やるなら今だ。今しかない

嬉野K

遅いんだ

 大学のゼミの最中、先生が突然こんな事を言いだした。


「キミには、あこがれの存在ってのがある?」


 アナタです、という言葉は飲み込んだ。なんだか小っ恥ずかしかった。


「どうでしょう……急に言われても」

「そんなに難しく考えることはないさ。適当に思いついたことでも、子供の頃の夢でも構わない」


 ……子供の頃の夢……


「でしたら、お姫様になりたいって思ってました」我ながら子供っぽい。「白いドレス来て、白馬の王子様が現れて……」


 この世のありとあらゆる苦しみ、不安、しがらみ……それらを終わらせてくれる存在。そんな人が現れてほしいと思っていた。


「良い夢だねぇ。私も憧れたことあるよ、お姫様に」先生ならこうやって受け入れてくれるだろうから、私は打ち明けられたのだ。「今はどう?」

「……?」

「お姫様になりたいって、今は思ってない?」


 ……


 お姫様なんてのはこの世に存在しない。いや、存在はするのだろうけれど、私がなるのは不可能。おとなになるにつれて、そんな現実というものに気がついた。


 白馬の王子様はこの世にいない。そんなことは小学生になった頃には気がついていたのだ。


「……なれるものならなりたいですけど、そんなの……」

「不可能って?」

「……はい」


 物語の中のお姫様になることは不可能だ。そう結論付けていた。


「でもあこがれなんだろう? 追いかけたらいいじゃないか。今からでもお姫様を目指せばいいじゃないか」

「……そんなこと……」


 どうすればいいのかもわからない。方法も道もわからない。


 渋る私に、先生は言う。


「悩んでるうちに、どんどん頭も体も動かなくなっていくよ」

「……」

「別にキミに限った話じゃない。あこがれや目標、夢がある人間は……すぐにでも行動を始めるべきなんだ。1日でも、1秒でも早く動き出すんだ」


 1秒でも早く……


 先生は続ける。


「そりゃ現実だとか世間の声だとか、いろいろあるよ。でもなぁ……そんな事を気にして迷ってるうちに、人間は年齢を重ねていく」


 来年になれば1歳年齢が増えて、さらに来年にはまた1つ。それを繰り返して死に至る。


「肉体は弱っていく。思考速度だって記憶力だって、判断力だって鈍っていく。その頃になって『ああ、あこがれを追いかけておけばよかった』ってなっても遅いんだ」


――やるなら今だ。今しかない――


 先生は力強くそう言い切った。


 今……今、か。


 やりたいことがあるなら今すぐやれ。それが先生が私に伝えたかったメッセージなのだろう。


 ……


 ならば、そのメッセージを受け取った私はどうするだろうか? お姫様になるための努力を開始するのだろうか?


 わからない。結局、私は鈍って死んでいくタイプの人間なのだろう。すぐに行動できないタイプの人間なのだろう。


 後悔まみれで死んでいく。


 そんな人生も悪くないかもしれない。

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