【後編】

「まだ勝負は――」

「少し休めば大丈夫でしょう。個室用意してますんで、そこでちょっとソファで寝かせましょうか」


 混濁する意識。僕はバーテンダーと店員に抱えられて個室のカラオケルームに連れて行かれた。柴崎彩子と友人が話しているのが聞こえた。


「キっモい」「馬鹿みたい」

「追い出しましょうか」

「ぐすっ、ぐす……」

「泣かないで」「大丈夫よ」


 みじめで情けなくてどうしようもない。恥ずかしい人間。自分をどれだけおどけて見せられるか。それが生きるってことなんじゃない?


(誰の言葉だったろうか)


 ついていない。運がない、落こんでいれぱ、疫病神がついてくる。悪運を追っ払うには、笑うしかないんだ。


 宇宙将棋や異世界けん玉、魔境かくれんぼや追跡縄跳び。ずっと僕らは夢中で、本気で遊んでいた。


(どうして僕は彼女との戦いにこれほどまで執着するのだろうか)


 いくら将棋やけん玉に夢中になっても、彼女と一緒に初めて技を覚えた時の喜びや、初めて見た物語の興奮、語り合った世界観や冒険の輝き、あの時に感じた楽しさを二度と越えられることはなかったからだ。


(でも彼女を泣かせてしまった。もう終わりにしなければいけない)


        ※


「泣かないで、あちゃこ」

「違うの」


 親友と先輩、戻ってきた四谷夫人に囲まれながら柴崎彩子はうずくまって泣いていた。


「だって、だって。大会で優勝して私にプロポーズしてくれるなんて、ものすごくロマンチックじゃないの? ずっと準備してたのに、ずっと受ける準備をしていたのに」


「な、何ですって?」安永さんと中岡さんは目をあわせた。「どういうこと。ちゃんと説明しなさい」


「ごめんなさい、みなさん。四谷さんにも申し訳ありませんでした。私は、私は最低の人間なんです――」



 少し頭の弱い姉がいた。子供の頃、小さい頃はそんなこと気にせず、毎日将棋やけん玉で遊んでいたっけ。


 でも、中学から高校に上がる頃、私はそんな姉に少し疲れていたんだと思う。彼女を邪険に扱ってひどいことを言った。


『受験もあるし、遊んでる暇なんかないわよ。それは姉さんはいいよ。ずっと、お父さんのお金で遊んでればいいんだからね!』


 五年前。カーデシア師匠の搬送は嘘だったけれど、病院に行ったのは本当だった。大学四年間と社会人、実家に帰ったのは一度だけだ。


『私には私の人生があるの。もうあっちに行って! いえ、私が出ていく』あんな酷いことを言って実家を飛び出した私に姉はこういった。


「ごめんね、あちゃこ。ダメな姉さんでごめんね。ダメな姉さんで」


 姉が亡くなった。涙が止まらなかった。もっとたくさん、姉さんと遊びたかった。もっとたくさん同じ時間を過ごしたかった。


 もう立ち直れない。でもそんな時にはいつも変わらず、彼がいた。私より何倍も家族や友人を邪険にする男。邪険にするけど絶対に傷付けたりせず、それを笑いにする彼が。


 学生時代。姉のこともあり、両親は私に対して教育や規律に厳しかった。金城くんは姉とも真剣に遊んでいた。


 だから彼と一緒に泊まったり家に行ったり、初めての経験ばかりだった。やっちゃいけないこと、食べちゃいけないお菓子、禁止されてたことばかりだ。


 それが、どうしても泣いてしまいそうなほど嬉しくて。私はその快楽に溺れていたのかもしれない。


 これは欲望に負けた自分への罰だ。彼には彼の人生がある。自分の発した言葉は、自分を縛る鎖となった。


 きっとそう。多分、私はもう元に戻れない。以前の規律を守る厳粛な家庭の習い事ばかりの生活には戻れない。金城くんに恋をしたから。


 つまらない現実から目を背けて、恋に逃げようとしていた。彼を前にして自分の深い欲望を知ってしまった。


 弱さを知ってしまったから、彼が目の前に現れるたびに彼の心の強さと優しさを知ったから。


 私の中には醜い感情があった。すべてを知っていて、だから彼に言ったのは逆の言葉だった。


『あなたになんか、何一つ負けるわけないでしょ。もし負けたら何でも言うことを聞いてあげるわ。そうね交際だってプロポーズだって構わないわよ』


 彼を変態だとか気持ち悪いとかいう女の人はたくさんいる。でも本当の彼の優しさを知っているのは私だけ。


 もし全てを知って、彼が私を求めてくれるなら、私は彼と結ばれたいと思ってる。それが本心だった。


「儂らが言うのもなんじゃが、彼は本当に心の優しいいい男じゃ」

「私も彼と、この人と長年連れ添ってきたけれど」四谷婆さんは柴崎彩子の手を優しく握った。

「一緒にいて喧嘩することもある。でも後悔したことは一度もないわ。自分を信じて、ほら行きましょう」


 無事に仲直りした夫婦と中岡先輩、安永さんと共に私たちはカラオケルームのドアを開いた。


 そこには酔からさめた金城蒼汰がギターを持って座っていた。


「我が宿敵、柴崎彩子よ」彼はマイクを椅子の高さに合わせて言った。「これで我らの戦いは終わりだ。フィナーレに曲を贈ろう。聴いてくれ」


 優しい曲だった。


 おお、あちゃこ。君を困らせてごめんよ。オタクで中二病の僕は、ずっと君が好きだった♪


 おお、あちゃこ。いつも追いかけ回してキモいよね。君と遊ぶのが好きだったんだ♪


 おお、あちゃこ。知ってるよ、僕は君としゃべる資格のある人間じゃない。君はどこに行ったって好かれるし、最高のいい女だから♪


 おお、あちゃこ。みじめで情けなくてどうしようもない。恥ずかしい人間。自分をどれだけおどけて見せられるか♪


 おお、あちゃこ。それが生きるってことなんじゃない。君の言葉だね♪


 おお、あちゃこ。僕はまだまだゲームを、人生を楽しまなきゃいけない。挑まなきゃならない。居なくなった奴らの分までね♪


 おお、あちゃこ。最後まで勝てなくてごめんよ。馬鹿で勇気がなくてプロポーズできなくてごめんよ♪


「あああっ!」私は思わず、彼の元へ駆け出していた。そして抱きついて彼の唇を、私の唇でふさいだ。そしてこう言ったの。


「なんて素敵な歌なの。もう負けたわ、私の方こそあなたと結婚したいっ。プロポーズを受けるわ!」


「……」

「……」

「まじよね?」中岡さんと安永さんは真顔のまま目を合わせていた。「なんか、もう帰りましょうか」

「うんうん、帰りましょう。見てらんないわ」「キモい歌だったね」

「普通は、あれ怖くて泣くやつよね」

「アハハハハ、本人がいいなら放っておきましょう」

「さっきは飛び出してごめんなさい、お爺さん」「トリの降臨かもしれんのぉ」「えっ?」

「何でもないわい。何かに操られたのかもしれん。長く生きてればそういうこともあるじゃろう」

「うふふふ」



        完




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【KAC20254】異世界制覇剣玉ガベラボーラー 石田宏暁 @nashida

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