妖精
一河 吉人
第1話 妖精
初めの一人が誕生したのは、世界にダンジョンが発生して五年後のことだった。
その男性は特筆することもない、平均的な冒険者だった。《大変革》によって仕事を失い、再就職に失敗し、やむにやまれずダンジョンへと流れ着いた、どこにでもいるサラリーマンだった。
いつもの面子でいつもの迷宮へ潜る、いつもの夜間行程。いつも通りに鉱石を採取し、魔物を倒してレベルアップし――そして、新たな
世界初の新職業、《魔法使い》の誕生である。
「あの……知らない職業が出たみたいなんですけど」
彼らの報告に職員たちは沸いた。ダンジョン発生とともに出現したステータスシステムは未だ多くの部分が謎に包まれており、全貌解明には程遠い状況だという。とはいえ五年も経てば新発見の勢いは落ちるもの、新職業の報告なんて半年は前だったはずだ。それが、こんな場末の出張所でなされるなんて。
特に魔法職というのも評価が上がる材料だ。巨大で強靭な魔物相手に肉弾戦は分が悪く、さらに迷宮内では魔術的な作用によって近代兵器も効果が薄い。恐ろしい魔物に対抗するため人間に与えられた最後の手段、それが魔術だった。
同じレベル帯の前衛に比べ、その火力は十倍とも二十倍とも言われた。基本給の格差はそれ以上だ。当然、多くの冒険者が魔術師になることを望む。安全で、成果を上げやすく、おまけに格好良いときた。危険極まりない魔獣と前線で対峙するか後ろで華麗に魔法を操るか、誰もが後者を選ぶのは自然な成り行きと言えた。
問題はステータスシステムだった。職業選択の自由を許さない冷酷なそれは、魔法系職業への転職に高い魔力パラメーターを要求したのだ。その適合率、おおよそ一割。多くの冒険者は能力値の足切りに合い、泣く泣く前衛へと転向を余儀なくされた。
圧倒的な魔術師不足――五年の時を経ても遅々として進まない害獣駆除や攻略速度の鈍化が原因を一にしているのは明らかだった。
いよいよ徴兵制の話が現実になるらしい――そんなタイミングで、《魔法使い》の情報はもたらされたのだ。たった一人だとしても、魔法職が増えるのは大きな前進だった。
「しばらく時間は掛かるかもしれませんが、新職業として登録されるのは間違いないでしょう」
データベースの確認を終え、職員が告げた。冒険者なら誰もが憧れるような新発見。それをまさか、自分たちが達成できるなんて。パーティーメンバーは歓声を上げた。頬を紅潮させ、肩を組み、握った拳を何度も突き上げてその喜びを表現した。職員は大きな拍手をもって彼らを讃えると同時に、自らも歓喜の輪に加わった。「どうせ東京に移籍するんだろ」とか「このパーティー、いつまで持つかな?」などといった思考は胸の内に仕舞い込み、彼らの偉業を祝福した。
この時点では、まだ誰もがその報告の正確な意味を理解してはいなかった。
とはいえ、その時が訪れたのはすぐ後のことだ。最初に気づいたのは本部への報告のため祝いの席を抜け、当該冒険者のデータを確認していた出張所の責任者だった。
《魔法使い》へとクラスチェンジした冒険者の前職は前衛、それも軽戦士――
責任者はその事実を目にした時、理解はしたが信じられはしなかったという。ただ震える手でデータを遡り、また戻って、何度も、何度も確認し、そして全身をも震わせた。まさか、そんな。
魔法職、あるいは関連職以外からの、魔法職へのクラスチェンジ。
魔術職は貴重だ、何人いても多すぎるということはない。新たな魔術師の登場、大変結構。だが、転職により魔法を覚えること自体は珍しくはない。薬師や錬金術師などは有名だし、前衛だって侍や聖騎士になれば魔法が使えるようになる。だが、全く魔法的素養のない職業からの、純粋な魔法職への転職となれば別だ。加えて――本人には悪いが――魔力の数値が平均的な前衛以下なのも好材料だった。
(世界中でダンジョンとモンスターに我が物顔を許しているのは、ひとえに魔術師の不足によるものだ。だが、この新職業なら……!)
ダンジョンに潜るパーティーのメンバー数は平均七.三人。うち一人も魔術職が含まれないのはよくある光景だ。それを最低でも一人、可能なら二人に増やせれば、冒険者達の生存率はどれだけ改善できるだろうか。十層の資源を安全かつ安定的に確保できるようになれば、どれほど社会を安定させられるだろうか。
魔力の足切りを受けない魔法職、夢のような話だ。クラスチェンジの条件次第だが、対ダンジョンにおけるゲームチェンジャーとなる可能性は十二分、場合によっては世界史の教科書に載る可能性すらある。
責任者は書類の作成を止め、本部に電話を掛けた。呼び出された上司は後年こう語ったという――彼の説明は、ある種の世界変革の願いのように聞こえた、と。
そして、願いはかなった。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
通報を受けてからの協会の動きは早かった。上司直接出張所へと乗り込み事実を確認すると、すぐさま情報封鎖を宣言。パーティーは招待という名の連行をされ、話し合いと言うなの事情聴取を受けた。すぐさま専門チームが結成され、クラスチェンジ条件の検証が始められた。
能力値、スキルの使用回数、敵を倒した数などの一般的な条件はもちろんパーティーメンバーの行動、最近変わったこと、敵から逃げた数、身長体重、血液型、生年月日、好きな食べ物、預金残高、ほくろの数、今朝のうんこの様子、ありとあらゆる角度から検証がなされ、どれもが不合格の印を押されては捨てられていった。かき集められた当第一の頭脳をもっても、具体的な条件を確定するには至らなかった。
逆に順調だったのが《魔法使い》の職業そのものの検証だった。これまた協会のエース級を惜しみなく注ぎ込んだチームのおかげで、新職業の概要はほどなく明かされることとなった。
《魔法使い》は、オールマイティー型の攻撃系魔法職である、というのが検証の結果だった。一般的な火魔術師や風魔術師ほどの威力は出ないが、かわりに幅広い属性への適応を見せ、さらには補助系の魔術もそれなりにこなす。
その報告はギルドや国の上層部を満足させるのに十分だった。理想を言えば火力特化が望ましかったが、しかしそれなりの魔法を使えるだけでも朗報と言えた。もし、この職業を量産できたなら――だが、クラスチェンジ条件に関しては相変わらず足踏み状態だった。
一ヶ月、それが検証チームが国から与えられた猶予期間だった。本来ならば重大情報はすぐにでも国際ダンジョン機構に報告しなければならない。だが、努力して解明した新発見を端から吸い上げられたのでは誰も労力を割かなくなる。その妥協の結果が申告猶予一ヶ月であり、国はこの期間をいっぱいに使ってギルドにチャンスを与えた。チームの側もそれは理解していたし、これまでの例を見ても二週間あれば問題ないはずだった。残りの二週間でいかに利益を確保するか、むしろ本題はそちらだったのだ。だからこそ、この現状に研究者たちは頭を振り、頭をかきむしり、頭を机に打ち付け必死で悩み、しかし彼らの努力も虚しく時間は刻一刻と過ぎていった。
そんな膠着状況を打ち破る情報が思わぬ角度からもたらされたのは、デットラインを三日後に控えた午前のことだった。なんと、《魔法使い》の男性の職業が《軽戦士》に戻っていたのである。
チームは荒れに荒れた。当然だ。このクソ忙しい時期に何を遊んどるんだと、いいからさっさと《魔法使い》に戻れと。目を吊り上げ、目を充血させ、目をしぱしぱさせながら迫った。男は涙目で言った。「も、戻れません……」と。
男は精密検査という名の吊し上げをうけた。頭の天辺からつま先まで、胃の中から尻の穴まで徹底的に調べられ、過去一週間の監視カメラの映像が再調査され、全ての生体サンプル、髪の毛、唾液、尿、便が検査にかけられ、この国最高の頭脳と最高の冒険者、普段は反発しがちなこの二グループの歴史的な和解を経た共同捜査により、真実が白日の下に晒された。
脱童貞である。
男性のとある部分、具体的には陰毛の摩耗具合が大きく変化していることに気づいた研究者が問い詰めた結果、男性が昨晩大人の階段を登っていたことが発覚したのだ。チームは怒り狂った。当然だ。この大事な時事に何をやってるんだと、こっちはもう一ヶ月も娘の顔を見てないんだぞと、推しのデビューライブすら行けなかったんだぞと。だが、調査のが進み男性とそのお相手による三十年にも及ぶ純愛ストーリーが詳らかになるにつれ、憤怒の声は次第に小さくなっていった。反比例して大きくなったのは怨嗟の声だったが、誰も彼らを救うことは叶わなかった。誰かが涙ながらに言った。「三十まで童貞って、これがほんとの魔法使いじゃねーか」
かくして、《魔法使い》への転職条件は解明されたのだった。
「男は三十を超えて童貞だと魔法使いになれる」――
一部の男性に伝わる、下らないジョーク。誰もが鼻で笑い、逃した魚の大きさに頭を抱え、ストレスにより限界を迎え、「じゃあ俺だって《魔法使い》になれるはずだろうよォォ!!」とステータス鑑定を受けた結果本当に《魔法使い》になっているのが発見され、当該職員にはすぐに貞操帯が強制された。
「
二人目が見つかれば、三人目は早かった。四人目、五人目……「童貞を一人見れば三十人いると思え」と諺になりそうなほどの連なり具合、特に研究者チームでは有意に出現率が高かったが、彼らはその理由を自明であるとして調査対象に含めようとはしなかった。
また、不思議なことに、これ以降全国各地においても《魔法使い》の発現報告が多発することとなった。「時限説」「実績解除説」などの仮説が提出され大量発生したサンプルの調査が進められたが、決定的な証拠を掴むまでには至らなかった。後ろ向きの調査よりも《魔法使い》を増やすことに重点が置かれたからである。
《魔法使い》の出現は世界を変えた。ダンジョン攻略の速度は上がり、魔物が闊歩していた地域をいくつも開放し、人々の顔に明るい色すら戻ってき始めた。一部では少子化の加速が心配されたが、むしろこれは改善した。うだつの上がらなかった男たちが《魔法使い》になって一発逆転、人財産築いて引退し家庭を持つという事例が多発したからである。
だが、そんな好循環が訪れたのは日本だけだった。他の国々では三十を超えても《魔法使い》職が発現しなかったからである。これはそもそもが日本の都市伝説に由来するからだろうと結論付けられた。「言霊」により、日本は守られたのである。
《魔法使い》の軍団を手に入れた日本は、世界でも有数の軍事大国として君臨した。けして他国に侵略したわけではない。その力は自分たちの国を守るためだけに用いられた。圧倒的な戦力を背景とした、安全で豊かな国。世界中の富豪がこぞって移住し、その一強化に拍車をかけた。海外の抗議の声に応え、何人もの《魔法使い》たちが売られては水平線の向こうへと消えていったが、それも些細なことだった。次の十年、日本は繁栄に次ぐ繁栄を極めた。
そして、滅んだ。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
「血の日曜日事件」――と、世界史の教科書には記されている。日本が誇る《魔法使い》部隊の一部が突如凶暴化し、仲間を、市民を、そして家族を襲い始めたのである。
完全な不意打ちに、日本中が混乱の渦へと叩き落された。ダンジョン発生時より被害が大きい、といえばその惨状が理解してもらえるだろう。狂った《魔法使い》と正常な《魔法使い》、そして冒険者や軍が入り乱れては戦い、血の花を咲かせ、新たに狂い、もはや混乱を誰も止められなかった。
一体、何が起きたのか? 平和そのものだった日本が、どうしたのか? 何より、市民を守り、愛されていた《魔法使い》達が突然裏切ったのは何故なのか?
多くの研究者やジャーナリストがその謎に挑んだが、だれもが満足の行く答えを提出することはできなかった。彼らは口を揃えた、どれだけ資料をあたっても、兆候らしきものは何一つ見当たらないと。
そんな中、誰かが発見した古い都市伝説が、ごく局所的に注目を集めた。曰く「男は、独身で四十を過ぎると狂う」。
何を馬鹿な、良心的な人たちはその良心的さゆえに笑い飛ばした。そうでない人たちは話を合わせるため表面的には同じく笑い飛ばしたが、しかし心のどこかで真実を嗅ぎ取っていた。《魔法使い》が都市伝説に由来するなら、また都市伝説によって狂うだろう、と。
十年に及ぶ内戦で、日本は焦土と化した。生き残ったのは
内戦の勝者は、妖精さんだった。
妖精さんとは、謎の存在である。外見はやや小太りで、肌はすこしたるみ、髪の毛もこころなしか薄い。つまりオジサンである。それも、《魔法使い》がそのまま成長したらこうなっただろうな、という姿だった。
地域を守っていた《魔法使い》が突如姿を変えたかと思うと、森へと消えていった。残された人々は勇気を持って外界へと人を送り、そして発見したのだ。森に、小川に、草原に飛び回るオジサン、いや、妖精さんを。
誰にも真実は分からない。妖精さんは《魔法使い》が再び反転した姿なのか、確かめる術はない。ただ、今のこの国は妖精の楽園になったという事実が残されただけである。
妖精 一河 吉人 @109mt
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