おやすみ、チェスカ。

笛路

 




「チェスカ、起きて?」


 夜空のような瞳に、また俺を映して欲しい。

 そんな願いを込めて妻――チェスカの固く閉じられたまぶたに唇を落とした。




 彼女が眠り続けてもう五年が経った。


 『魔力消散症』、文字通り魔力が消え散るこの病、発症者は生命を維持する以外の魔力を全て外に向け放出する。

 老いることも、衰えることも、終えることもなく、ただ浅い息をして眠り続ける。

 一千万人に一人、一億人に一人、などと言われている奇病だ。

 

 チェスカが二五歳になった冬、なんの前触れもなく膝からくずおれ、そのまま目覚めなくなった。

 そろそろ子供でも、なんて頬を染めながらチェスカの蜂蜜色の髪にキスをしていた、その瞬間に。 




 発症者は、食事も水分補給も排泄も必要とせず、何年経とうとも見た目が変わらないことから、『永遠の命を手に入れた者』とも呼ばれている。

 この病になると、眠ったまま永遠に生きているのだ。

 現在確認が取れている者で、二〇〇年もの間眠り続けているそうだ。

 そして、『発電機』と揶揄されることもある。


 国は魔力消散症患者から放出され続ける魔力を、何かに利用できないかと考えた。

 結果、行き着いたのは、外からの攻撃を防ぐために国を覆うように展開している、『魔力防護膜』への魔力供給だった。

 だから…………発電機、と。




「ゴルドン家フランチェスカ殿に一年間の魔力供給を要請する」

「かしこまりました」


 とうとうチェスカにも要請が来てしまった。


 発症後五年ほどで国の役人が突如訪問して来て、要請書と謝礼金を置いて発症者を回収して行くと、まことしやかに囁かれていた。

 本当に来るとは思わなかった。


 拒否権はない。

 国民であれば当然に受け入れるべき要請。謝礼をもらえるなど高待遇。そう、思うべきなのだろう。

 別れの時間を五年も貰えているのだと、感謝すべきなのだろう。


 役人から要請書を受け取り、中身を確認した。

 一年間の魔力供給に対する金額と、一年以上継続して魔力供給に協力する場合の金額なども書かれていた。

 謝礼は国家公務員の約三倍の年収だった。


 眠り続けて五年も経つと、存在を持て余す。そう考えられているのだろう。

 一年の供給と言いつつ、継続しての供給も選べるようになっているのだ。

 一年間での終了を選んだ場合は、翌年には戻ってくるが、更にその翌年にはまた要請されるとのことだった。


「どうされますか?」

「一年間でお願いします」

「では、こちらにサインを」


 言われるがままにサインし、チェスカが遺体袋のようなものに入れられ、運ばれて行くのを眺めた。

 まるで物のような扱いに不安になり、連れて行かれた先でどんな扱いを受けるのか、どんな場所に寝かせてもらえるのか知りたかったが、機密事項だと素気なく切り捨てられた。


 リビングの机の上には、普通なら踊りだしそうなほどの金額の札束が置いてあったが、俺が妻を売った金だと思うと、それに触れられそうにもなかった。




 ベッドで一人寂しく眠り、のらりくらりと仕事をし、なんとなく飯を食い、風呂に入り、酒を飲む。

 心ここにあらずで日々を過ごした。


 ……チェスカの一年間を売った金には、手がつけられなかった。




 サインをした日から、ちょうど一年後の今日、チェスカが戻ってきた。


 連れて行かれたあの日と何ら変わらず、全く同じ服装で、穏やかに眠っていた。

 髪は申し訳程度に梳かされていたが、移動の際の袋の中で乱れたのだろう。だからあちこち絡まっているのだろう。

 服装が一切変わっていないのは、薄汚れているのは、きっと家族に配慮したのだろう。俺以外が妻の肌を見て、触れていいはずがないから。


「……おかえり、チェスカ」


 チェスカの固く閉じられた瞼に唇を落とした。

 どうか目覚めて欲しいと願いながら。




 二人きりの一年間を過ごしたあと、また役人が来た。

 またサインをした。

 また金が机に積まれた。

 また遺体袋のようなものに詰め込まれた。







 そうして、チェスカが眠りについて四〇年。

 俺たち夫婦は、祖父と孫のような見た目になってしまった。


 皺々の手をぼうっと眺める。

 君と同じ時を刻み共に歩めると思っていた、なんてことない日々が、懐かしい。


 今日もまた彼女の固く閉じられた瞼にキスをする。

 どうか目覚めないで、と願いながら。


「おやすみ、チェスカ」



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おやすみ、チェスカ。 笛路 @fellows

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