた。


「いい香りだろう? カモミールとリコリスのハーブティーだよ」


 カウンターの中から、レディがじっとりと見ている。その瞳に見つめられると、心の中を見透かされているような気持ちになる。


「人には五行って言ってね。木、火、土、金、水の要素をもっているのさ」


 そう言うと、レディは細長い指を宙に浮かべ、ゆっくりと五角形を描く。


「あんたは火と金が強いねえ。一方で、極端に水は少ない。それに土もね」


「……火、……水……?」


 何を言われているのかわからず、柚希は眉をひそめる。


「情熱的で決断力がある。それに、賢い子だ。だけどそれが行き過ぎれば、結果を急いで正論を押し付けてしまう」


 レディは目を伏せると喉を鳴らすように低くくつくつと笑う。


「な……どういうことですか!! 私が悪いって言うんですか!? それに……っ」

 

 それに、何も言っていないはずなのに、まるで喧嘩をしたことを知ってるみたいに。心を覗かれたような気がして、柚希は思わず胸の前で抱きしめるように腕を組む。


「なんで……なんでそんなことまでわかるんですか!!」


 柚希の声は震えていた。腕に力がこもる。

 

「アタシが魔女だからさ」


「魔女……?」


 声を荒らげる柚希に動じる素振りもなく、妖艶な笑みを浮かべている。


「土が強い人間にとってはね、あんたのスピードは速すぎるんだ」


 レディの指先には、土の妖精テラが羽を休めて座っている。しかし、柚希にはテラの姿は見えない。


「土っていうのはねえ、ゆっくりと育むものなんだよ。じっくり考え、じっくり悩んで、時間をかけて答えを出す。でも、火と金が強いアンタはそれを待っていられない……」


 そうだろう? と、柚希へゆっくりと視線を流す。


「……っ」


 図星だった。何度励ましても、アドバイスをしても、栞はずっと同じことで悩み続けていて……もどかしかった。解決してあげたくて、一生懸命考えて沢山アドバイスもしたのに、栞は何も行動していないように見えてしまっていた。つい、イライラしてしまった。


「水がないねえ」


 レディの低い声が静かな店内に響く。


「感情の流れが上手く掴めない……。それに、流れがないから、受け流すことができない」


「……私、間違っていたんでしょうか」


 柚希は俯き、テーブルの下で拳を握りしめる。


「……間違いなんてないさ。それがアンタ達の性質っていうだけだよ」


「じゃあ、どうすれば……」


 これがお互いの性質だと言われてしまったら……自分たちは相性が悪いというのか。このまま仲直り出来なくても仕方ないとでもいうのか。


「お茶が冷めてしまうよ?」


 レディは柚希のカップを指さす。そして、柚希には聞こえないよう小さく呟いた。


「ウィーネ、そばに行っておやり」


「は~い」


 水色の羽を持つウィーネが、ひらりと飛んでいき、カップを持ちあげる柚希の手に舞い降りた。

 柚希はそっと目を閉じ、ゆっくりとカップを傾ける。


 カモミールの優しい甘さが流れ込み、柚希の心を毛布のように包み込む。そしてその奥にある、じわっとしたスパイシーなリコリスが、心を落ち着かせて頭を冷静にさせてくれる。


「もっと、寄り添ってあげればよかった。コツコツ頑張っていたのを、私は知っていたのに。……飽きっぽい私とは違って、栞は粘り強く努力ができる。そこが栞のいいところで、私はそんな栞が大好きなのに……」


 柚希の目からひと粒の涙がこぼれる。ウィーネは柚希の肩へと舞い移ると、慰めるようにそっと身を寄せる。


「流れはじめたねえ」


 レディは柚希から視線を外し、静かに微笑む。


「五行が暴走してしまうのは、大抵バランスが崩れている時だよ」


 カウンターの中で、何かを調合しているようだった。小瓶の中にはキラキラと光る茶葉が入っている。


「カモミールは水を補ってくれるんだ。「流れ」を整えて、癒しをくれる。そして、リコリスは土。心を穏やかに安定させてくれる」


 柚希は一口、もう一口とハーブティーに口をつける。その度に、心がホッと安心感に包まれるような感覚になる。


「栞、傷ついただろうな……。私も、こんなふうに栞を安心させてあげられればよかった」

 

 レディはキュウっと小瓶にコルクを刺す。


「バンランスさえ崩さなければ、金の火の強いアンタは賢くて情熱も勇気もある子なんだ。きっと、ぐずぐずと立ち止まってしまう人間にとっては、アンタは状況や気持ちの整理を手伝ってくれる、心強い存在だろうねえ」


「……私、栞と仲直りしたい。大切な友達だから」


「大丈夫さ。賢いアンタなら、どうすればいいか、もうわかっているんだろう?」


 レディはゆっくりと立ち上がると、コツコツと靴を鳴らしながら柚希の方へ歩いていく。「これを持って行っておやり」とレディは小瓶をテーブルに置く。


「これは、カモミールとリコリスに、レモンバームを調合してある。レモンバームは木。リフレッシュと前向きなエネルギーをくれるはずさ」


「……はい!」


 そう頷いた柚希の顔には、もう迷いはなかった。


 


 ——カランッ

 軽やかなドアベルの音だけを残して、柚希の背中が店の外へと消えていった。


「あの子、大丈夫かな~?」

 静かになった店内にウィーネがぽつりと呟く。


「大丈夫さ」

 レディは飲み干されたカップとポットをカチャカチャとお盆に乗せて、カウンターに下げる。


「でも、レディったらひどいわ! 私のことをせっかちな怒りん坊みたいに言うんだもの!」

フィアがぷんぷんと赤い羽を震わせる。


「私だって、頭でっかちみたいな言われ方でした……」

 白銀の羽のシルビアがため息をつく。


「だってさあ、2人がタックを組んだら、誰もかなわないもんねえ?」

 テラがのんびりと宙を漂いながら笑う。


「でも、その力があるから彼女は前を向けたんだよね!」

 ウッドは腕を組んでうんうん、と頷いている。


「まーね!」

 フィアは自慢げに腰に手を当てる。


「ふふ、まったく単純なんですから」

 シルビアは小さく肩をすくめるが、その口元には柔らかい笑みが浮かんでいる。


「ほうら、お前たち。新しい客が来るよ」


 レディの低い声が静かに響く。



 カラン——


 再びドアベルが鳴り、妖精たちは一斉にドアへ注目する。

 そこには、小さな男の子が母親の手を引きながら、興味深そうに店内を見回している。


「——さて、今度はどんな魔法をかけようかねえ」


 そう言って、レディはホーロー製のヤカンを火にかけた。


 シュンシュンシュン……。


 ヤカンから立ち上る湯気が、静かな店内にふわりと広がった。



 ——END——

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レディと魔法のティーポット 穂辺 文 @honobe_aya

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