【プロトタイプ】中古レコード店『スカイウォーカー・チルドレン』の日常 part3

榊琉那@Cat on the Roof

寂しい時に聴いてみたい、まるで妖精が出てくるような、涙が溢れてきそうな曲たち。

(はぁ……)

 今日、何回目だろう、ミオは溜息をついている。


 現在ミオは、子供も育って悠々自適な生活をしている。そんな風に思っていた。夫となった人は穏やかな人で、何の不満も感じられない。生活に不便を感じた事はなかったし、まぁ子供が反抗期で言う事を聞かないような時期はあったものの、今は普通に接している。子供は大学進学で家を出て生活をしているが、生活に困らない程度の仕送りはしているし、本人もアルバイトをして生活費の足しにしている。何でもアルバイトをしているのが楽しいという事で、学生の本分である勉学の方が疎かにならないかと心配はしているが。まぁ、些細な問題だと思っている。決して長くない学生生活だ。そこで得たものは、将来きっと役に立つんだろうなと思っている。


 でも、何かが足りないとミオは思っている。確かに夫にも子供にも恵まれて不満と思う事はない。その代わりミオは、自分の事よりも家族を優先にしてきたのだった。

 欲しいものも買わず、お洒落にも目もくれず、勿論、酒を飲むような事もしなかった。結婚する為に家を出て、知り合いもいないような遠くの街へと嫁いできたのだ。そして引っ込み思案な性格が災いとなって、ママ友となるような人も出来なかった。勿論、少しは仲のいい人もいたのだが、他のママ友の様に、一緒に出掛けたり食事をするような事はなかった。決して嫌われている訳ではなかったのだが、ミオは他の人とは波長が合わないというか、テンポが独特というか、どうも一緒にいると相手が疲れるらしい。ミオ自身もそう思ってはいたので、嫌われているわけではないからいいと、気にしないで生活していた。まぁそんな事は気にしないで接してくれる夫の方が変わっているのかもしれない。


(何だか、張り詰めた糸が切れた様な気分……)

 子供も今は家にいないから、夫を仕事を送り出した後は、夫が帰ってくるまではミオは家でひとりぼっちだ。勿論、普段からの家事に手を抜く事はない。でもやる事には限りがある。一人でぼーっとする時間も多くなった気がする。

 夫が仕事が休みの時には、どこか気晴らしに一緒に遊びに行ったり、食事をしに行く事はあるのだが、猫を飼っているので、何日もかけての旅行は出来なかった。人のいい夫が引き取ってほしいと頼まれてもらってきた子猫が、今では立派な成猫に成長していた。最初ミオは、面倒だと思っていたのだが、今では夫よりも可愛がっているのではとさえ思う位だ。人見知りをする猫だから、長い期間、預けるのも不安だったりする。これが遠出が出来ない理由であるが、ミオにとってそれ以上に猫から与えてもらったものがあるから、不満には思っていない。猫と一緒に過ごす時間も悪くないと思っていた。でも最近、もう少し何かが欲しいと思ってきたのも事実だ。


 こんな気分ではいけないと、ミオは当てもなく出かける事にした。いつもの買い物をするルートではなく、普段は行かないような所を散策するのもたまにはいいなと思い、いつもよりも早く家事を片付けたのだった。初めて訪れる場所、目的などは考えていない。何か興味があるものが見つかればラッキー、そんな軽い考えで歩いてみる。普段、行かない場所だから何もかも新鮮に思える。これで気分転換になればいいのだがと思っている。


(あら、ここは……)

 たまたまミオの目に入ったものは、古ぼけたビルの1階にある店。別にお洒落でも何でもない。普段なら普通に通り過ぎるだろうけれど、何故だか知らないけれど気になってしまったのだ。本当に何でだろう?看板を見るとこう記されていた。


『中古レコード スカイウォーカー・チルドレン』


(スカイウォーカーって、SF映画とかに詳しいのかしら?)

 ミオは、スカイウォーカーの名前を見て、有名なSF映画の登場人物が思い浮かんだ。中古レコードと、どんな関係があるのだろうか?何となく気になったミオは、思い切って店内へと入ってみた。


(へぇ……、結構ごちゃごちゃしているのね)

 よく考えてみたら、普通のCDショップとかも殆ど行く事などなかったのだった。どうして中に入ろうと思ったんだろう?ミオは不思議に思っていた。

 店内はそれ程広くはないが、レコードを中心にCD類、音楽関連の書籍等が所狭しと配置されている。じっくりと音楽を聴く事もなかっただけに、どこを見ていいのかわからなかった。一応、日本の音楽と洋楽と別れて配置されているようだ。ミオは洋楽には疎いので、日本の音楽を配置しているCD類の棚を見ている。少しは聞いた事あるような歌手やグループを捜してみたが、聞いた事のない歌手やグループばかりだ。一体、どんな音楽を演奏するんだろう?ミオにはさっぱり見当がつかなかった。


「何かお探し物でもありますか?」

 不意に男性に声を掛けられた。それ相応の年齢だろうけれど、どうも年齢がわかりづらい風貌をしていた。若く見えるようで、顔には皺が見える。悪人には見えないにしても、何を考えているかわからないような、そんな捉えどころのない感じだ。ミオはどう返事をしたらいいかわからず戸惑っていた。

「私はこの店の店主です。探しているものがあれば、なんなりと言ってみてください。在庫があるものなら用意しますので」

 店主を名乗る男性の声は、渋いという程ではないが、落ち着いた感じがする。不思議な感じのする店主だな、とミオは思ったのだった。『結構です』と断ろうとも思ったのだけれど、ミオの口からは思いがけない言葉が発せられた。どうしてこんな言葉が出たのか、ミオ自身にも理解していなかったのだ。


「まるで妖精でも出てきそうな、そんな幻想的というか、心が落ち着くようなものってありますか?」


「これはまた難儀な……」

 店主である下野は、またしても困惑していた。確かこの前も難題を吹っ掛けられた気がする。でも今回はまだ何とかなりそうだった。下野は少々思案してみて、このお客の好みに合いそうなものをセレクトしてみた。


「自分の好みとかも入りますが、まずはこの辺りはどうでしょう?」

 下野がまず用意してみたのが、エンヤの『ウォーターマーク』というアルバムだ。実質的な彼女のソロデビュー作である。多重録音を繰り返した荘厳な音は、確かに妖精が姿を現しそうな幻想的なものだ。

 そしてもう一枚。エンヤが嘗て所属していたグループであるクラナドの『マジカルリング』というアルバムだ。クラナドは、エンヤの兄弟、従妹等を中心としたグループで、ボーカルのモイアは、エンヤの実姉である。元々は出身のアイルランドのトラッドを演奏していたグループだけれど、大手のレコード会社と契約してからは、コーラスの美しさを生かした音楽を演奏するようになっていった。下野も大好きな曲である『ハリーズゲームのテーマ』は、元々ドラマで使用された曲だが、コーラスが美しいのが印象的だ。

 今は他に客がいなかったので、下野の好意で視聴させてもらった。エンヤの代表曲である『オリノコ・フロウ』とクラナドの『ハリーズゲームのテーマ』を聴いてみた。


 安らぎを感じるような曲を聴いていたら、ふと遥か昔のとっくに記憶から消えていた情景が見えてきた。ミオがまだ学生時代、夏休みの時期に招待され遊びに行った、田舎の山にある古臭い別荘。そこで出会った純粋無垢さを感じさせた少年の事。うぶで穢れの欠片ない様で、でも不器用そうで、側にいてやりたいような、そんな少年とのちょっとしたやりとりは、淡い思い出の一つとなっていた。その別荘が取り壊されたから、もう二度と会う事はなかった。いつの間にか記憶から消えていたが、今はどうしているんだろう?と今更ながら思うのだった。


「凄くいいですね。昔の忘れていた思い出が浮かんで来ました」

 ミオは率直な感想を下野へ述べてみた。本当に不思議な気分になったのも事実だ。

「気に入ってもらえてよかったです。私も『オリノコ・フロウ』を聴くと、少年時代の川辺で遊んでいた思い出が浮かんでくるんですよ」

 ミオは驚いた。何もない田舎での出来事、自分と同じような景色が見えてくるのだろうか?気になって店主に詳細を尋ねてみた。『その思い出の事を聞かせてください』と。下野はゆっくりと話し出す。


「まだ小学生ぐらいの頃だったかな。田舎の山にある知り合いの別荘に行った事があって。周りに何もない様な本当に田舎な所で、綺麗な水の川で遊んでいたっけなぁ」

 驚いたことに、ミオが経験したような事を店主の人も体験したようだ。まさかと思うが、この店主があの時の少年なんだろうか?いや、流石に違うと思うが……。

「子供一人では危ないという事で、知り合いの人のお姉さんが付いてきてくれたっけ。長い黒髪と白いワンピースが印象的な人だったけど、名前は思い出せないんだよなぁ」

 ミオが益々驚く事になる。確かに少年と遊んだ時は、今のショートカットの髪型ではなく、ロングヘアだったし、白いワンピースを着ていた記憶もある。

「遊んだのはほんの短い間だったけど、本当に綺麗な人で精霊というか、妖精というか、そんなイメージの人だったかな。だからこういった曲を聴くと思い出すのかもしれない」

 この話を聞いてから、ミオは店主の下野に対し、なんとなく親近感を覚えるのだった。


「他には何かいいのはありますかね?日本の人のものもあれば聴いてみたいのですが」

「うちで扱っているのは、最近の曲とかは殆ど無いからねぇ。思いついたのはあるけど、今の売り物の中には無いから、ちょっと私物を持ってこようかな」

 そう言って下野は、店の奥からCDを何枚か持ってきた。これは下野のコレクションのものらしい。

「これは『アストゥーリアス』というグループの1stアルバム。インストものだけど、まるでニューエイジミュージックみたいな感じだから聴きやすいと思う。マイナーだけど、いいグループだよ」

 下野は、1曲目に収録されている『流氷』という曲を聴かせてみた。ミオはそれに耳を傾ける。

「成程。リラックスしたい時のBGMとかには、いい感じかなと思いますね。あまり聴いた事のないタイプですけど、日本にもこんな音楽を演奏するグループがあるんですね」

「このジャンル、プログレッシブ・ロックって言うんですけど、今じゃマニアぐらいしか聴かないですし、そのマニアも少なくなりましたからね。でも滅びるのは惜しいですからね。もう1枚、自分が好きなアルバムなんですけど……」

 下野は、もう一枚用意したCD、『夢幻』というグループの『Sinfonia Della Luna 』を聴かせてみた。このアルバムも妖精が出てきそうなファンタジーの匂いに満ち溢れたアルバムで、ボーカルの好みが分かれそうだけど、雰囲気はよく出ていると思う。今では入手困難なのが勿体なく思える名盤の一つである。

「こちらも気に入りました。もしかしたら、このジャンル、自分と合うのかもしれませんね。もっと紹介してもらいたいけれど……、ちょっと時間が経ちすぎました。そろそろ帰らないと」

 ミオが時計を確認したら、かなりの時間が経っていた。流石に帰らないといけない。残念ながら、今日はこの辺にしておかないと。でももっと話を聞いてみたいと思っているのも事実だ。


「もしよかったら、また来てください。道楽でやっているような店なので、大抵は暇してますので。その時には、もっと色々紹介しますから」

「ありがとうございます。今日はこの2枚買いますね。今度はもう少し時間をとるので、話を聞かせてください」

「こちらこそ、ありがとうございます。この時間帯は暇な時が多いので、またのお越しをお待ちしています」

 下野は、帰ろうとするミオを見送ろうとしていたが、不意にミオからの言葉が聞こえてきた。

「聞くのを忘れていたのだけど、店主さんは『妖精』と聞いて何を思い浮かべます?」

「ええと、コマネチかな?それともジャネット・リンか」

「聞き方が悪かったですね。曲の事を聞こうと思ったんですが。ふふっ」

 ミオは、さっきとは違ってにこやかな笑顔を見せた。笑うとこんな風なんだと、下野は見つめてしまった。下野自身はバツが悪そうな表情をしていたが。

「また今度来た時に、聞かせてくださいね。それでは失礼します」

 ミオは晴れやかな表情で帰っていった。いつの間にか悩んでいた事は消えたようだった。また時間のある時にここに来よう。ちょっと変わった感じの店主だけど、また新たな発見があるかもしれないのだから。



 ○○○○


 今回登場のミオは、以前書いた短編、『夏時雨』に登場するキャラです。個人的には気に入っている作品です。(出来がいいとは言っていない)


 https://kakuyomu.jp/works/16818093081672332969



 下野がお勧めした作品、エンヤとクラナドですが、アイルランドの音楽になります。アイルランドには、他にも優れたアーチストが多数いますので、いずれは紹介出来ればと思っています。


 エンヤ『オリノコ・フロウ』

 https://www.youtube.com/watch?v=LTrk4X9ACtw


 クラナド『ハリーズゲームのテーマ』

 https://www.youtube.com/watch?v=wdpFY_jMpUg



 アストゥーリアス、夢幻に関しては、現在更新が止まっていますが、日本のプログレのグループについてのエッセイで取り上げています。もし興味がありましたら、読んでみてください。


 鬼~日本のプログレッシブロック風雲録~

 https://kakuyomu.jp/works/16818093073696395397


 アストゥーリアス『サークル・イン・ザ・フォレスト』

 https://www.youtube.com/watch?v=D0Vz0rhztkk&t=15s


 夢幻『Sinfonia Della Luna』

 https://www.youtube.com/watch?v=7K7qSSpDPTk



 本来、書こうと思ったけれど取り上げられなかった作品。イタリアのプログレ関係ですけど、やっぱり一般の人にとっては、マニアック過ぎるかなと。もし興味を持ったら聴いてもらえればいいなと。そんな美しいと思えるものを。


 ロカンダ・デッレ・ファーテ『妖精』

 https://www.youtube.com/watch?v=89GkA3J4qTg


 クエラ・ヴェッキア・ロガンダ『歓びの瞬間』

 https://www.youtube.com/watch?v=BlyMaprfb-A&t=1364s


 カテリーナ・カゼッリ『組曲・春』

 https://www.youtube.com/watch?v=EbmI7ILEKIE&list=PLZPZ3pIWao7Oxqs4VusbJt5-NC4Uw2xJp&index=10


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