おクスリのめたよ

鳥辺野九

おクスリのめたよ


 つまり、あれだ。最悪、死に至るってわけだ。


「どうしましょう。やりますか?」


 きっと僕よりも年下なのだろう。広告塔にぴたりな雰囲気の若い女医さんはにこやかに言った。

 手渡された書類の小さな注意書きに、気になる一節がある。


『心肺機能が停止してしまい、蘇生作業が必要となるケースもありえます』


 残虐さはどこにも見当たらない。工業製品の取扱説明書のように淡々と文章が並んでいる。とても優しく、誰も傷付かないように、オブラートに包めるだけ包んで、『死ぬかもしれん』と書いてあった。




 胃部エックス線検査、要精密検査。

 そんな裁判所への出頭命令のような診断書を受け取ったのは、会社側の不手際で本来の報告時期から六か月も時間が経過したあとのことだった。

 簡単に言ってしまえば、「エックス線検査の結果、怪しい部分があります。内視鏡による精密検査が必要です。ぶっちゃけ、胃がんか、そうではないか調べた方がいいですぜ」って内容だった。それが六か月前。もしも、胃がんだったら。六か月も放置していたことになる。

 それは冗談では済まされない。

 表面上は冷静さを保って、でも内心はドキドキしながら、市内でも評判のいい内視鏡検査に特化した病院を予約した。

 予約はあっさり取れた。

仕事も午前中で終わらせて、午後休みを取って、病院へ行く。普段なら忙しく歩き回っているはずのまだ陽の高い午後。

 人が働いている時間に吞気に出歩くのは気持ちのいいものだな。

 比較的新しい病院は主要駅ビルにあり、ワンフロアがまるまる病棟となっている。

 いかにも病院でございって雰囲気はまるで感じさせない色使いの待合室で待つこと十五分。ようやく診察室に通される。

 そこまで、僕にはまだ余裕があった。

 胃カメラ検査はきっついものだ。そんな先入観がある。でもこの内視鏡検査に特化したクリニックは胃カメラを挿入する際に鎮静剤を使用するという。

 これが効くらしい。

 すうっと眠りに入り、眠っている間に速やかに胃カメラ検査が終了するらしい。

 それなら大きなものを飲み込むのに抵抗がある僕でも簡単だ。

 胃カメラ飲めたよ。何かのネタにもなるし、何の不安もない。

 ここまでは、な。




 鎮静剤が効き過ぎて心肺機能まで低下してしまい、最悪心肺停止に陥るケースが数万件に一回の確率で見受けられる。若い女医さんはなるだけ優しいワードを使いまくって説明してくれた。

 無論、施術は病院内で行われる。院内のバックアップは万全であり、それこそ万が一をも絶対に見逃さない体制が整えられている。


「大丈夫ですよ。眠っている間にすべて終わります」


 いくら一人の天才によって開発された鎮静剤システムであろうと、眠っている間に人生が終わる場合もあるのか。なんか、リアル。

 フワフワした気持ちのまま誓約書にサインを済ませ、上着と荷物をロッカーに預け、Tシャツという軽装備のまま施術室へ通される。

 ここから一気に世界は変わった。

 ついさっきまでいた部屋は、いわばクリニックでもまだお客様が待機する場所。カーペットもふかふかで、待ち受けのソファも座り心地満点。個室感のあるパーテーションも高級感があって、どこか上級階級って言葉が思い浮かぶ空間だった。

 しかしここはどうだ。ザ・病院。診察室だ。色味は失われて、白く無機質で、なんならささやかなSF感もある。医療器具が並び、若い女医さんなんてどこにもいない。歴戦のベテラン看護師だらけだ。すぐ隣のベッドでギーガーデザインのエイリアンベイビーが「ギィイッ」と産声をあげても不思議ではない。

 はい、そこに座って。必要最低限のワード数で僕への処置が速やかに行われる。簡素で作りのしっかりした丸椅子に腰かけて、挙動不審気味に辺りを見回しているといつの間にか右腕に点滴用の注射針が刺され、左手の人差し指にはバイタルサインを読み取る機械ががっつり食らいついている。ものの五分で検査対象捕獲完了だ。あっさりしたものだ。

 思えば、患者が土壇場で考えを変えて逃げ出すのを防ぐものだったのかもしれない。優しく若い女医さんに諭されて、気持ちいいまま一枚の扉をくぐれば、そこは無機質な施術室。鯛の活け造りを盛る時って、きっとこんな感じなんだろう。

 いけない。医療の匂いがする空気に飲まれている。ほんとついさっきまでフワフワした居心地のいい待合室にいたのに、もうどこにも逃げ場のない診察室で点滴針が腕に穴を穿ち、クリップががっぷりと僕の脈拍、血圧を機械へと送っている。いくら平静を装っても無駄だ。すべて機械でお見通し。脈拍、バクバク早いぞ。血圧、ドクドク上がってるぞ。ビビってんな。おまえ、ビビってんな。医療機器群の前では僕のポーカーフェイスも何の効果もない。ビビっているのを全部数値化してお医者様は読み取っている。

 はい、そこに寝て。おいおい。もう? さっきまで白衣の若い女医さんと狭い部屋で二人きりだったのに、もうまな板の上のコイですか。最悪心肺停止状態もあり得るんでしょ? 心の準備は? 最期にグラス一杯の冷たいコーラとかないの? はい、左腕を身体の下にしないように横になって。って言われたって、え、まだ僕何されるのかよくわかんないっす。どんな感じ? ねえ、鎮静剤で眠るってどんな気分? 質問しようにもお医者様もベテラン看護師も目を合わせてくれない。すごいテキパキと機械の調整に忙しそう。そういう作戦? 患者に思い留まらせる隙も与えない作戦? 右腕ってどっちに置いていいですか? ってかろうじて声に出してもベテラン看護師さんにぐいと掴まれて脇腹の上に置かれる。はい、喋らないでくださいね。マウスピースを嚙ませられる。これって拘束具そのものじゃんか。何この有無を言わせぬ感。はい、鎮静剤入りますね。ちょtt、まtt、早い。展開早い。走馬灯も見せてくれないの? 世間話してリラックスモードとか、軽くマッサージして気を緩めてとか、ないの? あ、看護師さんが気をそらしているうちにお医者様が腕に何かしたでしょ。何したの、ねえ、なにしたの、僕わかってんだよ。抵抗する力を奪ってやりたい放題でしょ。おや、高いお酒をのんだときみたいに、やわらかいなにかをのうにおsこまえrこのときfてなんいかっずをkぞえつrngはおいぢはい具合どうですか? 終わりましたよ。気分いかがです?


「……マジで?」


 これが僕の第一声でした。

 鎮静剤、恐るべし。

 話のネタになると楽しみにしていた内視鏡検査、鎮静剤を使うとものすごい深い眠りの果てに一瞬で終わります。意識は連続したまま覚醒する気分はマジおすすめ。

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