私を知らない私の憧れ

冬野瞠

金曜日、夜八時

 自宅のドアを乱暴に開けてドタドタと廊下を駆ける。下の部屋の人ごめん。でも私は命懸けてるから、今だけ許して。

「うっわ、ぎりぎりだ!」

 荷物を放り出し、オフィスカジュアルの服装もそのままに、ノートPCを開く。我が愛しの推し、琉々梨ルルリちゃんのライブ配信がちょうど始まった。

 肩で息をする私に、冷めた視線が画面越しに刺さる。いや当然、私個人に向けられてはいないけど。

 琉々梨ちゃんがステージの予定とか、最近経験した変な出来事などをハスキーな声で話している。彼女はダウナーな雰囲気を持つ美女で、いわゆる地下アイドルだ。私は偶然琉々梨ちゃんの配信アーカイブを閲覧し、独特の雰囲気に魅了され、ステージと握手会にまで足を運んだ。普段の気怠い雰囲気とはうって変わり、舞台の上の彼女はキレキレな振りと伸びやかな歌声を披露していた。そのギャップに沼落ちして今に至る。

 琉々梨ちゃんは私の憧れ。潤いのない人生の救世主。数多あまたのファンの生命いのちを輝かせる大天使なのだ。

「あ、またネイル変えてる。私も早くサロン行こ」

 液晶を注視しながら爪をはじく。推しとの出会い以降、彼女は私の手本になった。髪型、メイク、ネイル、服装等々。無論私が推しと同じになれるとか不相応な考えはない。少しでも彼女を精神的に身近に感じたい、それだけだ。

「家具の位置変えたんだー。あの観葉植物は何だろ。今度確認だな」

 薄暗い部屋でぼそぼそ呟く。推しの背後に少しだけ映りこむ部屋の様子。それは私の部屋と似通っている。殆ど同一と言ってもいい。

 私は彼女の話や配信に入ったノイズから、住居を特定し把握している。SNSの写真に映りこんで即刻消去された鍵番号から合鍵を作り、所持もしている。合鍵で彼女の自宅にお邪魔し、部屋のレイアウトから持ち物まで全て真似ているのだ。推しの家と極力近い間取りの物件を探した結果が、今のアパートだ。

 勿論、合鍵を悪用したり彼女の持ち物に触ったりなんか絶対しない。私は推しの認知を求める厚かましい厄介オタクとは違う、ただの路傍の石ころだ。

 そう、私の憧れは完全に無害な、精神的なものに過ぎない。

「あと何万貯めたら整形できるだろ」

 私を知らない私の推しは、今日も美しい。

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私を知らない私の憧れ 冬野瞠 @HARU_fuyuno

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