仮面

クロノヒョウ

第1話




 人生何がおこるかわからない。

 とはいうもののまさかそれが自分の身におこるとは思ってもいなかった。


 高校生の頃、何気なく始めたガールズバンド。

 クラスメイトと意気投合して結成したバンドで私はボーカルをつとめていた。

 小さい頃から歌うことが大好きだった私は毎日メンバーと集まっては音楽に没頭していた。

『卒業してもこのメンバーでずっと続けようね』

 三年生になってクラスが離れても、卒業しても、このバンドは永遠に続くものだと信じていた。


 あれは高校生最後の夏休み。

 高校生限定のライヴイベントに出演した時だった。

 イベントも無事に終わり帰ろうかと楽屋を出た時、私はひとりのおじさんに声をかけられた。

 名刺を渡され興味があったら連絡してと言われた。

 家に帰って母にその名刺を渡すと母は目を丸くして喜んでいた。

「あんたこれ、スカウトじゃない」

 母が言うには芸能事務所らしかった。

 芸能関係のことなど興味がなかった私は気にもとめていなかった。

 だがおそらく母が連絡したのだろう。

 二日後にはうちのリビングにあのおじさんの姿があった。

「卒業したらぜひうちの事務所に」

 そう言われた母は満面の笑みだった。

「ただし、バンドではなく娘さん一人、というのが条件です」

「は?」

 私は思わずおじさんを睨み付けていた。

「考えてみてごらん。高校を卒業して就職するも進学するも、みんなバラバラになってそれぞれの道をゆくんだ。君は僕の会社に就職する。君一人なのは当然だろう?」

「だったらやめる」

 私はそう言ってリビングを出た。

 その時の私にとってはこのバンドが全てだった。

 私ひとりで何ができるというのか。

 メンバーがいないなら意味がない。

 おじさんも母もぜんぜんわかってない。

 私はとにかく腹が立っていた。

 ところがだ。

 夏休みがあけるとすぐにメンバーは皆受験勉強だと言いだし集まることができなくなった。

 あれほどまでにずっと続けようねと言っていたのは何だったのか。

 私だけがその言葉を信じて鵜呑みにしていたのか。

 仕方のないことだとわかってはいても、メンバーとの温度差は確かなものであり、寂しさと悔しさは私の中でどんどん膨らんでいった。


 結局私は高校を卒業すると同時に上京し、あのおじさんの事務所と契約することとなった。

 自然消滅のような形でなくなってしまったバンド。

 メンバーがどこの大学に行ったのかさえ知らないまま、私は私の道を進むこととなった。

 最初はレッスン三昧の日々だった。

 事務所が用意してくれたアパートに住みボイストレーニングと体力作りのためのジム通い。

 合間にピアノとギターを習わされ、作詞の講座も受けさせられた。

 後に知ることになるのだけれど、全ての費用は出世払いらしかった。

 つまりは借金だ。

 そんなことも気づかないまま私は周りの大人たちのいいなりになってただやみくもにレッスンしていた。

 いや、私の高校の頃の話やこうなったきっかけやレッスンの日々のことはどうでもよくて、問題はそこから先だ。

 とにかくそれから私の生活は激変した。

 ファーストアルバムがヒットした。

 レッスン中の「歌ってみた」動画がバズった。

 突然せわしなく動き始める大人たち。

 私はというとまるで他人事のように感じていた。 

 動画やライヴで歌っている私の顔は周りの大人たちが必死でメイクして作りあげた別人なのだ。

 素の私はたいして可愛くない。

 でもバズったのは仮面をつけたかのような可愛い顔。

 これは私じゃない。

 鏡に映ったメイク後の顔を見て私はそう感じていた。

 名前も違う。

 私は「エル」と呼ばれていた。

 「エル」はテレビに出ることをためらった。

 その代わりにと規模は小さいが全国ツアーが始まった。

 私は自分の曲をただ歌うだけ。

 それだけのために何十人という大人が動く。

 何千人という人たちが「エル」を見るために集まる。

 あわただしくてどんな毎日を過ごしていたのか、もう記憶はほとんど残っていない。

 覚えているのは、「エル」に送られてくる数々の批判メールや脅迫、そして殺害予告。

「そんなの有名になった証拠みたいなものだから」

「みんな同じよ。気にしないのが一番」

「警察にも伝えてあるから、心配いらない」

 周りの大人たちは口を揃えてそう言った。

 「エル」は平気でも私は平気じゃない。

 「エル」がステージに上がっている時、移動の時、道を歩く時、どんな時でも「エル」の笑顔の裏で、私は恐怖と不安に怯えているだけだった。

 そう、あれはライヴで歌っている時だった。

 興奮したファンなのか、それとも殺害予告をしてきた奴なのか、ステージ上に突然見知らぬ男が上がってきて私に近づいてきた。

 怖くて動けなかった。

 客席から悲鳴が聴こえたのは覚えている。

 どうやらすぐに男は取り押さえられたらしいが私はあまりの恐怖で何が起こったのか覚えていない。

 それからというものホテルの部屋に戻っても足音や物音が気になって眠れなくなった。

 アパートに帰ってメイクを落としても同じだった。

 毎日四六時中、見えない何かに怯えている自分。

 眠れないままふらふらになりながらステージに立つ。

「お薬を処方してもらおう」

 連れていかれた病院でもらった薬を飲んで眠れるようになった日々。

 その頃にはもう私の心身はぼろぼろだった。

 意識がもうろうとする。

 薬を飲めば眠れるけれど、起きている間は以前よりも不安でたまらなかった。

 薬も増やしてもらった。

 何の薬なのか、おそらく精神安定剤。

 薬の量は増えてもステージ上の演出の大きな音に怯え、歓声に耳をふさいだ。

 食事は喉を通らなくなりどんどん痩せてゆく体。

「娘を返してください」

 私の様子がおかしいと上京してきてみかねた母が事務所に掛け合っていた。

「もちろんお返ししますよ。ただねえ、これまで娘さん、『エル』にかけた費用を返してくださるのならね」

 そう、私の住んでいるアパートの契約費用、家賃、生活費、各レッスン代。

 とにかく私のために使われたお金の全ては出世払いだと契約書にも書かれていたし、母はそれにサインもしていた。

「今すぐは返せないですよね。だったらせめて残りのツアーを終わらせませんか。それとも、ここで中止にして、莫大なキャンセル料をお支払いになりますか?」

 答えは明らかだった。

 各地域のライヴ会場や施設のキャンセル料、チケットの払い戻しとなるといくらかかるか。

 ごく普通の一般家庭の、ましてや父親のいない私たちにそんな大金が用意できるわけがない。

「お母さん、大丈夫、私、ツアーはやるよ」

 私は青ざめている母を見てそう言った。

 そう言うしかなかった。



 結局私は何をしたのか、何をやりたかったのか。

 ただただ恐怖に怯えながら残りのステージを終えた。

 残りの借金は必ず返済すると約束し、私は事務所を辞めて実家に戻った。

 そもそもあんなに大勢の人が見に来てくれたライヴなのに、私の手元には一円も残っていなかった。

 おかしな話だ。

 最初から間違っていた。

 もっとよく事務所のことを調べるべきだった。

 今さらそう思っても遅い。

 全部信じた私たちが悪いのだろう。

 実家に帰ってしばらくして、あの時私に声をかけてきたおじさんが逮捕されたという話を聞いた。

 事務所もなくなった。

 借金も無しだ。

 この一年半ほど突っ走ってきた「エル」はもう存在しない。

 残ったのは不安定なままの私の心と薬によって荒れてしまった体だけだった。


 今私は実家で療養生活をしている。

 徐々に薬の量は減っているが、体は副作用で太ったり痩せたりを繰り返している。

 幸いなのは「エル」が私だったということに周りが気づいていないということだ。

 「エル」は大人たちが作りあげた幻想でしかなかった。

 あの頃とくらべものにならないくらい静かな毎日。

 おかげで私の心も穏やかになりつつある。

 なのにあの頃のことを必死で思い出そうとしている。

 思い出していると過呼吸を起こしたり眠れなくなったりするけれど、もしも「エル」と同じように、大人に振り回されいいように言いくるめられ、何もわからないまま忙しい日々を送っている人がいたら伝えたいと思った。

 アイドルなんかやめちまえ!

 ネットで誹謗中傷されるのが怖いとか、不安で眠れないとか、いろいろ思うことがあるのならば私は声を大にしてそう叫びたい。

 薬に頼っても何も変わらない。

 ファンのため?

 自分のために動いてくれる大人たちのため?

 責任を感じる?

 気持ちはわかるけれど、体を壊してしまったらもともこもない。

 それに、誹謗中傷メールや殺害予告を送ってくるのは赤の他人とは限らない。

 自分のすぐ近くにいて、あなたの活躍を妬んだりどうにか後退させたいと企んでいるライバルかもしれない。

 そんな世界で生きていく覚悟と鋼の精神力があるのなら何も言わない。

 ついさっき、ネットにまたアイドルの殺害予告があったというニュースが流れてきた。

 私のように体を壊す前によく考えてみてほしい。

 それでもアイドルを続けたいと思うのならば、素顔を見せずにメイクやヴァーチャルという仮面をつけることをおすすめする。





                  「エル」の書記より





          完




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