雪夜のシンメトリ
柊かすみ
本編
昔からユキナは私の憧れだった。どんくさい私と比べてあの幼馴染はなんでもそつなくこなすタイプで、逆に言えば、活発なあの幼馴染と比べて私は何をするにしてものろまで。それは学校生活についても言えた。
たとえ私が病気にならなかったとしても、うまく生きていくことなんてできなかったと思う。たとえ校長先生の長話に立ち続けられる人であったとしても。たとえ合唱コンクールのステージで倒れない人であったとしても。たとえ朝と呼べるうちに起きられる人であったとしても。私には、不登校にならなかった私が想像できなかった。
ひらひらと粉雪が舞い降りる。太平洋側海沿いのこの町で雪は珍しく、この町で生まれ育った私のこれまでの人生で、片手で数えるくらいしかなかったと思う。
だからユキナと一緒に雪遊びをしたことも、最大でも片手で数えるくらいしかない。実際のところ何回だったかは……忘れてしまった。けれど決してゼロではない。私の思い出の中には、雪玉でお手玉をするユキナの笑顔が確かにあった。いびつな形の雪うさぎを冷凍庫にしまい込む私とは、すでにその頃から異なっていた。
見上げる空は夜更けなのだから当然暗く、けれどその闇はぽっかりと空いた穴のようで、嫌に虚ろだった。しかしそんなところから、雪は舞い降りてきていた。
私はその様子を「降雪」なんていう二文字で表したくはなかった。雪は確かにひらひらと舞っていたし、虚ろな空はそんなところだった。舞い降りる雪を照らすのは、一つの街路灯。白色LEDの輝きは無垢な雪に合っていた。街路灯はうっすらと雪に覆われている。
非対称だった。
「……ヒカリ?」
私を呼ぶ声がして振り返ると、そこに人影があった。道の向こうからその人はこちらへ歩いてきて、ある程度近くまで来たところで、街路灯の光に照らされその顔が見えた。
「ユキナ?」
「もーっ、びっくりしたぁ! 夜中なのに誰かいるなぁって思って、でも微動だにしないし、てっきり幽霊かとぉ……」
私が名前を呼ぶと、ユキナはそれを待っていたかのように、たたっ、とこちらへ駆け寄ってきた。そして大きく息を吐いて、その白い靄の向こうから微笑んだ。私の思い出と同じ笑顔だった。
「ごめん。おどかしちゃったようで」
「いいよ、生きているなら
——生きているなら。「幽霊じゃないなら」の言い換えだとはわかっていたけれど、その響きに、会わないでいた間の私の身を案じる気持ちを空想してしまう。それだけユキナの声は優しかった。
「……ねね、久しぶりにさ。おしゃべりでもしようよ?」
*
私達は二つある車止めにそれぞれ腰掛けた。コンクリート製の、上の部分が丸くなったその車止めを、幼い頃の私達は「ロボット」と呼んでいた。貼られた反射板の位置も相まって、それはSF映画に出てくるロボットにそっくりだったのだ。
ロボットの配置は歩道の真ん中を軸にした線対称。私達の間には一メートルほどの距離があった。向かい合って座るには近かったから、街路灯に向かう形で並んで座った。
「もうすぐ高校受験だからって、授業が模試とかばっかでね。退屈なんだ」
「そうなんだ。考えるだけでも大変そう」
「うん、とっても大変。だからこうやって深夜徘徊なんてしちゃったんだけど、ね」
「きっと今日だけは許されるよ。雪、きれいだから」
「きれいだねぇ……」
斜め上に目を向けしみじみとつぶやくユキナの横顔は、なんだか大人の女性みたいで、私は苦しくて目を逸らした。街路灯を見上げる。雪に覆われた街路灯。その雪をもたらした真っ暗な空。思ったより本降りだ。
「この前、国語の授業でね」
しみじみとした声音のまま、ユキナは話し始める。
「短歌を作ったの。息抜きも必要でしょって先生が言って。即興で短歌を作るの、結構楽しかった。……ヒカリならどんなものを作るかなって考えてた。ロマンチストさんだから、きっと素敵なものを作るだろうなぁって」
私はユキナの方を振り向いた。けれどちょうど、ひゅぅっと風が吹いてユキナは顔を覆ってしまったから、その表情はわからなかった。私はまた目を逸らして、街路灯の方を向いた。
静寂。なにか気の利いた言葉を返せたらよかったかもしれないが、どんくさい私にそんなことはできなかった。きっと、ユキナも私が気の利いた言葉を返せないことは知っている。……けれどユキナは何も言わなかった。このままではいつまでも静寂が続くとわかっているのに、何も言わない。まるで、私が何か言うのを待っているかのようだった。
不思議と急かされているようには感じなかった。私はおもむろに、胸の前に手を持ってくる。そしてそのまま、頭の中で唱えた言葉の音を、指折り数えていった。三十一文字になるよう願う。五、七、五、七、七。願い通り、ぴったりと収まったそれを私は口にした。
「冴ゆる風、白雪纏う街路灯。されど光は空に届かず」
指折り数える私を見ていたユキナは、私がなにを口走るか薄々気づいていただろうに、驚いた瞳をこちらへ向けた。振り向いた私と、視線が交差する。
「……すごい。どういう意味が込められてるの?」
ユキナの無垢な瞳に、私は申し訳無さを覚える。俯いて、ぼそりとつぶやいた。
「空から舞い降りる無垢な白雪は、こんなにも街路灯に積もるのに、空が街路灯の光で照らされることはない。この非対称性は、当然ではあるけど物悲しいな……って」
*
俯いた私が顔を上げると、今度はユキナが顔を俯かせていた。ユキナはそのまま何度か口を開けては閉じ、なにか言おうとしてはやめることを繰り返す。しばらく経って告げられたのは、私の知らない世界の出来事だった。
「私ね、彼氏がいたんだけど、フラレたんだ。『お互い今後がかかった大事な時期だから』って距離を置こうとしたら、『じゃあなんで告白にOKしたんだ』って怒られちゃって。そしたら何も言えなくって」
静寂。けれどそれはすぐにユキナの声で破られた。今度のユキナは、私の言葉を待ってはいなかった。
「やっぱりロマンチストさんだね、ヒカリは。憧れちゃうな」
雪夜のシンメトリ 柊かすみ @okyrst
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