三月三日の悲劇

御剣ひかる

ひなまつりに呼び起こされる記憶

 今日は桃の節句です。

 朝のニュース番組で、女性アナウンサーが笑顔で告げる。

 全国各地で行われるひな祭りの催しが告げられる。

 そのニュースをほほえましく見ていた男は、ふと、疑問に思う。

 あれ? ひなまつり、って、なにか大切なことが……。

 彼の脳裏に浮かんだのは、窓から火が噴き出る家だ。

 おおよそひな祭りとは縁のない光景に、また彼は小首をかしげる。

「あなた?」

 妻に呼ばれて、男は我に返る。

「なぁ、ふと思い出したというか思い浮かんだというかなんだけど、どこかで火事があったか?」

 妻は「えっ」と驚いたがすぐに笑みを浮かべた。

「ありませんよ。それよりも早く朝ごはん食べないと」

「あぁ。……ん? 紅茶?」

「いい茶葉が手に入ったのよ」

 珍しく食卓に並んだ紅茶のカップに、ふぅん、と相槌を打って男は一口すすり飲む。

「へぇ、おいしいな」

「でしょ?」

 男は満足そうにうなずいて紅茶を半分ほど飲んでから、自分をじっと見ている妻を見つめ返す。

「で、……なんの話だっけ?」

「さあ? あら、今日は寒いらしいわよ。あったかくして行って」

 妻がテレビを見て言う。ニュースは天気予報にかわっていた。

 男がそれ以上火事の話を続けないことに、妻は静かにほっと息をついた。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 住宅街にひっそりと隠れるようにある紅茶専門店「勿忘草わすれなぐさ」にお客様が入ってくる。

 店番をしている彰吾しょうごがいらっしゃいませと声をかけると、女性はぺこりと頭を下げる。

「こんにちは。やっぱり思い出しかけたんです。少し追加をいただきたくて」

 女性が用件を言いかけると、店の奥から出てきた店長、楽人らくとが笑顔で出てきて遮った。

「特別な茶葉のお話でしたら、合言葉をお願いします」

 人当たりの良さそうな店長は茶目っ気のある笑顔で人差し指を立てて軽く振っている。

「あ、すみません。えっと、忘れてな草の紅茶はありますか?」

「それを言うなら勿忘草ですね」

「そうでした。今の失敗、忘れてな」

「はい、了解です」

 恥ずかしそうな女性客と得意満面の楽人を見て、彰吾はやれやれと肩をすくめる。

 女性はとりあえず五杯分を、と注文し、「勿忘草特性茶葉」を受け取って帰っていった。

「やっぱり思い出しかけたか。ニュースでもひな祭りだとかいうからなぁ」

 楽人は客が出ていった扉を見てつぶやく。

「今の方は、どなたの記憶を消しているのでしたか」

「旦那さんだよ。三月三日に自宅が火事になって、前の奥さんと双子の娘さんを失ったんだ。娘さん達は三歳の誕生日だったんだって。名前がひなちゃんとまつりちゃんだったな」

 ひな祭り産まれだったからか、と彰吾は納得して、顔も知らない旦那さんを不憫に思った。

 生きる気力すら失いかけていた彼に寄り添い、再婚したのが先ほどのお客様だよと楽人が言う。何とか前を向いて生きようと思えるようになった旦那さんは、それでも時々PTSDからくるひどい発作に苦しみ、見るに見かねた奥さんがネットの口コミ情報でこの店を見つけ出し、去年の今頃、わらをもつかむ思いで特性茶葉を買いに来たのだ。

 大切な思い出をも消し去ってしまうことに罪悪感を覚えるが、心の健康の方が大事だと涙ながらに特性茶葉を欲する理由を語っていたそうだ。

「僕の魔法も完璧じゃないから、どうしてもきっかけになるものを見たらぼんやりと思い出しちゃうんだよ」

 楽人が自嘲気味に言うのに彰吾はかぶりを振った。

「たとえ完璧でなくても店長の魔法は間違いなく人を救っていますよ」

 彰吾の言葉に楽人はぱぁっと笑顔になる。

「ありがとう」

「それよりも、合言葉変えません? 聞いているこっちまでなんだか恥ずかしくなります」

「だーめ」

 楽人はふふふっと笑った。

 そういえばどうしてそこだけはこだわるのか、そろそろここで働いて二年になるが、彰吾は聞いた事がない。

 彰吾が働き始めて間もない頃はまだ楽人が記憶を消す魔法を使えると知らなかったので秘密の合言葉は必要だっただろうが、今はもう他に客がいない時に合言葉を使う意味はないだろうに。

 ……まぁいいか、と彰吾はひとつ息をついて仕事に戻る。

 店内にはまだ、勿忘草特別茶葉の優しい香りが漂っていた。



(了)

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三月三日の悲劇 御剣ひかる @miturugihikaru

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