第3話 せめて虚勢を張って自分を傷つけるのを

 蔵部依澄くらべいずみ。凛々しく誠実な印象を残し、柔らかい笑みが特徴的な彼。


 後賀家にいた頃の葉月は、彼を見るたびに心が焦がれていた。

 家の中で独りになりがちだった葉月に気を使ってくれた。とても優しい人。


(あこがれの人だったんだろうな……たぶん)


 葉月は姉を迎えるため、薄桃色の訪問着に袖を通しながら考え込んだ。


 姉は何でも持っている。美貌も。両親からの愛情も。有り余る才気も。優しい夫も。可愛い子供も。

 そして、何着もの美しい着物も。



 後賀の次期当主である美月が夫の依澄とともに梅倉に挨拶にきた。

 美月夫婦は座敷に通されて、朔夜からの歓待を受けた。葉月はその手伝いをしていたが、美月は葉月をじっと見つめていることに気づかなかった。

 気づくべきだったのだろうか。

 

 美月と依澄を部屋に案内する。

 廊下がいつもより長く感じた。息が詰まる。会話はほとんどなかった。

 そろそろ部屋が見え始めたところで、美月が口を開いた。


「ねえ、葉月。そのお着物、可愛いわね」

「……ありがとうございます」

「ちょうだい」


 葉月は目を瞬かせた。依澄も「ちょっと、美月さん」と美月の肩に手を掛ける。


「あの、この着物は梅倉の旦那様から頂いたもので」

「そうなの。それはさぞ高級でしょうね。あとで美月の部屋に持ってきてちょうだい」

「でも」

「何?」


 妹がどうして抵抗しているのかさっぱりわからないという風に美月は首を傾げた。


「美月はあなたの姉でしょう。姉の願いを拒否する気?」

「あの」

「家族よね? 家族の頼みごとを聞かないの?」

「違います、その」

「そんな薄情な妹だと思わなかった」


 葉月は急いで頭を下げた。


「このお着物を姉上に渡したら、旦那様にどう思われるかわかりません」


 どう思われるかわからないというのは嘘だ。


 たぶん、朔夜は笑って許してくれるだろう。でも、なんとなく、葉月はこの着物を美月に渡したくなかった。

 朔夜は訳のわからない男だが、自分の皮肉屋で気難しい言動を全て笑っていなす。そんな底抜けに優しい人がくれたもの。葉月の、たぶん、大切にしなければいけない着物だ。


「……いい加減にしなさいよ!」


 美月が声を荒げた。直後、依澄が血相を変えて頭を下げる。


「葉月ちゃん、申し訳ない。お願いだ。その着物を美月さんに渡してくれないだろうか。私が代わりに着物を差し上げるから。……訪問着、だよね」


 葉月は目を見開いた。

 依澄は。美月がここで騒いで梅倉家で評判を落としては困る。ことを丸く収める良い夫だ。

 でも。


 ——なんだっけ。この気持ち。


 胸の奥が千々ちぢに崩れていく気がする。



 肌襦袢はだじゅばんのまま、葉月は自分の部屋に帰った。

 涙が出そうになる。自分は本当に弱くて馬鹿だ。

 


 翌日、褪せた紺の着物を着た葉月は梅倉家の中庭にある茶室に招かれた。


「茶の湯の練習しなきゃいけないんだよ。相手になって」


 朔夜がため息をつきながら茶を点てている。しゃかしゃかと。


「……練習ですか?」

「うん。接待のために。要人が来月お見えになる」

「要人」


 美月はまだ梅倉家に泊まっている。そんなうちから茶の湯の練習だなんて、美月は要人のうちに入らないのだろうか。

 薄茶の瞳が葉月を見つめた。


「そういえば、僕があげた着物をお姉さんが着てたけど」


 葉月はずきりと胸が痛んだが、感情を全て押し殺してうつむいた。鼻がツンとする。


「私には似合わない品だと思ったので姉に差し上げました」

「ふうん」


 するといきなり、朔夜が懐からわさびを取り出した。


「……え?」

「僕に心を読まれたいか、これをおろして茶に入れられたいか、どちらがいい?」

「な」


 葉月は後ずさった。すると、朔夜はどこからかおろし器を取り出してわさびをごしごしおろし始める。薄茶の中に大量に投入し始めた。


(や、やめろおおおおおお!!!)

「あっ、その! はい!! はい!!」


 急いで手を差し出す。朔夜は葉月の手を握った。握るところか、腕を引き、抱き寄せてくる。

 心を読まれる。異能者は総じて心を読んだり空間移動できたりするが、その形は様々だ。朔夜の場合は相手に触れないと心が読めないらしい。


 恥ずかしくて彼の腕の中で目を閉じた。


 心を読まれないために葉月は朔夜の心を読むことにした。読心は得意だ。かなり鮮やかに相手のことがわかる。だが、彼は「やめて。いまは葉月ちゃんのこと」と微笑んだ。

 観念して心を読まれないように別のことを考えようとする。でも、心が悲鳴をあげていて別のことが考えられない。


「……泣きたい? じんわりとした痛みが伝わってくる」

「大丈夫です」

つらかったんだ。お姉さんに着物を盗られてしまって」

「……大丈夫……です、よくあることだから」


 葉月は顔を背けた。


「息が苦しい。……ああ、苦しかったんだね」

「……」

「虚勢はりまくりだねえ。大丈夫って言う人ほど大丈夫じゃないのに」

「悪かったですね」

「泣いちゃったらどう?」


 背中を大きな手が優しく撫でてくる。そうされると、涙がこぼれてきてしまうからやめて欲しかった。



 美月が帰って数日後。

 葉月は着物に埋もれていた。先日訪れた呉服屋の妻・美佐みさが梅倉家にやってきて、大量に着物を用意していた。


「こちらが友禅染、こちらが絹織物、こちらが……」

「あの」

「若奥様は何色がお好きですか?」

「……」


 美月より派手な着物は着てはいけない気がする。そんな思いもあって答えてきた色をいう。


「ドブ色です。もうドブの中みたいな目立たない色が好きで好きで」

「ドブ色……ですか? 丼鼠どぶねずみ色でしたらもう少し華やかなお色味の方がご年齢にも……」


 美佐が少し困惑し始めた。朔夜が葉月の手を握る。


「いや、嘘だ。葉月ちゃんは青い色が好き」

「——っ!!」


 また人の心を読むな、いい加減にしろ! と叫びそうになるが否定はできない。昔から青い色が好きだった。


「でしたらこちらの明るい瑠璃るり色のお着物と、少しくすんだはなだ色、それから鮮やかな露草つゆくさ色のものはいかがでしょう」


 いずれも派手な文様が染め抜かれている。職人が丁寧に作っているのを感じた。

 どきりとした。とても綺麗で——。


「……とても素敵」


 考えるより先に言葉が口をついて出てしまっていた。



 どうやら本当だ。

 若い娘たちに喧嘩を売ったのは嫉妬からで、その嫉妬は姉に着物を奪われてきたから。奪われないために地味な着物ばかり着て。

 綺麗な着物を着るのはあこがれだったのだ。

 でもそんな惨めな自分を認められなくて、虚勢を張って。


(私、本当に最悪だ。あのお嬢さんたちに申し訳がない)


 二度と会うことはないだろう人たちに謝罪する方法はみつからないから。


 せめて虚勢を張って自分を傷つけるのを、少しだけやめようと思った葉月なのだった。


 (了)

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嫌われ者異能者は旦那様に溺愛……されている? 弐 もも@はりか @coharu-0423

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