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 机の上には二つのマグカップが並んでおり、中に注がれたハーブティーから白い湯気が立っている。


「どうかしたの、まひろくん」


 テーブルを挟んだ向こうの椅子に座る兄……優弥が、にこりと微笑む。切れ長の瞳が優しげに細められた。


 小笹真優は兄の気持ちを測りかねている。

 二人は互いの気持ちを伝え合い、恋人同士の関係になった……ものだと、真優は思っていたのだが。

 しかし、どうも目の前の彼はこれまで通りの兄と弟という関係性を続けたがっているようだった。


 真優からキスを贈ることはあっても、優弥から同じようにすることはない。

 家族愛以上の意味で肌に触れてくることもないし、愛していると伝えても困ったように眉尻を下ろしてしまう。


 ……もしかして、彼は兄に対して恋愛感情を抱いてしまった弟を憐れみ、話を合わせただけなのだろうか。

 少し前に突如として真優の身体に現れた傷やみみず腫れについても、優弥は何かを知っているようなのだが、それを教えてはくれない。

 最近仕事で始まったという俳優業の賜物でもあるのだろうか。彼は隠し事をするのがうますぎるのだ。


 もしも本当に同情で『好きだ』などと言ったのであれば、真優は彼のことを到底許せそうもなかった。

 だから、今日の今日こそは確かめてやるのだと決めていた。


「優弥」

「んー?」

「優弥にとっての俺って何?」


 少し苛立たしげな声色のその問いに、優弥はきょとんとした表情を浮かべる。


「うーん、そうだなぁ……可愛い弟で、世界一大切な人、かな。」

「恋人って言わないんだ」


 真優の言葉に、優弥は切なげな顔をする。

 真優自身にも、自らがまるで拗ねた子供のような言動をしている自覚はあった。

 けれど、ずっと好きで好きで仕方なかった相手にやっと気持ちを受け入れてもらえたのに……それがただの勘違いだったのかも知れないと思うと、不安だったのだ。


「優弥は、本当は俺に恋なんてしてないんでしょ?」

「……そんなことない」

「だって、そうだろ。こんなにずっと一緒にいるのに何もしてこないし。俺ばっかり恋人になれたって浮かれて……馬鹿みたいだ。嘘つき」

「嘘なんかじゃないよ」

「じゃあ、なんで何も言ってくれないんだよ。なんでいつも、誤魔化すんだよ。……俺のこと、置いてってばっかじゃん」


 不安に駆られて言葉を紡ぎ続けているうちに、だんだんと何に対して怒っているのかも分からなくなってくる。

 真優は潤みそうになる目元を擦って、下を向いた。


「俺は、優弥の事こんなに好きなのに……」


 ただ、こんなことを言ったって優弥を困らせるだけだというのも分かっていた。

 優弥と真優は紛れもなく血の繋がった兄弟だ。

 そして幼い頃からこの家で暮らしている二人には、両親や家族と呼ばれる存在が居るはずだった。

 にも関わらず、二人はその存在のことを覚えていない。それどころか、この家に二人以外の人間がいた痕跡すら残っていない。


 幼い子供がたった二人で暮らして行けるはずなどないのに、何故かそうしていた事になっている。

 それは真優の中に大きな違和感として残っており、唯一の肉親である兄への更なる執着にも繋がっていた。

 だからこそ、きっと優弥から真優に対しても同じ気持ちを抱いているのだろうという事は想像がつく。


 例えばあの日、真優の告白を断ったとして……その先、たった一人の家族との絆すらも失われてしまったら。

 そう考えると、嘘をつくのも仕方がない事なのかも知れない。

 それでも、例えそうだとしても……真優は憐れみで作られた関係など、望んではいなかったのだ。


 がたりと音を立てて、優弥は椅子から立ち上がる。

 そして真優のそばに歩み寄ると、彼のことをぎゅっと抱きしめた。


「……不安にさせてごめんね。でも、俺は本当に真優の事が好きだよ」

「じゃあ、なんで……」

「好きな人に嫌われるのが怖くて慎重になってしまうのって、よくある事だと思うんだけど……違う?」


 少し身を離し、真優の顔を見つめる優弥。

 優しい笑顔は、真優がずっと恋焦がれてきたものだ。


「……どうだろ。わかんない」

「あはは、そっか。でも、少なくとも俺はそうだったんだ」


 優弥の手が真優の頭を撫でる。

 彼は兄として、こうやってべそをかく真優を何度も慰めてきた。


「真優の事が本当に大切だから、傷付けたくなくて……けど、結果的にこんな顔をさせちゃったね。」


 真優は、申し訳なさそうにする優弥に見えないように目元を拭う。暖かい体温。馴染みのあるそれは、ささくれ立った心を溶かしてゆく。

 先程まで頭の中を支配していた苛立ちは涙と一緒にどこかに行ってしまったのか、すっかりと引いていた。


「……ごめん、子供っぽいこと言って。」

「ううん、そんな事ないよ」


 好きな人のことを考えて、苦しくなる気持ちは分かるから。

 優弥はそんな事を言って、また優しく目を細めた。


「ちょっと、冷静にならなきゃな……俺、シャワー浴びてくる」

「うん。いってらっしゃい」


 真優はそっと優弥の腕から抜け出すと、赤くなった鼻を隠しながら風呂場へと急ぐ。

 そんな背中に、優弥は小さくため息をつく。


「……ごめんね、真優」


 その謝罪が一体どういう意味を持っていたのか。きっと、この先も真優が知ることは無いのだろう。

 机の上のマグカップはすっかりと冷え、ただ水面に俯く優弥の姿を映していた。

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あいしているから はるより @haruyori

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