幸せになれる靴【KAC2025】
空草 うつを
靴の妖精
「自信がないんです」
ウナの沈んだ声に、暖炉の火がパチンと弾ける音が重なった。いつもそうだ。タイミングが悪い。ウナの小さな声など届くわけがない。だが、目の前にいる人物にはウナの言葉は届いていたようだ。
「なぜ、自信がないのですか」
膝の上で握りしめていた自分の手から視線を上げた。目が合ったのは赤毛の青年だ。髪の毛は癖っ毛なのか所々跳ねていて、綿のシャツにサスペンダーがついた緑色のズボンという服装だった。はいている黒い革靴はピカピカに磨かれている。
赤毛の青年は、机の上に広げた赤色の革を大きなハサミで切っていた。
「私は女優を目指してこの町に来ました。でもオーディションでは落ちてばかりいます……オーディションを受けにいくと、周りにいる子達の方がきれいでかわいくて、演技もうまくて。自分には、無理なんじゃないかって諦めているんです」
ウナがぽつりぽつりと胸の内を明かしている合間、赤毛の青年は革を縫合していた。
「自信をなくしている時は、他人の方が優れていると思うのは仕方ない事だと思いますよ」
針を動かしながら、赤毛の青年はウナに語りかけた。平面だった革が立体へと生まれ変わる様を、ウナはぼうっと眺めながら聴いていた。
「でも、まだあなたは本当に諦めたわけではないのでしょう?」
赤毛の青年がちらりと視線をよこした。その先にあったウナの鞄には、オーディション参加者募集の文字が大きく書かれた紙が入っていた。
「諦めが悪いのが、私のよくないところです」
「いいえ、夢を追い続けているのがあなたの強みですよ。誰もができることじゃない。夢半ばで追うのをやめてしまう人の方が多いと思います。あなたは、夢を叶えるためにたくさん努力をしてきたんじゃありませんか?」
ウナの手足はモデルのように細く長くない。だからそう見えるような魅せ方を研究した。
ウナの顔はどちらかといえば地味だ。だからメイクを変えてみたり視線の動かし方を追求した。
ウナの声は小さい。だから誰の心にも届くような発声練習を欠かさなかった。
ウナはオーディションに落ち続けた。だから何故落ちてしまったのかひとりで反省会を開いて次は同じ失敗をしないよう心がけた。
たくさん芝居を見て先輩達の技を覚えた。たくさん台本を読み込んで登場人物の心情を読み解いた。たくさん仲間と話をして情報を交換しあった。たくさんたくさん、自分ができることをしてきた。
それでも、オーディションに受かることはなかった。
「もう、私は……」
限界だ、と視線が足元へと向いた瞬間、涙がぽろぽろと床に落ちていった。
赤毛の青年は吊り込みの作業に入っていた。釘を打つ音が響く中、ウナは泣き続けた。
ひとしきり泣いて涙が枯れた頃。朝の光が部屋に入ってきた。ウナがここへやって来たのが夜のことで、一晩中泣いていたようだ。
自分の足を見ていたウナの視界に、目が覚めるような赤が差し込まれた。
「できました」
それは赤色のパンプスだった。青年から受け取ると、その赤は朝日に映えてキラキラと輝いて見えた。
「とある国には、素敵な靴はあなたを幸せな場所へ連れて行ってくれる、ということわざがあるようです。あなたが幸せだと思う場所に連れて行ってくれるよう、靴に願いを込めて作りました」
「幸せだと、思う場所……」
「辛くなったり、もうダメだと思った時、足元を見てみてください。この靴は、夢への道を切り開く力になってくれると思います」
半信半疑で、使い古された黒いパンプスから赤いパンプスへと履き替えた。地味だった自分の足が、華やかに見えるような気がする。
「ありがとうございます。あの、お代は」
「お代は結構。あなたの晴れ姿を見せてくだされば、それで。夜が明けました。これからオーディションなのでしょう?」
椅子から飛び上がり、鏡を覗けば、泣き腫らした顔があった。
「いけない! 準備しないと!」
慌ててウナは靴屋を出て行った。
朝の大通りを小走りで行けば、赤いパンプスから軽やかな音が鳴っていた。
急いで家に帰り、支度をしてオーディション会場へと向かう。やはりそこには、自分よりもきれいでかわいい人達がたくさんいた。
また落ちてしまうのではないか。そう思うと足が動かない。ふと視線を下に向けた。赤いパンプスがきらりと光る。新しい靴に変えただけなのに、気分が上がるのは何故だろう、とウナは首をかしげる。
新しい靴になった、それは前までの自分から新しい自分に履き替えたということなのかもしれない。
今日は昨日とは違う気がした。なぜなら、ウナの足取りがとてもとても軽くて、自信に溢れていたからだ。
「……あなたの靴が、素敵な道へと連れて行ってくれますように」
赤毛の青年はそっと祈った。
彼は幸せになれる靴を作る、靴職人の妖精——レプラコーン。
からんころん、と小気味良い音を奏でて誰かがドアを開けたことを告げる。
自信なさげに入って来たのは、ひとりの少年だった。
「いらっしゃいませ。ようこそ、靴屋『シャムロック』へ」
おわり
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