賊軍古狸の居酒屋は血生臭い

樫野そりあき

人ならざる者が住まう町

 酒を飲んでも寒い日。

 千鳥足での飲み屋を梯子している途中。

 男はがちがちと歯を鳴らしながら歓楽街を歩いていた。



「ずいぶん飲んだね旦那。最後はおでんなんかどうだい?」



 誰かに話しかけられた。

 声はあれど姿はなし。もっとも相手の姿も確かめる気もない。

 その男はわざとらしく呂律の回らない口調で返答する。



「いいねぇ。案内してくれよぉ」

「合点承知だぜ」



 足元を赤い首巻をしたトラ柄の猫が追い越してゆく。

 男はまさかと思って周りを見たが、やはり声の主は見当たらなかった。

 状況を考えるに、どう考えても目の前の猫が声主ではあるまいか。

 そう男が思ったとき、目の前のトラ猫が振り返ってこちらを見ていた。



「突っ立ってないで付いてきな」



 どうも今日は飲み過ぎたらしい。

 男はそんな冗談を考えて思わず一人で笑っていた。



「驚いたね。ほんとにおでん屋だ」

「ここは穴場なんだ。まあ入りな」



 のれんには“さもんじ”と達筆な筆字で書かれているが書き損じがある。そんなことにはお構いなく、男はのれんをくぐって店の戸を開けた。



「らっしゃい」

「まだやってるかい?」

「……そこ座りな」



 大将はカウンター席を顎で示す。

 雑な接客ではあったが構うことはない。

 大将は足元のトラ猫を忌々しげに睨みつける。

 そんなことはお構いなさそうに店内に入って丸くなっていた。



 客は数人で大盛況しているというわけではない。

 しかし閑散としているわけでもないらしい。

 こんな歓楽街の僻地で客が入るのは寧ろ繁盛しているほうではないか。



 丸椅子に座って注文札を眺める。

 なるほど確かにおでんしかない。

 あとはビール、日本酒、焼酎、などの酒類である。



「ご注文は?」

「おすすめは?」

「自家製の練り物だ」

「奇遇だね練り物は嫌いなんだ」

「そうかい」

「適当に見繕てっよ。あと焼酎ちょうだい」

「あいよ」



 大将は黙って具材をいくつかよそう。

 そして黙ったままおでんを男の目の前に突き出した。



 皿の上には、大きく厚めの大根、褐色の爆弾卵、昆布の巻物である。

 ゆで卵はまだ熱い。となれば優先順位は大根か昆布である。

 大根は冷めなければいつでも美味い。

 昆布は冷めると固くなってしまう。


 脳内審議の結果がでる。

 男は昆布を口に運んだ。

 そして彼は正しい選択をした。


 昆布はホクホクで程よい歯ごたえがある。

 噛めば噛むほど、奥ゆかしい味わいが口の中に広がった。


 前者の風味が舌に残っているときに大根にかじりつく。

 噛むまでもなく舌の上でとろける大根から汁があふれ出す。

 昆布の味と大根に染み込んでいたおでん汁の相性が抜群にいい。


 この最高の状態で酒を流し込む。

 男はこの流れですでに優勝している。

 頃合いに食らいつくゆで卵は勝利の凱旋であり余韻である。

 全てが体の底に染み込んでゆくようで、自分は日本人なのだなと言うことを嫌でも体感する一瞬である。の店はあたりだった。そう思いながら、ゆっくりと二杯目の焼酎を傾けていた。



 三〇分ほど経った。

 しばらくすると客の顔ぶれも変わる。

 男の後ろで突然に手荒く戸が開けられる。

 大将は、先ほどトラ猫のとき同じ顔で客を睨む。



「あねさん。今日は終わりだよ」



 男が振り返ると、そこには綺麗な洋服を着た細身の女性が立っていた。

 大将の言葉もお構いなしにつかつかと端の席に座る。

 カウンターの内側に手を伸ばしてグラスを掴む。

 男は彼女の細長く色白の指に、思わず目を奪われる。

 美人だが妙に目じりがつりあがっているのが印象的であった。



「わちきは、わちきの酒を飲み来ただけさね」



 彼女はそう言ってグラスを大将に突き出す。

 大将は不承不承で一升瓶の日本酒を注ぐ。そして、いつの間にか用意していたのか皿にふたつ載せられた“おいなりさん”も差し出していた。注文札を見るが見当たらない。



 あれは彼女の、お得意様専用の裏メニューらしい。彼女はおいなりさんを手つかみでかぶり付く。そして、後ろで丸くなるトラ猫と男を見比べて細い目をさらに細めて怪しく笑った。



「なんだい。いい時に来たみたいじゃないか。面白いミセモノが見られそうだ」




 彼女はよくわからないことを言う。

 不思議に思いながら残りの焼酎を口につけた。



「お客さん、この町のもんじゃないね。どこから来たの?」



 今度は大将に話しかけられた。

 大きい体をカウンター内の椅子に腕を組んで腰かけている。

 目線は、高い所に置いてあるテレビを見ている。

 チャンネルは深夜のニュース番組。

 最近多発している刺し殺し事件の報道であった。



「遠くからだよ」



 男は半笑いで答える。

 今度は男が質問した。



「なんでこの町の人間じゃないってわかるの?」

「狭い町なんでね。よそ者はすぐわかる」

「フーン。よそ者には肩身がせまい町だね。でもここのおでんは美味かったよ。おかげで少し飲み過ぎた。立てなくなる前に失礼するよ」



 財布を取り出して立ち上がろうとしたとき。

 すかさずにコップに酒が注がれた。

 大将は高価な焼酎を棚に戻しながら話を続ける。



「気を悪くするな。それはサービスだ。ゆっくりしていきなよ」

「それじゃ遠慮なく」



 上機嫌に男は座り直すと酒を口に運ぶ。

 そして満足そうに溜息をついた。



「美味いな。これじゃ本当に泥酔して帰れなっちまう」

「餓者髑髏が酔うはずがないだろ」



 大将は歯を見せて笑う。

 男は大将の言葉に言葉を失う。



 なぜガシャドクロはであることがばれた。

 男は、その場にいた全員を見渡した。


 つり目の彼女は事もなげに酒を飲んでいる。

 後ろではトラ柄の赤い首巻猫が起き上がって伸びをしていた。

 大将はなだめるように続ける。



「心配するな。ここには人間はいない」

「やい、化け猫。のれん下げちまいな」



 目の前の彼女が手酌で酒を飲みながら“化け猫”に指図する。

 すると男の背中で何かが転がる音がした。

 振り返ると、竹竿に通ったさもんじののれんが転がっていた。



「猫使い荒いぜ」



 そのすぐそばでトラ柄の猫が後ろ脚て首を引っ掻いていた。

 悪態をつく声は明らかに猫から発せられている。

 なるほどなと男は肩をすくめる。



「道理でこの町は妖気が濃いわけだ」

「人ならいざ知らず。よその怪が来ればすぐにわかる」

「あんたは?」



 男が尋ねると大将ではなく化け猫が答えた。



「こいつは古狸だ。遠い昔はあまたの戦場を渡り歩いたモノノフさ。壇ノ浦は平家。湊川は楠木。応仁は山名。戦国は武田で織田の鉄砲にハチの巣にされ、本能寺ではカチカチ山。朝鮮では加藤。関ケ原では大谷。大阪じゃ真田で戦った。幕末は勿論佐幕派で彰義隊。明治にゃあ二〇三高地で味方の砲弾に吹き飛ばされたし、最後にはレイテ島でマッカーサーと戦った。どうだ、とんでもねえ経歴の持ち主だろう」


 畳み掛けるように語る化け猫はまるで誇らしげだったが、大将の古狸は本当に迷惑そうに頭を抱えていた。



「ほとんど負け戦だ。最後に勝った戦もあったが酷いものだった」

「こいつは賊軍古狸なのだ」



 上機嫌に笑う化け猫。

 しかし、男は大真面目にその話を聞いていた。



「どうしてこんなところでおでん屋をしてるんだ」


 男の問に古狸は静かに答える。


「俺は古狸だが生来の人殺しではない。泰平の時は気ままに過ごすに限る。まあ心得がある故、きな臭い時には武器を取るが正直もうウンザリだ。日ノ本の内で強い家や勢力の味方をしてきたつもりであったが、聞いた通り思うように行かず、最後には日ノ本そのものが負けたのだ。そのときに諦めた。最後には縁あってこの地に落ち着いていて店を構えている次第だ」



 古狸はキセルを取り出すと煙草に火を着けて燻らせる。

 一息ついてから、今度は古狸が男に訊いた。



「あんたは何しにここへきた?」

「というと?」


 男は白い歯を見せて笑いとぼけてみせる。



「ガシャドクロは危険な怪異だ。泰平のいま、人に紛れて生きる俺たちのような物の怪は生きて行けるが、お前らのような怪異は人の法で罪を犯して裁かれるか、有志の物の怪に討ち取られるかのどちらかだが」


「なゆほどね。どうして怪異の俺が生き残っているかを訊いているわけだ」



 男はコップの酒を飲み干す。

 そして、にっと笑って古狸の大将を見た。

 その顔は青白く、目の部分が窪んでいて影を作っている。

 それはまるで骸骨が笑っているように見えた。



「おれは間接的に人を恨み殺す方法を憶えたからさ」

「ほう」

 


 その一言につり目の彼女も動きを止める。

 ガシャドクロの男には解った。

 彼女は化け狐である。



「ひとは大なり小なり闇をもつ。恨みだけじゃない。簡単な例を挙げようか。他人に対して敬愛や尊敬は羨望となってさいごには嫉妬になる。まともな人間であろうと健気に振舞えは心の淵は深くなる。人もつ心の闇とはそういうものだ」



 男はコップの縁を爪でなぞる。

 口元には薄ら笑いをうかべている。



「俺はそういう人間に近付いて、その心の淵を埋めてやるのさ。それだけでいい。向こうが勝手に動いてくれる。あとは人が人を殺すだけ。深い淵からあふれ出す人間の黒い感情は、自らの手で人間をくびり殺すよりも美味いものだ。俺は手を汚さずにこの最高の珍味を啜ることができるわけだ」



 空気が張り詰める。

 妖気というものは物の怪の殺気を顕著に表す。



「下衆」



 妖狐が口元をおしぼりで拭いながら言う。

 テレビ画面の上に速報が入る。

 白いテロップが緊張感がある効果音と共に写し出された。

 刺し殺し事件の犯人が捕まったらしい。



「勘違いしないでよ? 俺が洗脳してそうさせるわけじゃないんだぜ? 恨みを持っているのは人間なんだから。彼らはずっとつらーい人生を送ってきたんだ。この世には運の悪すぎる人間がいる。報われない人間が大勢いるんだ。安い言葉に聞こえるかもしれないがこれは本当のことなんだ」



 ガシャドクロは立ち上ってわざとらしく振舞う。

 まさに舞台役者のように演説していた。



「理不尽、不条理、不平等。幼少期からこんなものに直面して育つ子供がいるわけよ。そんな人間が涙を呑んで青春を消化した後に直面するのは、世の中の自称常識人たちが定義する“まともな社会人”になれない現実。最悪の幼少期の環境を選んだのは自分じゃない。それなのにどうして全てが本人と自己責任と努力不足の決めつけで終わってしまうのさ。そんな針のむしろのような人生をせめて善人で生きようと健気に生きる人間が健全な心を持てると思うか?あ?そんな人間は社会の邪魔にならないように生きていくしかないんだよ。それはほかの多くの人間にとって有難いことなんかじゃない。“あたりまえ”のことなんだよ。はは、わらえるだろ?そんな人間は人生を他人に消費されてやっと社会の末席に加えてもらえるのさ」


 肩で息をするガシャドクロは熱っぽく語る。

 まるで自分が弱い者の代弁者であるかのように。


「そうなれない人間はどうなる。もうまともな社会人として生きてはいけない。そんな人間はもっとひどいもんだ。人権なんてそんざいしない。本人はなにも悪くないんだ。俺は思う、悪いのは本人を取り巻くすべてのものだ」



 男は目をギラつかせて古狸の大将に迫る。

 カウンターを両手で鷲掴みして体の乗り出している。


「つまり復讐だ! 彼らには社会そのものに復讐する権利がある!」


 そこまで聞くと古狸の大将はキセルを逆に叩いた。

 火種を取り出して揉み消すとキセルを吹いてから袋にしまった。


「お前言いたいことは解った」


 そういうと古狸の大将は立ち上がってカウンターの外に出る。

 出口を塞ぐように立って足元に転がっているのれんを拾う。


「なるほど人間の生とは哀しいものだ。だが貴様はそれ糧にするために人の心をそそのかしているにすぎない」



 殺気立つ古狸にガシャドクロは飄々している。



「おれがいなくなったところで、復讐に狂った人間が消えるわけじゃないと思うが?」

「それが、お前が人の生に介入してよい理由にはならない」



 古狸は握っているのれんを空中に放る。

 それは姿形を変えて彼の手に降ってきた。


 一振りの刀。同田貫。

 一挺の小銃。三八式歩兵銃。


 その瞬間店の電源が落ちる。

 化け猫がブレーカーを落としたのだ。


 両手に得物を握った古狸のシルエットが外の街灯の光に切り取られる。

 普段は落ち着いた彼の双眼が怪しく光っていた。



「人の世はありのままでよい。とはいえ、お前もどこかで死んだ死者の亡霊。楽にしてやる」



 ガシャドクロはいよいよ身構えた。

 しかし、何者かに羽交い締めにされている。

 毛むくじゃらでトラ柄の大きな腕が男を押さえつけた。



 刹那、雷鳴が轟き雨が降り出した。

 土砂降りは町を水蒸気で煙らせる。

 その音はある妖怪の断末魔をかき消してしまった。




 ……。




 数日後、街外れの墓所に無名の墓が増えたという。

 誰がおいたか。線香と白い花が手向けられていた。

 お供え物のおでんは、すかさずカラスの餌になる。



 その近くで、赤い首巻をしたトラ柄の猫がにゃあと鳴いた。

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