思い
アパートに帰ると驚いた。一人暮らしなのに、電気がついているのだ。どうやら、おれの運の悪さはここまで来たようだ。泥棒か? いや。泥棒が電気をつけるか?
サビついて今にも壊れそうな鉄製の外階段を上り、自分の部屋のドアを開く。なんだかムカムカしていたから。もうどうでもいいと思ったのだ。
「おい! この野郎!! 人の家に入って、勝手になにやってんだ……よ……?」
図体のでかい、覆面の強盗を想像していたおれは、そこに広がる光景に目を見張った。おれの部屋は、美しく掃除されていたのだ。
いつも脱ぎっぱなしの服は、きれいにたたまれていた。コンビニの弁当ゴミやビールの空き缶もなくなっている。水垢だらけのキッチンも、キラキラと輝いていた。
しかもなんだかいい匂いがする。この匂い。懐かしい匂い。おれはいざなわれるゆおうに靴を脱ぎ、中に入り込んだ。中ではなんだか小さいものがたくさんうごめいている。虫? いや。違う。これは……。
「お帰り。和夫」
その声を合図に、そこにいるたくさんの存在が、「お帰り。和夫」と言った。その声は重なったり、ずれたりして、まるで歌声のようにも聞こえる。
疲れているのだな、と思った。何度目をこすってみても、そこにいるのは小さい人間だったからだ。彼らは背中に小さい羽を持ち縦横無尽におれの部屋を飛び回る。なにをしているのかと思えば、彼らは様々なことをしていた。
布団をきれいに直してくれている者たち。
食事の準備をしている者たち。
風呂の掃除をしてくれている者たち。
机の上を片付けてくれている者たち……。
「お、お前たちは。なんなんだ」
夢だ。夢。そう自分に言い聞かせながら訪ねると、キッチンで鍋の番をしていた一人がおれの目の前に飛んできた。彼女はフェアマの店員と同じ金髪だった。羽が羽ばたく度に、肩までの美しい髪が揺らめいた。
「私たちは、妖精派遣所からまいりました。お帰りなさい。和夫」
「妖精派遣所? っつか、なんで呼び捨て」
「依頼主様から、『和夫』と聞いておりますので」
「依頼主だって?」
「そうです。依頼主様は、ご自分がお亡くなりになったとき、和夫の生活の様子をみて欲しいとご依頼されてきました。もう自分ではなにもできなくなる。あの子を残してあの世に行くのは心配でたまらない。どうか、死後のあの子をよろしく、とのことです」
「死後って……え? 母さん?」
「そうですよ。和夫。あなたのお母さまです。ご依頼の肉じゃがです。あなたがこれを食べて私たちの任務は完了です。さあ、早くお食べなさい」
彼女は振り返った。つられてそこを見ると、いつの間にかテーブルの上には、ほかほかのごはんと肉じゃががあった。おれはそっと椅子に座ると用意されていたはしを持ち上げて「いただきます」と言った。
肉じゃがは母さんの味だった。懐かしい味だ。コンビニの弁当なんかよりも数十倍もうまい。ああ、もうこれが食べられなくなるのか。そう思うと涙が出た。
(もっと頻繁に会いに行けばよかった。母さん。ごめん……)
母さんはおれのこと忘れてなんかいない。ずっとずっと心配してくれていたんだ——。
涙でぐしゃぐしゃの視界に、おれを取り囲むように座って凝視している妖精たちの姿が見えた。
「そ、そんなに見られると、恥ずかしいだろう」
彼らは互いに顔を見合わせると、無表情のまま飛び立つ。
「おい。もう行くのか?」
「私たちの任務は完了しました。それでは失礼します」
彼らはあっという間にどこかに消えていった。残されたおれの心には、故郷の懐かしい光景と、いつも笑顔で「お帰り、和夫」と言ってくれた母親の笑顔が浮かんでいた。
「帰ろう」
その時、メールの着信を知らせる音が鳴る。スマホを開くと上司からの返信だった。
『お前も辛いだろう。しばらく休め。上には言っておく。しっかり最後の親孝行してこい』と書いてあった。
「悪い人じゃないんだけどな。本当。なんなんだよ……」
泣きたいのか、笑いたいのか。
複雑な気持ち。けれど、なんだか久しぶりに泣いて、ずっと喉の奥に詰まっていたものが取れた気がした。
どうなるかわからないけど。
なんか前向ける気がした。
ありがとう。母さん。
そして、ありがとう。妖精たち。
あれから。母さんの葬儀を終えて戻ったおれは、フェアマに行った。けれど、フェアマは閉店していた。
—了—
【KAC20253】社畜の男 雪うさこ @yuki_usako
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