明烏夢淡雪
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
「お兄ちゃんのおでこのお月様! かっこいいねっ♪」
「こら、咲夜!! 柴田様に向かってなんて事言うの!! 頭を下げて謝りなさい!!」
「だってお月様が──」
パン!! 母親が娘をぶった。
この親子は俺の親に金を借りに来ているのだ。そして次の台詞はこうだ、あんたって子は早く謝りなさい。
「あんたって子は!! 早く謝りなさい!!」
ほら。そして娘が泣く。
「うわあああああん、お兄ちゃんごめんなさい、ごめんなさい! ゆるしてええぇぇ⋯⋯」
母親が娘の頭を押さえつける。
俺はまだ十五でこの娘は九つくらいだろうか。年端もいかない娘を頭ごなしに叱りつけ、頭を押さえつける母親に俺は腹を立てた。
「その娘の頭を離せ。俺は怒ってなどいない!」
「柴田様、どうかお許しを!!」
「くどい! 怒ってなどいないと言っておろう!! 早く娘の頭を離せ!!」
「はっ、はいぃぃ!!」
俺は娘の涙を拭ってやると、娘はにっこり笑って言った。
「お兄ちゃん、良い人だね♪ それにかっこいいっ♡」
額の傷は稽古の時に付けたものだったが、馬鹿にされる事はあっても、褒められる事はなかった。
無性に照れくさかった。
「お兄ちゃん、大好き!」
⋯⋯不覚だ。とどめを刺された。
俺としたことが、あんな⋯⋯あんな年端もいかぬ娘にひとめ惚れてしてしまうとは。あの何の屈託もない笑顔が、純心な私の男心をひと突きにしたのだ。
夢を見る度に気持ちが募り、胸が高鳴って眠れぬ夜がつづいた。たまらず父にあの農家の娘が好きだと申告すると、すぐに婚約をとりつけてくれた。俺は三男だったので、跡取りではないのが幸いしたらしい。しかし、先方が金の前借りを申し出て来た為に破談にされてしまったのだ。
俺はその日から自分の父と娘の親を逆恨みするようになった。
もう夢も見ることもなくなってしまった。
ある日風の噂で、咲夜は吉原に売られて、小夜と言う名前で女郎をしていると聴いた。
それを聴いた俺は、咲夜の事を諦めようと思ったのだ。だが、思ったは良いが、どうにも胸のざわつきが収まらない。そこで自分の気持ちを確かめる為に、勘当覚悟で家の金を掻き集めて飛び出した。
咲夜は高級遊女だった。
持ち金ではすぐになくなってしまうので、金を稼がなければならない。しかし、どんなに工面しても揚げ代が足りない。
ようやく馴染みになれて、彼女と話せると言うのに!
俺は已む無く悪事に手を染めた。
悪事と言っても義賊の手伝いだ。農民や町民から騙し取った金を、しこたま貯め込んでいる輩がこの世の中には少なからず居るのだ。中には殺しも平気でやる輩もいるのだから、心は痛まなかった。
そんな輩を炙り出し、ある時は盗み出し、ある時は縛り上げ、ある時は殺しもやった。
咲夜の事は言えないほどに、俺の手は穢れてしまったのだ。
気がつけば腕に切り傷があった。しかし手当てをしている時間などはない。今日、彼女に会わなければ、また膨大な金が必要となる。
俺は吉原へ急いだ。
なんとか間に合った。いや、間に合わなかったのだが、吉原は大抵のことは金で解決出来るのだ。少し花紙を撒いてやると、喜んで咲夜との席を設けてくれた。しかも個室まで用意してくれたのだ。
金の力は偉大だ。
そうだ、身請け出来るほどの金さえあれば咲夜を難なく救い出せたのだろうが、そこまでの金は俺にはない。
とにかく、咲夜には会えた。
最悪捕まっても咲夜には迷惑をかけたくはない。俺はない知恵を振り絞って、計画を立てた。
妓楼から咲夜を強奪する。これは足抜けではないので、仮に捕まっても咲夜にお咎めは無いはずだ。俺は捕まってしまえば、死罪かも知れない。非合法な人攫いであって、俺は女衒ではないのだから。
足抜けと言えば夜。火付けなどしてそちらに注意が行っているうちに逃げると言うものだろう。だが、存外遣り手や男衆は夜こそ目を光らせているものだ。そして夜に動けば逆に目立つのが難点だ。
決行は朝と決めた。
咲夜との
もう、思い残す事はない!
早朝、風は凪いでいる。
花冷えするような空気が凍るように張り詰めて、夜明けまではまだひと時あるだろうか。
咲夜は着物を着せて軽い睡眠薬を飲ませて寝かしつけている。
着物を裏返して浅葱裏を捲れば黒装束となり、襟に忍ばせておいた仕込み刀を手にする。
このまま心中も良いだろう。
だが、どうせ死ぬならこの地獄、死ぬまで生き抜いて見せようじゃないか!!
「小雪とやら、起きておるか?」
「⋯⋯あい」
衝立の向こうから、眠たそうに目を擦る禿が現れた。
「良いか? お前にこれをやる。黙って言う通りにしてはくれまいか?」
と言って花紙に包んだ金を持たせた。
猿轡をつけてもらい、体を帯でぐるぐる巻にした。これでこの子は悪くない。
「すまないな? 少しそのまま大人しくしておいてくれ」
と言い捨てると、俺は咲夜を肩に担いだ。
俺は楼主のところへ顔を出す。
「おい、楼主! この女郎が気に入った。貰って行くぜ? 悪く思うなよっ!!」
と言って、楼主の首の後を打って卒倒させる。
「誰か来て!! 人攫いだよ!!」
「遣り手婆か。邪魔だ!!」
ドカッと蹴飛ばし、喉に小刀を突き立てる。
「ひぃっ!?」
「余計な真似はするな? それとも命が欲しくはないか?」
遣り手婆はふるふると首を横に振る。
「なら大人しくしていろ」
と言って猿轡をして、柱に括り付けた。
「楼主っ!? 婆っ!? 何だ、賊かっ!? うっ⋯⋯」バタッ!
駆けつけた用心棒だが、他愛もない。生かしておいても始末に悪いので眠ってもらった。小刀ではこの先心許ないので、用心棒の刀を借りた。まあ、返すつもりもないのだが。
俺は楼閣を出ると、誰も居ない中之町通りをゆっくりと歩いて真っ直ぐ大門へと向かった。
東の空は白み始めているが、曇天のせいか薄暗い。いつの間にか季節外れの雪が降り積もり、花街に雪化粧を施している。
桜千本雪化粧。
満開の桜に白雪が重なることを『桜隠し』というが、このまま我々も白雪で隠して欲しいものだ。
見返り柳も白んで見える。
「待て! お前が抱えているのは女郎じゃねぇのか!?」
「ああ、これか? 俺の許嫁だが?」
「怪しい奴め!! 行くなら女郎は置いて行け!!」
「黙って通しちゃくれねぇか!?」
「ならん! 痛い目に遭いたくなければあああぁぁ!!」
やっちまったか? まあ、どうせ追ってくるんだ、数は少なくした方が良いだろう。
「おい!? 何故刀を持ってやがる!?」
「あ? 貰ったんだよ。心優しい用心棒さんによおっ!!」
ザシュ!!
「ふぐぁ⋯⋯」
致命傷を負わせるなら無駄に斬るより腹を刺す方が手っ取り早い。それでも斬るなら狙うは喉だ。このように!!
「ぶばああっ!!」
喉を斬るときは返り血に気をつけなければならないので、少し面倒だ。
先日までは桜色に染まっていた中之町が、目を覚ましたら白雪色に染まっていて、今は真っ赤に染まっている。
カァ⋯⋯。
明け烏⋯⋯殺されたくなければ、まだ咲夜を起こしてくれるなよ!?
ザザザ⋯⋯。
「行かせるかぁ!」
「⋯⋯カァカァうるせぇんだよっ! 三千世界の烏が何羽いるのか知らねえが、こいつの眠りを邪魔する奴ぁ全て俺がたたっ斬ってやる!!」
散らせ!
散らせ!
紅桜!!
紅い花吹雪が白雪を塗り替えてゆく。俺の通った後は、見返り柳まで真っ赤な桜の花弁が敷き詰められていて、大人しくなった烏たちが眠っている。
この先は
征くも地獄、帰るも地獄。
自分で選んだ修羅の道だ。
後悔はない。
「んん⋯⋯」
⋯⋯。
「⋯⋯えっ!?」
「よお、目が覚めたか?」
⋯⋯。
咲夜はこの状況を把握しようとしているのだろうが、現状が彼女の想像から逸脱し過ぎていて混乱しているようだ。
俺はほっかむりを取って顔を見せると、咲夜は少し安心したようだ。
「京四郎様!? これはどう言う⋯⋯?」
「ああ、お前は悪い夢を観ていた、それだけの事だ」
「悪い⋯⋯夢?」
「ああ、苦界吉原の悪い夢だ。もう忘れちまいな? 俺たちは明け烏だ、あとは自由に飛び立つだけだ」
「⋯⋯自由!?」
「そうだ。苦界三千世界の地獄にはもう戻らないが、この先も楽な生き方は出来ないだろう⋯⋯」
俺は咲夜を肩から下ろすと、咲夜は腰から崩れ落ちた。
「あれっ⋯⋯? あはは、力が入りんせん」
「そうか、じゃあもう少し俺の背中にいろ。そしてここはありんす国ではないんだ。もう、廓言葉は使わなくていいんだぜ⋯⋯咲夜?」
そう言って俺は腰を落として背中を向けた。
咲夜はふふっ、と笑ってその体重を俺の背中に預けた。
「どうやらあたいは骨抜きにされちまったみたいだけれど、置いて来ちゃいないだろうね?」
「わはは、俺が全部貰うと言っただろう? 骨の一本だって、花街の烏たちにゃくれてやる気はねぇよ!!」
そう言ってやると、咲夜は俺の首を軽く絞めて頬に口づけをした。
「お兄ちゃん、大好き♡」
「っ!?」
「やっぱりお兄ちゃんだった。私、何度も廓から出る夢を見たんだけど、私を娑婆へ連れ出してくれる人の顔が、いつもわからなかったんだよ⋯⋯それが、私の大好きだったお兄ちゃん、京四郎だったなんて⋯⋯」
咲夜の腕に力が入る。
俺は背中の温もりに心まで温まる。
「そうか、奇遇だな? 俺も夢を見てたんだ。俺の額の傷を唯一格好いいと言って褒めてくれた、初恋の人の夢を⋯⋯」
「京四郎⋯⋯」
ビュウ、と春一番が吹き抜けて、目の前に広がる隅田川の桜隠しを一斉に巻き上げた。
ブワッ、と巻き上がった桜と雪が、まるで桃源郷へと誘うように、俺たちの行く先を彩ってゆく。
この先が桃源郷だったなら、どんなにか良いだろう。
少なくとも、俺たちを縛り付けるものはもう何もない。
この先が桃源郷だろうと失楽園だろうと関係ない。
俺たちは自由だ。
─了─
【KAC20254】明け烏の夢 かごのぼっち @dark-unknown
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