第2話 恥ずかしいと思われませっ
数日後。目の前に高級呉服屋があった。
そう思って葉月が隣にいる夫の朔夜を見ると、彼は実に楽しそうだった。
「初めてなんだよね! 呉服屋に行くの!! 普段は向こうから出向いてくるんだけど……」
「あっ安心しました、やっぱりそうですよね」
「ここの呉服屋、母上ゆかりの者が嫁いでるんだよね」
「へえ」
「様子を見てこいって。文も預かったし」
朔夜は懐から香がたきしめられた文を取り出した。
どうやら朔夜の母、
店の中に入ると色彩の氾濫に目が驚いてしまった。
棚に積まれている鮮やかな色の着物の数々。奥のほうには緻密な文様が施された訪問着が衣紋掛けにかけられている。
ふうん、と葉月は目を背ける。
店に入ってすぐに店主とその妻が駆け込んできた。
「お話は聞いております、梅倉様!」
妻が涙ながらに朔夜を見た。
「若様、こんなにご立派になられて……」
「母上からの文を預かっているよ」
「まあ」
朔夜が文を手渡すと、またもや彼女は泣き崩れた。
店の奥の座敷にあげられた。座敷は
だが、店主の妻は葉月を見て、目を覆った。
「じ、侍女だと思いましたら!! 名門の梅倉家の若奥様が! こんな! こんな地味なお召し物を!! 恥ずかしいと思われませっ」
葉月はぴくりと眉を寄せた。
(でも確かに、実家から持ってきた褪せた色の着物や擦り切れた着物ばかり着ていては……)
朔夜は「そうなんだよ」と笑った。
「結婚の忙しさにとりまぎれて、彼女に着物の一着も用意してあげられなくてね」
美佐と名乗った店主の妻は「まああああああ!!」と悲鳴をあげた。
「奥様に服の一着も用意して差し上げないなんて……! 梅倉家はどうなっておりますの!? ですから苑香様がお気をつかわれるのですねっ」
えへへ、と朔夜は曖昧な笑みを浮かべた。
美佐はずらりと着物を並べた。
「さすがに留袖はお持ちでしょうから……。奥様に必要なのは華やかな訪問着! 上品な付け下げ! 愛らしい小紋!!」
朔夜は「わあ、三着も」と肩を
「そういえば嫁入り道具に衣装が無かったよね。どうして?」
葉月は「うっ」と顔をそらす。
本来であれば衣装は母が用意する。実際母は自分の訪問着や小紋を直して葉月に用意してくれていた。別に母も葉月が憎いわけではないのだ。
だが、おしゃれ好きの姉の
この世の全ては美月のために存在する。
「……」
首を傾げて考え込んでいた朔夜が突然葉月の手に触れた。どきりとする。
「ふうん。実家でいろいろあったのか」
異能で葉月の心と記憶を読んだらしい。この野郎、と葉月は朔夜を睨む。
「いいじゃないか、僕は読心は苦手な方だし? 薄ぼんやりとしかわからない」
苦手といわれても、と葉月は唇を尖らせた。
美佐が「仲がよろしいことで」と笑いながら、姿見の前で薄桃色でも温かな色合いの訪問着を葉月に試し着させた。
「ひえっ」
こんな派手なの、似合わないに決まっている。美月の方が似合うはず。
でも、まるで着物は魔性だ。少し肩の上から掛けているだけなのに、自分が別人のように見える。
(お、穏やかな人になってるように見える……)
身体が熱くなり、頬が真っ赤になる。
朔夜は「うん、この反応が可愛い」と大きく頷く。
梅倉の屋敷に帰り、部屋に閉じこもった。侍女も理由をつけて外に追い出した。
まず姿見の前に立ち、あの薄桃色の訪問着をそっとひろげて着てみる。帯も買ってもらったので、そっと締めてみる。完全に柔和な後賀の姫。
皮肉屋で気難しく嫌われ者の自分ではない気がする。
「……〜〜〜っ」
葉月は顔を真っ赤にし、両手で自分の体を抱きしめた。
「旦那様にお礼しないと……」
気分まで素直になってくる気がする。
面白がった侍女に招かれた朔夜とその母の苑香が、腹を抱えて大笑いし「本当に根は可愛い」「可愛いわね」と隣室で囁きあっていることなど葉月は気付かず、自分の持っている中でも一番綺麗なかんざしを挿したり、化粧を直したりしていた。
また着物を整えようという話になって数日後、美月が夫の
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