諦めを重ねてきた【KAC20252】
海音まひる
本編
憧れていた夢は、何一つとして叶わなかった。
人気のシリーズが平積みにされている。最近はあまり漫画を読まないから、流行がよくわからない。適当な一冊を手に取って、ぱらぱらめくる。
小さい頃は、漫画家になりたいと思っていた。
落書き帳に定規で線を引いて、ちょっとした漫画をいくつも描いた。
きっかけは何だったか、今となってははっきり思い出せない。
親に描きあがった作品を見せたりもした。優しかったから、すごくよく褒めてくれた。絵も、クラスの中では上手な方だった。自信ばかりが膨らんで、自分は絶対に漫画家になれると疑わなかった。
気づいたのは六年生のときだった。
愛理は、話題になり始めていた漫画を、親に買ってもらって読んでいた。
迫力のあるコマ割り。
完全に計算された緩急。
ページをめくる手が止まらない。ストーリーをなぞる行為が、至福そのものだった。
自分の落書き帳を見返して絶望する。
こんなのは、ただの四コマ漫画だ。
迫力も何もない。ただ淡々と会話が続いて、当たり前のように物語が進行して、ページの最後で終わるだけ。
自分は、漫画を描くのに向いていない。
それ以来、愛理は一切漫画を描かなくなった。
自分に衝撃的な感動を与えたあの漫画は、最終巻まで追いかけ、今でも気に入っている。けれど、心のどこかでは、自分の夢を諦めさせたのはこいつだ、と思っている。
ふと顔を上げると、美麗なイラストのポスターがある。
『大人気イラストレーター・
その文言に、ドキリとした。
(まさか……薫じゃないよね)
ポスターの少女をまじまじと見つめてみるが、中学校の同級生だった薫の画風を思い出すことは難しかった。
それでも絵を描くことが好きだった愛理は、中学に進学して、美術部に入った。
将来の夢はほとんど考えていなくて、漠然としていた。ただ、イラストレーターなら副業でもできるんじゃないかと思っていた。
部活で油絵を描きながら、隙間時間には自分の考えたキャラクターの絵を描いたりもしていた。
薫は、美術部の同級生だった。
コンクールで同じように入賞することもあったりして、自分と同じくらいの実力の子だ、とこっそり思っていた。
仲良くなったのは、三年生で同じクラスになったとき。引退は目前で、毎週の部活の時間が貴重だった。愛理と薫は、作品に全力で取り組みつつ、暇さえあればおしゃべりをしていた。
ある休み時間のことだった。
愛理と話しながら、薫がふと思いついたようにノートを取り出した。
そして、口は止めないまま、さらさらとイラストを描き始めた。
おそらく、思いついたアイデアを逃したくなかったのだろう。
上を見上げる少女の絵だった、と愛理は記憶している。
それを見て愕然とした。
こんな、ちょっとした時間で、何でもない風に、これほどの絵を描ける人がいるのなら——自分がいくら本業のかたわらで絵を描いたところで、どうにもならないのではないか。
イラストレーターになるという夢は、急速に色あせた。
描きかけだった部活の最後の作品にも、ちっとも身が入らなかった。
自分の絵は入賞どまりだった一方で、薫は優秀賞を取っていた。
仲の良い友達を妬むことはなかったけれど、どこかでコンプレックスを感じたまま、愛理は卒業した。薫は別の高校に行って、それきり会っていない。
そのままぶらぶら歩いていくと、小説コーナーに差しかかる。
ずらりと並ぶ背表紙を眺めながら、マスクの下で苦笑した。
小説家にならなれるんじゃないか、と思ったのは、国語の授業で『舞姫』を読んだときだった。
言葉づかいが古くて圧倒的に読みにくいのはともかく、この程度の、言っちゃ悪いけどクソみたいな内容が文学といえるなら、自分でもやれるんじゃないかと思ったのだ。
今思えば、浅はかだったとしか言いようがない。
愛理は、ついぞ一つも小説を書き上げることができなかった。
きっと、漫画もイラストも、自信を失わず、真面目に努力すれば、三流程度にはなれたのだろう。
しかし小説は、愛理には圧倒的に向いていなかった。
書くことに向いていなかった彼女は、自分には小説が書けないという事実にさえ気づかなかったのだ。
結局自分は、何者にもなれない、平凡な人間なんだな。
そんな諦めを抱えたまま、実家からの距離と偏差値でなんとなく決めた大学に進学した。
ライトノベルの棚の片隅に、ゲーム攻略本が置かれていた。
今やっているゲームの本を手に取ろうとしたところで、ちょっと子どもっぽいかなと考えてしまった。
ゲーム作りに携わりたいと思ったこともある。
大学の友達に勧められて、とある人気のスマホゲームをプレイしたときだ。
しかし……プログラミングのプの字も知らない自分に、いったい何ができるだろう。
一人で一からゲームを作ることはまず無理だ。
かといって、ネットで「ゲーム関連の仕事 何がある」なんて検索してみても、どれも自分にできるとは思えなかった。
就活で一社だけゲーム会社を受けてみたけれど、あっさりと落ちてしまったのは、当然の結果かもしれなかった。
雑誌のコーナーまでやってくる。
そう、愛理が久しぶりに本屋に入ってみたのは、とある雑誌に彼女の会社の商品が載っているからだ。
就職してから、時々思うことがある。
今の仕事も、間違いなくモノづくりだと。
自分は、アイデアを形にすることが好きだった。
でも、どうしても形にしたいと思えるほどのアイデアは持っていなかったのだ。
会社では、やらなくちゃいけないことはある程度決まっている。
それがむしろ、愛理にとっては楽だった。
向いている、とも言うのだろう。
漫画やイラストや小説やゲームばかりが、クリエイティブなものではないと、今ならわかる。
憧れていた夢は、何一つとして叶わなかった。
しかし愛理は、これっぽっちも後悔していない。
諦めを重ねてきた【KAC20252】 海音まひる @mahiru_1221
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