振り向いたら、あのひと。
華周夏
金色のアンクレット
会社ですれ違う女性がいる。きちんとした女性。高そうな派手さはないけれど仕立てのいい服。整えられた爪。趣味のいいネイル。簡単に言えば隙がない、服装。でも、心には恋人が住んでいるのだろうと思えることがあった。……足首に覗いた金のアンクレット。
春の日、桜が舞っていた。会社の、部署での飲み会。2階の座敷席。空いた窓からはいる外の空気。いつもの凛々しいその人は酔ったのか少し頬を上気させ、窓辺にもたれて眠っていた。淡い照明灯が桜を照らして、その人はいつもより儚げに見えた。
「尼将軍も酒には弱いんだな」
「尼将軍?」
「部長だよ。片桐瑠璃子『本部長』か。いっつもカツカツはたらけはたらけみたいにヒール鳴らして。嫌味なんだよな。彼氏なんていねぇよ。ババアだもんな」
それに比べてエリちゃんは可愛いな。同期の坂本が本部長を嘲笑する。エリちゃん。僕は嫌いだ。給湯室でお前のこと『筋肉バカで頭すっかすか』って言っていたよ。
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飲み会はお開きになり、僕は片桐部長を送って行くことになった。坂本は『酔っちゃったぁ』というどうみても酔ってないエリちゃんをお持ち帰りにしたようだ。誰もいなくなり僕はテーブルの片付けをしていた。予約したお店が嫌がる会社にしたくなかった。この飲み会で、この店を選んで予約したのは僕だった。
「飲んで。ペットボトルの烏龍茶。結構みんなに飲まされてたから。最後まで、お疲れ様。膝ロッキングしちゃって。動けなかったの。色々ありがとうね」
「片桐部長も、ロッキングするんですか?僕もです。半月板変形症で……あの、病院にいかないと……」
ロッキングは激痛だ。膝が曲げた状態で動かなくなる。病院で麻酔を打ち治すのがセオリーだ。
「さっき無理矢理だけど治したの。アルコール入ってるから、病院にはいけないの。だから先に帰っていいよ。残りの片づけとお店への挨拶はしとくわ。尼将軍だから、強いのよ」
僕はびっくりして、
「さ、坂本は……バカなんです。だから本部長のいいところが解らないんです。だから今日、かなり酔ってて……あんなことを……」
「ありがとう。今日は散々だったね。この部署は、酒癖悪いわね。社内恋愛もやけに多い。パフォーマンスに響かないと良いけど。嘉山くん、大変だったね。偉いよ。皆のこと一生懸命考えて。煮詰まらないようにね、ちゃんと息抜きして」
偉いよ、か。初めて、この会社で言われた。所謂媚びることを知っている可愛い女子は、卑怯だ。甘えればなんでも通ると思っている。僕は空気だ。頑張ったプロジェクトも、同期の坂本に盗られた。『悪ィな!』爽やかに、その一言で、有無を言わさない笑顔から覗く真っ白な歯が、僕の喉を食いちぎった。僕はノーが言えない。
「嫌なこと、面倒なこと、誰もやりたがらないことは全部僕の仕事です。でも、頑張った仕事、夜通し考えた企画は、みんな僕から奪っていく……僕は便利屋じゃない!」
頬に涙が伝う。僕は酔っている。しかもひどく。片桐部長は、膝を勧め、ハンカチを勧め頭を撫でていった。
「私は見てたわ。あなたが頑張っていたところ。この前のプレゼンは、はっきり言って給湯室でサボるだけで、あのハゲ課長にくっついてるエリさんには無理。あの部署はあなたで回っているみたいね。うーん、痛い目をちょっと見てもらいましょうか」
********************
2週間後、内示が出た。臨時本部長代理だった。部長の仕事のしかたを見せてもらうことになった。
『技術もノウハウも知識も、私の傍で見ていなさい。そして、やり方を、方法を覚えていきなさい。この限られた期間、あなたがどれだけスキルアップできるか、楽しみだわ』
片桐本部長。俺の憧れ。いつかあなたの右腕になりたい。切り捨てられても構わない。僕の内示を見て、
『あのババアに食われたのか?枕営業?』
そう、嘲笑のいやらしい口元で先輩の林田さんに言われた。
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ああ、美味しくいただいたよ。片桐さんは、綺麗だった。真っ白なシーツを足枷のようなアンクレットがサラサラ動いて。情事のあとは、僕を白くて柔らかな胸に抱いて、
「頑張って、しか言えなくてごめんね。本当は、嘉山くんはもう、頑張れないほど頑張ってきたのに」
「まだまだです。追いつきますから。いつか片桐さんの右腕になります。だから片桐さんも、負けないでください。バカな奴らの言うことなんか聴かないでください」
解ってるわ。大丈夫。そんなことで傷ついてたら、この世界で生きていけない。
だから胸を張って、視線は逃がさないのよ。食うか、食われるか。あなたも捕食者になりなさい。なめてかかる奴には牙をちらりと見せて笑うのよ。いつでもお前の喉笛なんか噛みちぎってやれるんだぞって。
「ふふふ。抱き合ったあとに情緒がなかったわ。ごめんなさい。今日は、ありがとう。素敵な夜をありがとう」
「素敵な、アンクレットですね」
「ええ、ずっとつけておけば忘れないから。初心忘れるべからず。自分で買ったのよ。初任給で。好きな作家の描写に憧れたの。あの頃は早く大人になりたかった」
後から聴いた話だが、片桐本部長の別れた彼は、自分より役職が高くなった片桐さんと始終喧嘩が絶えなかったという。
「『お前の靴音が嫌いだ』って、言われたわ。耳にこびりついて離れないって」
僕なら染み付いてほしい。あの足音を聞くたびに救われる。自分の歩く先を照らしているようで。
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会社ですれ違う女性がいる。きちんとした女性。高そうな、派手さはないけれど仕立てのいい服。整えられた爪。趣味のいいネイル。簡単に言えば隙がない、服装。あるのは左中指のオパールのファッションリング。そして、今は僕しか知らない金色のアンクレット。シーツで揺れると、とても綺麗だ。僕と片桐さんの約束。左中指で左のこめかみに触れたら、
『今日、私の家に来る?』
右のこめかみなら、
『いつもの隠れ家カフェに行きましょう』
だ。本部長いや、次長は、甘いものが大好きだ。カツカツと、ヒールを鳴らして片桐さんとすれ違う。僕は自然と背筋が伸びる。綺麗な人。僕の恋人。僕の憧れ。
─────────────《FIN》
振り向いたら、あのひと。 華周夏 @kasyu_natu0802
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