ダメ男が魔導書を拾って成り上がるお話

八万

ベリキュート


「ぽとすぽとす、ぺくんぺくん、ぱるんてぱるんて、ぷるるるる……精霊界に生まれし大精霊よ! 我召喚せし偉大なる主なり! 我の求めに応じ顕現せよぉぉっ!」


 俺は六畳一間のボロアパート二階で呪文を唱え終えた。


 隣の部屋から「朝っぱらからうるせぇぇぇっ!!!」という野蛮な怒声と壁ドンがあったが、気にしない。




 いま俺の手の上には、今朝ごみ集積所で拾った、血のように赤い魔導書が開かれている。


 文庫本サイズで、革製の表紙には魔法陣のようなデザインが金糸で施され、裏には何も記されていなかった。


 俺がこれをごみ集積所で発見した時、ただの文庫本でないのはすぐに分かった。


 月曜のまだ早朝で人影もなかったことから、それを拾うと、すぐさまボロアパートへと引き返して、興奮しながらそれを開いたのだ。


 見開きに目次は無く、ただこう記されていた。



『覚悟無き者この先開くべからず』



 俺は震えた。


 この先にいったい何が書かれているのか。


 繁栄かそれとも破滅か。


 天国か地獄か。


 ただ一つ分かっていることは――俺の人生がきっと百八十度変わるということだけだ。


 それだけの絶対的オーラをこの魔導書は放っていたのだ。


 俺に躊躇いは全く無かった。


 なぜなら俺には、ギャンブルで抱えた多額の借金があるからだ。


 パチンコ、パチスロ、競馬、競輪、競艇、宝くじ。


 ありとあらゆるギャンブルに手を出し、ことごとく負け倒した。


 友人、親、親戚、消費者金融、闇金。


 もうどこからも借りることができない八方ふさがりだったのだ。


 家賃は三か月間滞納していて、電気ガス水道は既に三日前からストップしている。


 深夜のコンビニのバイトは、勝手に商品の揚げ物を毎日盗み食いしていたのが店長にバレてクビになり、その後始めたフードデリバリーのバイトも自転車を漕いでいる途中でお腹が減って、ついついつまみ食いしてしまい、客からのクレームでバレてクビになってしまった。


 この先どうやって生きて行けばいいというんだ!


 くそがっ!!!




 というやんごとなき深い事情があり、やけくその藁をも掴む気持ちで、大精霊を呼び出して人生大逆転を目論んでいるという訳だ。


 呪文を唱えるのは意外と簡単であった。


 全く読めないくねった妖しい文字の上に、ひらがなで丁寧にルビがふられていて、日本語に分かり易く翻訳されていたので、途中休憩を挟みながらも、一時間程かけてなんとか最後まで唱えることができた。



 さあ、さっさと出て来て俺に従え、大精霊よ――



 ゴゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴ、ゴゴゴ――



「来た……」


 俺は生唾を飲み込みながら、黒く禍々しい深淵を覗かせるホールが空中に出現し、六畳一間の冷たい空気を震わせ拡がるのを興奮して見守った。


 しかし、その暗黒ホールはバスケットボール程度の大きさまでしか拡がることはなかった。


 嫌な予感に顔をしかめていると、暗黒ホールから小さな梯子はしごが下りてきて、何かが出てきた。


 足のようなものがまず一本出現し、梯子を探してウロウロと彷徨さまよい、梯子の位置を確かめると、次にもう一本の足、そして苺柄のパンツを履いた小さな尻が出現し、それはフリフリと揺れていた。


 俺は畳の上で呆然と立ち尽くし、鼻水が垂れる。


 女の子は梯子を「うんしょうんしょ」と、可愛らしく自分を励ましながら降りてきて、俺の足下までトコトコ走って来るとペコリと頭を下げ、


「はじめましてご主人しゃま! わたしはイチゴの妖精、ベリキュートちゃんでっしゅ!」


 そう言うと、ダブルピースを顔の両サイドに、キッズモデルばりにポーズを決めた。


 彼女の大きさは、手のひらサイズで、頭に苺の被り物、苺柄で丈の短いワンピースに苺柄のニーハイソックス、苺のスリッパという恰好。


 顔は妖精というだけあって、お人形さんのように可愛いが、とても痛い子だということはすぐに分かった。


 俺は無言で彼女を摘まみあげ、暗黒ホールへ放り込みお帰り願おうとしたが、ぎゃぁぎゃぁ暴れて抵抗するので、仕方なく話だけ聞いてやることにした。


 聞けば、精霊の世界では落ちこぼれで何も出来ず、苺が大好きだと言う。


 俺が再び彼女を暗黒ホールへ押し込もうとすると、泣き叫び暴れながら、一つだけ特技があると主張する。


「ひっぐ、ひっぐ、ひどいでしゅご主人しゃま……イチゴくだしゃい……」

「それで? 何が出来るんだ?」


 俺は、めそめそ泣くベリキュートに少々イラつき、あぐらで腕組みしながら訊く。


「応援ができまっしゅ! だからベリキュートちゃんに、甘くておいちいイチゴくだしゃいっ! お願いしまっしゅっ」


 彼女は俺の膝にすがりつくと、鼻水を垂らし上目遣いで必死に懇願してきた。


 その後、俺は何度も彼女を暗黒ホールへ押し込もうとするが、その度にギャン泣きで暴れるので、放置することに決めた。


 いずれ諦めて帰るだろうと。


 しかし、暗黒ホールが出現して一時間もするとそれは次第に収縮し、跡形もなく消えてしまった。


 ベリキュートに訊くと、わたしは無能なのでもう帰るすべは無いと言う。




 この日からベリキュートは俺から、かた時も離れずに応援を続けてくれた。


 彼女は俺以外には見えない。


 俺が闇金の借金取りに捕まり、ホストへと売られコールに合わせ酒を浴びるように飲んでる時も彼女はずっと側で応援してくれるので、ときに客のフルーツ盛り合わせの苺をこっそり彼女に与えていたりした。


 ベリキュートの応援もあってか、俺は一年を待たずナンバーワンホストにまで上りつめ、借金を全て完済することができた。


 借金を完済したその夜、俺は相変わらずのボロアパートで、最高級の苺を皿に山盛りにしてベリキュートへプレゼントした。


「ありがとな……ベリキュート。おまえの応援のおかげで借金を全部返すことができたよ。全部おまえのおかげだ。ほんとにありがとな……」


 俺は袖で涙を拭いながら、ベリキュートに心から感謝した。


「えへへ、ありがとうございましゅぅ、モグモグ。はぅ……おいち過ぎてほっぺが落ちちゃいましゅぅぅぅっ、モグモグ。でも違いましゅよぉ、全部ご主人しゃまの努力が実を結んだんでしゅ、モグモグ。もともとご主人しゃまはやればできる立派な方なんでしゅっ、モグモグ。ご主人しゃまはベリキュートちゃんの最高のご主人しゃまなのでしゅっ……」


 ベリキュートは口いっぱいに苺を頬張りながら、なぜかポロポロと涙を落していた。


「おいおい、そんなに苺がうまかったのか? また買って来てやるからな」

「ありがとう……ございましゅ……ふぇぇぇん、ご主人しゃまぁぁぁっ!」


 その後もずっと彼女は泣きながら大好きな苺を食べ続けていた。


 この時の俺は、借金完済とホストで成り上がったことで、かなり浮かれていたんだと思う。





 翌朝起きると、ベリキュートはいなくなっていた。


 部屋の真ん中のぼろい丸テーブルの上に、へたくそな文字で書き置きを残して。




 だいしゅきなご主人しゃまへ


 イチゴとってもとってもおいちかったでしゅ


 ベリキュートはご主人しゃまが だいだいだいしゅきでしゅ


 でも ベリキュートはかえりましゅ


 かえりたくないけどかえりましゅ


 ベリキュートはいつでもどこでもご主人しゃまをおうえんしていましゅ


 ふれー ふれー ご主人しゃまっ


 ふれー ふれー ご主人しゃまっ



 ベリキュート





 おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダメ男が魔導書を拾って成り上がるお話 八万 @itou999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ