ドリームエンジニアリング装置『オネイロス』

さんゼン

第1話 

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 お気に入りの夢だった。


 ひょんなことから超能力を得て、その力を使って気に入らない人間をぶっ飛ばし、悪人をこらしめ、哀れな乙女を十人ぐらい助け出して、彼女たちに言い寄られてハッピーエンドを迎える。そんな夢である。


 やはり良い夢は、何度見ても良いものだった。


 朝を迎え目を覚まし、Kは満足げに頭に取りつけられていたヘッドセットを取り外した。


 それは、近頃、どんなゲーム機よりも所持率が高いと言われている娯楽装置のヘッドセットだった。


 その名も、ドリームエンジニアリング装置『オネイロス』。


 人類はついに科学の力によって、睡眠中の夢すら完全にコントロール下に置き、娯楽の対象とし始めたのである。


 『オネイロス』は、夢を自在にデザインできる装置だ。自作の夢はもちろん、プロの職人が作った夢も選べる。一般人でもアイドルやスーパーヒーローになれる――そう、夢の中でなら。


 そこには、VRなんかとはくらべものにならないほどの、「リアリティ」がある。夢の中の出来事は、本当に自分の身に起きた出来事として体験できるのである。


 多くの人間が、『オネイロス』にハマった。


 Kも、その一人だった。


 とはいえ、『オネイロス』は睡眠中にしか効果を発揮しない。ギャンブルのように中毒になって身を滅ぼす心配もなかった。何しろ、人間どんなに頑張ったって、一日には八時間寝るのが限度だからだ。むしろ人生に張り合いが出るくらいであった。


 Kは朝の身支度を整えて、階段を下った。


 リビングに出れば、香しいベーコンの香りが鼻をつついた。キッチンでは忙しなく朝食の用意をしている父親と母親の姿が、食卓には友人と連絡でもしてるのかスマホとにらめっこしている妹のMが座っていた。


 Mが顔を上げ、ニヤついた笑みを浮かべた。


「夢見が良かったみたいだね、お兄ちゃん」


 Kはなんだか動揺してしまう。なにしろ見ている夢が夢だったからだ。あまり公言したい内容ではなかった。


「なんの話だ」


 そう言ってごまかそうとするが、Mは己の鼻の下を指差して言った。


「鼻の下、伸びたまんまだよ」


 慌てて鼻のあたりを押さえ、しまった、と思う。


 Mのニヤニヤ顔がさらに深まったからだ。


 鎌をかけられたのである。


 Kは負け惜しみのように、妹を指差し、


「あのな、お前だってイケメンパラダイスみたいな夢見てるんだろ。人のこと言えたことか?」


 妹は、どこふく風だった。


「だって私はお兄ちゃんみたいにむっつりじゃないもーん。今日はこんな夢を見たって友達とよくやり合っているし」


「ぐっ……」


 何も言い返せなくなったところで母親から声がかかった。


「ほら兄妹仲良いのはいいから、配膳手伝いなさい」


「はーい」


 配膳が終わり、家族そろって手を合わせ、「いただきます」と声を合わせる。朝食を食べながら、また夢の話が蒸し返された。


 母がふと思い出したように言った。


「最近、『オネイロス』の悪影響がどうこうってニュースでやってたわよ。あんたたち、気をつけなさいね」


「ああ、『現実喪失症』か」


 父が頷く。


「夢と現実の区別がつかなくなるってやつ」


 それに対して妹が言った。


「情報ちょっと古いよ。むしろ夢は現実とかけ離れてる方がいいんだって。もうひとめであ、これ夢だ! ってわかるからね。憧れのあの人が自分のことを好き、みたいな夢を見る人の方が現実と地続きしてるもんだから、危ないって話だよ。あんた俺のこと好きなんだろ! みたいな感じでね」


「たしかに、そんな事件があったな、最近」


「怖いわよねー。それで、『オネイロス』の法規制がどうこうって政治家先生も言っているんでしょ?」


 Kはからかうように妹に向けて言った。


「おまえ、好きな男とか夢に出してるからあぶねーんじゃねえの?」


 しかし、Mは得意げに答える。


「私はアニメのイケメンしか侍らせてないから大丈夫」


「……そっすか」


 朝食を終え、朝の準備を終えたら、KとMは玄関で靴を履く。ふたりは同じ高校に通っていた。


 ふたりは同時に振り返って、大きな声で言った。


「行ってきまーす」


 学校を終え、家に帰り、家族のだんらんを終え、風呂に入る。


 いつもの日常だった。


 日常は日常で、Kを満ち足りた気分させてくれる。昨日と同じ今日が続くことは幸福なことだ、とKはよく知っていた。


 そして、それはそれとして夢の時間は、日常とは一味違った素敵な非日常の体験である。


 布団に横になってから、Kは考える。


 さて、今日は何の夢を見ようか。


 ヘッドセットを取り付けて、好きな夢を選び、Kは眠りについた。



「あれ?」


 Kは目を覚まし、ヘッドセットを外した。


 なぜだか、今日は夢をまったく覚えていない。


 こんなことはこれまでで初めてだった。


「不具合なら、修理に出さないとか? 修理代結構高いんだよなー」


 ぼやきながら身支度を整え、階段を降り、リビングに出る。


 冷たい空気が、肌を撫でた。


 いつも鼻をつつく朝食の香りが、ない。


 熟年の連携で朝食を用意する父と母の姿も、ない。


 食卓でいつもスマホとにらめっこしている妹の姿も、そこにない。


 静寂だけが、リビングに横たわっていた。


「あれ……母さん……? 父さん……? Mは……? あれ、おかしいな……」


 Kは頭を掻きむしりながら、周囲を見渡した。


 ふと、テーブルの上に置かれていた新聞が目に入る。


 取り上げて読むと、見出しに付近で殺人事件があったと書かれている。


 頭の中で、警笛が鳴っている。それ以上読んではいけないとでも言うかのように、指先が勝手に震えだす。


「ありえないだろ……そんな、陳腐な悲劇みたいな……」


 自分にそう言い聞かせ、Kは続きを読んだ。


 『現実喪失症』の人間が起こした事件だ、とそこには書いてあった。


 夢の中の出来事を現実と勘違いし、夢の中の恋人に裏切られたと思っての犯行だった、とのことらしい。


 そして、妹のMの名前が、たまたま一緒に買い物に出かけた両親とともに、無機質な表記で、被害者として新聞に載っていた。


 Kは新聞を取り落とし、よろめきながら、階段を上り始めた。


「夢から、醒めなくちゃ……こんな夢、見るもんじゃない……」


 夢から醒めようと、Kは自分の部屋に戻り、布団に横になった。


 目を閉じたり、頬をつねったり、何度も寝返りを打ったりした。


「夢だ、夢だから、夢なんだこれは……」


 しかし、目覚めることはできなかった。


 『オネイロス』の設定画面には、いつものタイトルが浮かんでいた。


 ――『家族』



 ――とこのように、当時のドリームエンジニアリングサービスは、夢と現実の区別がつかなくなるという大変危険な問題を抱えていた。法整備も進んでいなかった。企業はこぞって、リアリティのある夢を見せる装置を造り出し、その結果として、多くの『現実喪失症』患者を生み出してきたわけだ。みなも知っているだろうが、今の装置は規制が入って、夢の解像度が下がる仕様になっている。しかし、法の網をかいくぐる輩というのはいつの時代もいるもので、はい、ここから先は四十六ページの――

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