第7話 広く深い大沼と素直な気持ち

大きな沼というよりも、もはや湖。

 洞爺湖よりは小さそうだ。

 洞爺湖はもはや、海だったもんな。


「遊覧船だって」


 目についた言葉を口にすれば、文香は小さく「うん」と答える。

 調子を取り戻してきたと思ったのに、また、無口になっていた。あの子が何か原因なんだろうか。全然関係性も名前も、変わらず思い出せない。


 今は聞くべき時なのか、考えてみても答えは出なかった。


「よし、乗ろう!」


 建物の真ん中には次の回の時間だろうか、時計が表示されている。

 スマホを確かめれば、ちょうどあと十五分ほどで出るようだ。


 文香の手を引いて、答えも聞かずに建物に近づく。

 二人分の遊覧船のチケットを買えば、もうすぐに乗れると案内された。


 大沼に浮かぶほどほどの船に乗り込めば、人はまばらだ。家族連れが一組くらい。

 文香は私の隣で、じっと手を見つめている。


「もうちょっとで、出るらしいよ」

「そうだね」


 心ここに在らずな言葉に、何を言えば良いかわからない。

 どうしたら、文香の心を聞けるんだろうか。聞いたほうがいいんだろうか。


 私は、聞いてもらえた時、救われたよ。

 でも私は口下手だし、余計なことばかり口にしてしまう。

 だから、悩んでしまう。


 ガイドさんと船長が乗り込んで、遊覧船が動き始める。

 大沼と小沼の説明を聞きながら、開けた窓から吹き抜ける風に身を任せた。

 船が進むたびに、小さい水飛沫が跳ね上がる。

 そして、また深い湖の底に戻っていく。


「気持ちいいね、水がチャプチャプしてる」

「うん」

「そういえば文香は、文章書き始めたの?」


 ブログでも始めたらいいじゃん、と言ったことをふと思い出して問う。

 一瞬、表情をいつもの文香に戻して「始めてみたよ」と答えてから、また俯いた。


「ねぇ、どうしたの。あの子仲悪かったけ?」

「悪くはない、けど」

「けど?」


 文香がもごもごと口を動かして続きを話そうとした瞬間、ガイドさんの「写真撮るチャンスですよ!」という声が重なる。顔を上げれば、駒ヶ岳がちょうど晴れてよく見えていた。文香も顔を上げて、山をじいっと見つめる。


「結梨はどうして、何も聞かないの」


 文香の言葉に、一瞬返答に悩む。

 聞かないわけじゃなく、聞くのが上手くないだけで、聞こうとはしてて……


「責めてるんじゃなくて、こう、なに、黙って隣に居てくれるじゃん、いつも」

「でもほら、婚約破棄とかのことは詳しく聞いたでしょ」

「それは、話せるタイミング、察してでしょ?」


 地雷を踏み抜きたくはない。

 私のせいで文香を悲しませたくはないから、それくらいは考える。

 どれだけ、自由な私だってそれくらい考えるよ。


「結梨は、いつも待っててくれるから、ありがたいんだよ。無理しなくていいの」


 それは、私も一緒。

 文香は寄り添ってくれるし、私のことを考えてくれる。

 そして、私が文香にしてきたことは、全部、全部、文香が私にしてくれたことだ。

 文香がしてくれて、私が嬉しかったことだ。


「他の子たちは、野次馬みたいな感じでぐいぐい聞いてくるから。今の私は、あんまり見られたくなくて逃げちゃった」


 文香の先ほどの行動が腑に落ちる。あぁ、私は心を許されてるんだなと気づいたら。

 それが恥ずかしくなって目線を背ける。

 そして、冷静さを取り繕って気にしてない風に答えた。


「そっか」

「元気ちょっと出てきたし、そろそろ帰ろうかなと思ってたんだけどね」


 文香の言葉に、帰らないで、と言いたくなった。

 一人が楽で、私は一人でいるくせに。

 ただの幼なじみのくせに。

 私は、文香と二人で一緒にいるのが心地よくて、癒されていた。

 それでも、文香が帰っていいかなと思えるなら、私は背中を押さなくちゃいけない。


「そっかぁ函館から新幹線でも乗る?」

「結梨はまだ、北海道を回るの?」


 何も考えていなかった。せっかく北海道まで来たのだから、ゆっくりと一周をするのもいいかもしれない。

 さすがに、雪道の運転は自信がないから、雪が降るまでだけど。


 雪が降りしきって大沼が凍る様子を想像して、体がぶるりと寒さに震えた。

 ちょうどガイドさんは「凍るとね、ここでわかさぎ釣りができるんですよ!」と、説明をしてる。

 わかさぎ釣りをしにくるのも、良いかもしれない。


「多分、まだ回るかなぁ」

「そっかぁ」


 文香は小さく答えてから、木々に目線を移す。

 リスやシマエナガなど、小動物が見られることもあるらしい。

 私の目には、映りはしなかったけど。


 乗り込んだ場所まで遊覧船が戻り、みんな降りていく。これを降りたら、新幹線の駅まで文香を送り届けなきゃいけない。

 そう思うと腰が重く、ずしんっと全体重が足にのしかかった。


「降りないと」

「そう、だね」


 文香と旅ができたら、いい。

 文香となら一緒に居て楽しい。でも、文香には文香の人生がある。

 思わず連れ出してしまったけど、いつまでもこの時間は続かない。


 わかっていて、目を逸らし続けてきた事実に、何も答えられなくなった。

 無理矢理に立って船を降りれば、まだふわふわとしてる気がする。


「函館、ホテル取ってないよね?」


 もう帰る、という意味だろう。文香の背中を押さなきゃ。

 押さなきゃ……

 また、一人になるの?

 でも、一人がいい。

 一人は寂しい。

 私は……どうしたらいいの?


「取ってないよ」

「どこに泊まろっか」

「え?」

「えっ?」


 二人で顔を見合わせる。

 気づけば、大人になってから始めて、涙を人前でこぼしていた。


「な、なんで泣くの、待って、とりあえず車! 車戻ろう!」


 わたわたとしながら、文香は私の手を引く。力強い手に、先ほどとは逆だなという感想が浮かんだ。

 車が近づくにつれて、さっきの子がいたらどうしようという思ってしまう。

 私と関わりは薄かったけど、泣いてることを茶化されたり理由を聞かれたりしても、うまく答えられない。


 先ほどの文香は、そういう気持ちだったのか。だから、聞かないでいてくれると私を評価してくれたんだ。

 今更、しっくりときて、聞けない私で良かったとちょっとだけ胸が緩んだ。


 車に乗り込めば、文香はティッシュを数枚ざっざっと取り出して、私の顔に押し付ける。


「そんなに、辛かった? 私といるの」


 頓珍漢な質問に、慌てて否定を繰り返す。

 文香と離れるのが寂しくて、泣いてしまったというのは、少し恥ずかしい。


「違うよ、違う違う」


 文香が元気になってくれて嬉しいと、そのままだったらこの旅は続いたのにが、胸の中でせめぎ合ってるの。

 最低じゃん。

 こんなに優しい大切な人の不幸を願うなんて。


 ハンドルにもたれかかって、深呼吸を繰り返す。

 勝手にこぼれ落ちた涙は、やっと止まってくれたようだ。


「結梨は、一人が好きじゃん? 私を連れ出してくれたのは優しさだろうけど、無理させてるかなってずっと思ってた」


 自分が辛い状況なのに、私のことを考えていたという文香にまたじわりと心の奥から湧き上がる。

 文香を連れ出したのは、たまたまだし、黙っていられなかったからだ。


 それに……文香となら、私は一人になりたいとあまり思わない。

 まだ、数日だからかもしれないけど。


「だから、結梨に無理させてるなって思って。今なら、大丈夫かなって。友人に会うのはまだ怖いし、逃げちゃうけど」

「帰らないで」


 裏返った言葉で、ちらりと腕の隙間から伺えば文香は驚き戸惑っていた。

 目をぱちぱちと何回も動かしている。


「一人がいいけど、一人は寂しいんだよね」


 するりと出た言葉に、泣き出したくなる。

 私は、人とうまくやれないから、一人が良いと思い込み続けていた。

 本心じゃないのに、それが真実だと言い聞かせてきたんだ。

 でも、文香なら、私は自分に嘘をつかなくていい。

 文香となら一緒に居て、むしろ心が癒されるんだから。

 連絡だって頻繁に取っていたわけでもないのに、都合がいいな私。


「じゃあ、まだ二人で旅しようよ」


 文香の提案に、胸を撫で下ろす。帰ると言われることに、怯えていた。

 落ち込んだ文香と居るのは辛かったけど、それでも、一人じゃない安心感も、楽しさもあったから……


「帰りたくない?」

「帰っても良いかなとは思うけど、まだ結梨と旅をしてたいかな」


 ぽつり、と答えてから、窓の外を見つめる。そして、指折り数えて北海道の食べたいものを上げ始めた。


「豚丼も、ラーメンも、スープカレーも、まだ食べてないよ。あ、函館のやきとり弁当も!」


 食いしん坊な文香の一面を思い出して、つい笑ってしまう。

 そういえば高校の頃は、文香が私の分を食べてくれていた。


「結梨って、食べれる時と、食べられない時が結構分かれるでしょ?」


 それは、私には理由が分かってる。

 一人で生活してる間は、食べられない時なんてなかった。

 文香と居る時も。


「他人がいると、ダメなタイプ?」


 核心をついた問いに、小さく頷く。

 文香は「やっぱりかぁ」と、答えてから、一瞬黙り込んだ。

 何を考えているのか、顔を上げて見つめれば嬉しそうに頬を緩める。


「私は、他人じゃないんだ?」

「なによ」

「私の前ではモリモリ食べるもんね。私は、いいんだ?」


 やけに嬉しそうな顔に、恥ずかしさがおでこまで上がってくる。

 むずむずとかゆいおでこを掻いてから「そうだよ」と肯定すれば、抱きしめられた。


「ふぅーん? そっかそっか」

「なんか、調子に乗ってない?」

「そんなに私のこと好きかぁ」


 高校生の頃の文香みたいで、胸の奥が跳ねてしまう。私のこの想いで文香が元気になるなら、恥くらい飲み込む。

 覚悟を決めて「好きだよ」と答えた。


 文香は私の答えを聞いてから、むふっとわざとらしい笑い声を出す。


「ねぇ、私と旅をしない?」


 私が文香を連れ出した時の言葉に、じぃんっと胸が波打つ。

 かっこつけて「しょうがないから、いいよ」と答えれば、肘で突かれた。


「まずは、函館行こう! 朝食でいくら食べられるとこがいいな」

「これからも旅を続けるなら、節約とか考えなくていいわけ?」

「函館は満喫して、そのあとは、考えるよ」


 私は仕事をしてるけど、文香は収入もないはずだ。まぁ、文香一人を養うくらいなら、私でもできるくらいには働いてるけど……

 でも、文香はそういうことを望まないだろう。


「ブログを見た人から連絡があってさ」

「うん?」

「ライターとしてやりませんか、って言われたんだよね」

「えっ?」

「だから、一応、会社員時代より劣るとはいえ収入は確保できたし、まだまだ結梨と楽しみたいし?」


 文香の将来が開けたことに、私の方が嬉しくなってしまう。「良かったね!」という言葉は跳ねるように私の口から飛び出して、文香の耳に飛び込んでいった。


「結梨なら、そう言ってくれると思った」

「文香の言葉を一番好きなのは、私の自信があるからね」


 フロントガラスに目を向ければ、青々とした空が、太陽が私たちを照らしている。

 眩しさに目を細めてから、シートベルトをガチャっとはめた。


「とりあえず、函館行こっか」

「お菓子屋さんで行きたいとこもあるんだけど、いい?」


 随分と遠慮のなくなった文香に、つい、憎まれ口を叩いてしまう。


「あの時とは別人みたいだね」

「結梨が、連れ出してくれたからだよ」

「……何も考えずに、だけどさ」

「ありがとうね」


 しんみりとした空気を吹き飛ばすように、音楽の音量を上げる。

 文香が好きだと口ずさんだ歌が、私たちの旅路を照らしていた。


「よし、出発進行! ちなみに、私免許あるから……時々は運転変わるよ?」

「えー、文香の運転怖いな」

「なによ、結梨よりはうまい自信あるし!」


 胸をどんっと張って、軽く叩いた。そして、高校時代の思い出話を語り始める。

 私は「あーあー」と声を出して、聞こえないフリをした。


「球技とか結梨めちゃくちゃ苦手だったじゃん」

「あーあー!」

「卓球で全然打ち返せないし、どうしよって泣き出しそうになって」

「忘れてよ! そんな昔のこと」


 文香はぺろっと舌を出して、おどけてみせる。そして、「忘れないよ」と答えた。


「だって、私たちの大切な思い出じゃん。この旅もそうだけど」


 私の記憶は、文香との思い出ばかりだ。

 文香と離れてからは、ずっと一人だったから。

 文香はそれすら見抜いてるんだろうか。


 ううん、適当に、言ってる気がする。


「まぁ新しい記憶で上書きしていこ」

「五稜郭タワーも登る?」

「高いところダメってわかってて、聞いてる?」

「冗談です」


 急に真剣なトーンになるから、つい、ふっと笑ってしまう。

 気兼ねないこのやりとりが、まだ続く。

 そんな幸せが嬉しくて、木々の緑が目に染みた。


「とりあえず行こっか」

「私たちの旅は、まだまだ続く!」

「打ち切りマンガみたいな言い方やめてよ」

「本当のことじゃん」


 車を発進させれば、爽やかな風が車内に吹き抜けていく。文香は髪の毛をふわりと浮かせながら、いつものように好きだと語った歌を口ずさんだ。


 覚えてしまったから、私も合わせて口ずさむ。二人の声が重なって、あの頃のようにお腹を抱えて笑い合う。

 あまりの幸せな時間に、離れることへの恐怖がまた湧き上がりそうになった。


 それでも、バイバイになったとしても。

 この旅の思い出だけで、またしばらく大丈夫かもしれない。

 高校時代の思い出が、私を一人でも大丈夫にしてくれたように。


 北海道の道は相変わらず、開けていた。

 ただただ、まっすぐ緑に囲まれた道を進む。私たちの未来を目指して……


<了>

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心を癒す北海道女2人旅 百度ここ愛 @100oC_cocoa

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