芽吹くカリシア
縁代まと
芽吹くカリシア
ざわざわと木の葉の擦れる音が響く深い森。
それは我が家から電車を乗り継いだ先にある、通称『妖精の森』だった。
由来は定かではないけれど、鎖国を解いて入ってきた外国人に同伴した妖精たちが気に入って住み始めたという説がある。
もちろんただのオカルトだけれど、私と親友はそういった話が好きでよく盛り上がっていたから――うってつけだと思ったの。
私たちの最後の思い出作りに。
***
私、
引っ越してきたばかりで孤立していた鈴世に私から話しかけたのがきっかけだった。鈴世は初めはオカルトに興味はなかったけれど、私といるうちに好きになり、今では私より多くの新しい情報を仕入れてくる。
妖精の森の話も鈴世が見つけたものだった。
ネットで有名というわけでも、近くに観光名所があるというわけでもなく、しかし森単体で名所と呼べるような感じでもなかったので森周辺は寂れていた。
民家はいくつか見かけたけれど、人とすれ違うことは一度もなかったから相当だ。
「よーし、今日はバッチリ調べましょ!」
「妖精、撮影できるといいなぁ」
鈴世は意気揚々と、私はスマホを片手に森の中へと足を進める。
森の中の土はさっきまでの歩道よりも少し湿気を帯びているように感じられた。
少し鬱蒼としているものの日の光が完全に入らないというほどじゃない。ただ夜になると怖いだろうなと確信できる雰囲気はあった。
「妖精より虫が出そう……」
鈴世の言葉に私は同意する。虫除け対策は万全だ。ヒルに噛まれないように専用のブーツも用意してきた。
あまり奥まったところに行くと今度は遭難の危険があるけれど、探索は電波の届く範囲だけにしようと事前にふたりで決めてある。
私たちは周囲やスマホ画面を注視しながら進んだ。
――どれくらい経っただろう。
少し開けた場所に出た。そこだけ木を伐採してスペースを空けたかのようだったけれど、切株も掘り起こした形跡もない。
「ふふ、ここで夜な夜な妖精たちが集会を開いてたりして」
「まさか~」
でも浪漫があって好きな妄想だった。
鈴世はきょろきょろと辺りを見回しながら広場を歩き回る。
「ここの妖精って人間には友好的なんだよね?」
「ええ、そうよ。人間の願いを叶えてあげようとした逸話も残ってるみたい」
まあ眉唾物だけど、と鈴世は肩を揺らして笑った。
オカルトは好きだけど自分で経験するなら害意のある存在と出くわすのは勘弁してほしかったので、ここの妖精たちが良い子で良かった。
これならもし姿を見ても怯えなくて済みそうだ。
……妖精を見つけて、鈴世を交えてみんなと遊んで、記念撮影をすれば、これから鈴世と離れ離れになっても強く生きていける気がする。
私たちはこれまで一心同体のようにつるんできたけれど、鈴世は高校卒業後に親の都合で海外へ引っ越すことになっていた。
しかも猶予はあるものの、引っ越しの予定自体は突然決まったのでまさに寝耳に水だった。
だから鈴世を笑って見送りたかったのに、心の整理がつかなくて少し荒れたこともある。今は少しでも受け入れられるように色んなことを試している最中だ。
(半身を引き裂かれるようで怖かったけれど――鈴世には鈴世の人生がある。ずるずるとしがみついてちゃダメだ)
それに海外といってもネットを通じて話すことはできる。
……もう触れ合うことはできないけれど。
最後に手くらいは繋いでおこうか、と雰囲気にかこつけて行動するか悶々とする。
私は鈴世が大好きだ。ただ、その気持ちには友愛以外のものも含まれている。世間の大半の人は異性に向けるそれを、私は親友に対して抱き続けていた。
だから、邪な気持ちで触れるのはダメ。
そう自分に待ったをかける。下心のない時はいいけど、ある時は我慢だ。
そしてここまで我慢したなら最後まで守り通したい。今日も手を繋ぐのは妄想の中だけにしておこう、と自制心を総動員していると――鈴世の「あっ」という声が耳に届いた。
何事かと振り返る。
視線の先では、鈴世の目と鼻の先にうっすらと光るものが浮いていた。
もしかして妖精だろうか。そう心が高揚する。鈴世も同じだったらしく、笑顔で私になにか言おうとしたが、それと同時に光が近づいて鈴世の頬に触れた。
あ、キスしたんだ。
なぜかそう直感した。
鈴世は「わっ、熱い!」と飛び退いたけれど、その時にはすでに光はどこかに逃げてしまっていた。
妖精らしきものに出会ったのに撮れなかった、そう惜しむ前にどうしても「鈴世にキスした! 私ですらしたことないのに!」という場違いな想いが湧いてくる。
それをなだめている間に鈴世が頬に触れたまま固まっていることに気がついた。
「どうしたの? あっ、もしかして妖精じゃなくて大きな虫だったオチ? 刺されたなら病院に行かなきゃ!」
「……」
「……鈴世?」
鈴世からの返事はない。
ただ僅かに俯いていた顔を上げ、虚ろな瞳でこちらを見る。
その目と視線が合った瞬間、鈴世の頬が芽吹いた。
薄桃色の可愛らしい葉がぶわりと広がる。
丸っこい葉は愛らしかったけれど、鈴世から生えてきたという事実が植物を愛でようとする心を制止した。なにが起こったのかよくわからない。
鈴世は自分から芽吹いたものにどんどん覆い隠されていく。
そして、あっという間に薄桃色の植物になってしまった。
妖精の森の、開けた広場で。
***
その瞬間の私は昔お母さんが買ってた園芸雑誌のことを思い出していた気がする。
雑誌には多肉植物の特集が組まれており、そこに載っていたカリシアによく似ていた。いや、むしろ見た目だけならそのままだ。
ただし大きさは人間より大きく、ちょうど鈴世をすっぽりと覆うくらいだった。着ぐるみを着ている人を想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。
鈴世は巨大なカリシアになってしまった。
いや、巨大なカリシアの養分にされただけかもしれないけれど……まだそんな風には思いたくなかったので、私は考えないようにしている。
鈴世は私と旅行に行った先で行方不明になった、という扱いになっている。
警察は必死になって探しているけれど真実には辿り着けていない。この森にも来たけれど、なぜか大人数で入ると広場へ行けないからだ。
妖精が驚くからだと思う。
……と、妖精のことをわかった気になって思っているけれど、あれから妖精らしきものには一度も会っていなかった。
私は鈴世がカリシアになってから何度も何度も妖精の森に通っている。
しかし妖精が気に入ったのは鈴世だけだったのか、どこを探しても見つけられなかった。
「……鈴世がこうなった時に急いで助けを呼べばよかったのかなぁ。でも結局警察みたいに辿り着けないか」
カリシアになった鈴世はなにも言わない。
それでも隣に腰掛けて話しかけ続ける。返事がなくったって鈴世は鈴世だ。
じつのところ、こうなってから私は少しばかり穏やかな気持ちになっていた。
最初こそ取り乱したものの、鈴世がこの地に根を張っているのを土を掘って確認してから考えが変わった。
――つまり、鈴世はもうここから動けない。
海外に行くこともない。
私から離れていかない。
そんな事実から私は安らぎを得ていた。
けれど鈴世の人生は閉ざされたも同然で、それを思うと胸が締め付けられて何度も吐いた。この状況を喜ぶ自分と苦しむ自分のふたりが同時に存在している。
今日も小さくない罪悪感を抱きながら鈴世の隣にいた。
ただ、今日は安らぎがいつもより少ない。
「……鈴世のお母さん、倒れて入院しちゃった。お父さんも体調が悪そうだったよ」
家族ぐるみでの付き合いはしていないけれど、鈴世の両親には何度も会ったことがある。だからふたりが摩耗していく様子を見るのは辛かった。
膝にのせた手が震える。
「ずっと、ずっと考えないようにしてたんだけど――こ、これってさぁ」
見上げると、いつものように薄桃色の葉が目に入った。
「私が鈴世と離れたくない、って思ったからなのかな」
……妖精に気に入られたのが鈴世ではなく、私だったとしたら?
離れ離れになりたくないという願いを受け取った妖精が鈴世をカリシアにしてしまったのかもれない。
妖精は人間のことが好きみたいだけれど、妖精は妖精であって人間とは違う生き物だ。考え方も文化も異なるかもしれない。
だから善意でやったことだとしても、人間にとっては地獄のような結果になってしまったんじゃないか。
――そう感じることが増えた。だから意識的に目を逸らしていた。
でも今日はダメだ。
膝を抱えて涙を流していると緩い風が吹いて鈴世の蔓が揺れる。その蔓が私の手の甲に触れた。まるで撫でられているみたいだ。
鈴世が人間でもカリシアでも、撫でられたら嬉しい。
私の気持ちは変わっていない。
ああ、これを伝えてしまえたらどれだけ良かっただろう。
「……私、鈴世のことが好きだったんだ」
そう思った時には口から言葉が零れていた。
鈴世からは返事はないけれど、今はそのほうがいい。
「黒い癖っ毛の私とは正反対の栗毛の長い髪も、丸い目も、活発なところも、落ち込んでるとすぐに気づいて声をかけてくれるところも、新しいことにチャレンジするところも、……でも古いことも大切にするところも、全部好きだった」
鈴世から貰ったメッセージはすべてログを取ったり、ロックをかけたりしている。
鈴世との思い出は日記に綴った。見せられないけれど。
鈴世がくれたプレゼントは今も昔も宝物だ。
私は鈴世が大好きだった。
気持ちに応えてもらえなくてもいいから伝えたかったけれど、関係を壊したくなくて黙り続けていた。これからずっと死ぬまで、それこそ墓場まで持っていくつもりだった。
でも今はこうして話している。カリシアになった鈴世に想いを告げるなんて、去年の私は考えもしなかったと思う。
ああ、あなたが人間だった時に言っておけばよかった。
そう思っていると――鈴世の蔓が私の頬を撫でた。
思わず目を瞬かせる。だって今は風がやんでいるのだから。
「り、鈴世?」
やっぱり返事はない。
でも鈴世が頬を撫でてくれている、そんな気がして心の中が熱くなった。
その熱が溢れて頬まで熱くなり――そっと触れると、そこに芽が生えていた。
多分、私も鈴世のようになるんだと思う。
でもそれは。
(鈴世も……鈴世も私と離れたくないって思ってくれたってことだ)
あなたの隣にいられるなら、どんな姿でも構わない。
そんな気持ちまで見透かされた気がするけれど、ちっとも嫌じゃなかった。むしろ救いを得たような気持ちだ。
私は手を、――蔓を伸ばす。
そして、鈴世の蔓と絡み合わせた。
あなたが大好きですという気持ちを籠めて、手を繋ぐように。
芽吹くカリシア 縁代まと @enishiromato
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