抱えた命は生者の紛い ―蒐集鬼ミットフォード卿シリーズ #04―

月見 夕

まがい物の命

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 いつも内容は同じなのに、痛みや感触はまるで今まさに起こっていることのように鮮やかに襲い来る。

 冷たい地に倒れ伏しているのに、背中がひどく傷んで身動ぎすることさえ儘ならない。胸元を見ると三角定規の先端のような鋭利な何かが飛び出していた。何だこれ。刃物か、それとも何かの生き物の爪か。

 何か叫ぼうとして、かひゅ、と喉の奥が鳴る。刺されたらしい背の傷は心臓もろとも肺を貫通していて、息は吸っても漏れていく。多分もう自分は駄目だろう、という漠然とした諦観だけが確かにあった。

 どうして、何が、誰が、私を?

 ぼやけた視界を彷徨わせる。せめて何もできぬまま、知らぬまま死にたくはなかった。

 ふと、私を見下ろす人影が現れた。いつからそこにいたのだろう。長身の誰かは屈み、私の目の前に手を翳す。

 今際の際の私に差したその影は――逆光でも分かるほど、怪しい笑みを湛えていた。



 ◆



 たまに見ては明ける朝に消えていく夢が、ふと頭を過ぎった。

 何故いま思い出したんだろう。きっとたまに見る同じ悪夢だったはずのそれは、鮮烈な質感を与えて胸に残る。いつもなら夢の中身なんて溶けて消えて、二度と元通りに像を結ぶことなんてないのに。どうして、

「……は?」

 バンシーの言葉で一気に噴き出した思考に、不覚にも頭はフリーズする。

 目の前の彼女は、困ったように頬杖をついた。

「あら、気付いていなかったのかしら……悪いことをしたわね」

「良いのさハニー。彼女だっていつかは気付くべきだったのさ」

 首無し騎士――いや首はいまや元通りその肩の上に乗っているからただの甲冑姿の男だが、襟塚先生は甘い溜息を吐いてバンシーの方を抱いた。

「それって……その……どういう」

「どうもこうも。最初は僕も生きていると錯覚したさ。でもあまりにも気配が希薄だから、ああ死んでる、って気が付いたのさ。魂だけになって授業を受けているから、変わった霊もいるものだと思ったのだがね。まさか自分でも気が付いていなかったとは」

「そん……な」

「普通人間は死んで身体から魂が抜け出たら、余程のことがない限り次の世に巡っていくのだが……そうしないと、どんどん人としての輪郭がぼやけていく。しかし君は明確な輪郭を持っているね。何かにこの世に繋ぎ留められでもしているのかな?」

 この世に存在できないはずの剥き出しの魂を、繋ぎ留められる存在。

 そんなもの、私の周りには――ミットフォード卿ひとりしかいないじゃないか。

 思い至るのとほぼ同時に、心臓がどくどくと鳴る。腹の底がすっと冷めていく。

 落ち着け、冷静を装え。この拍動さえ偽物かもしれないのに。恐れや疑念を抱くな。彼は私の思考を監視している。

 いや――それならむしろ手遅れか。こうして震えている手も青ざめた顔も、どうせ千里眼で視えているだろうから。

 蒐集鬼の元に迷い込み、彼の部下ものだと認知された段階で、私に逃げる選択肢などなくなっていたのだ。


 いつもならワンコールで上司と繋がるスマホはぴくりとも震えず、手の中で冷たさを放っていた。



 蒐集部屋の扉を後ろ手で閉めると、正面の安楽椅子に掛けたミットフォード卿が私を出迎えた。

 暇を持て余していたのか、手元のミニテーブルにはチェス盤と、倒れた駒たちが転がっている。

 無様に転がされたそれに自分を重ねてしまい、思わず目を逸らしてしまった。

「ご苦労、バンシーの涙を手に入れたようだね」

「……」

「これで手紙の返事に取り掛かることができる。異形種交流会の招待状が来ていてね」

「……あの」

「疲れただろう、いま紅茶を淹れよう」

 労いの言葉とともに彼が指を鳴らすと、いつものように何もない宙にウェッジウッドのティーセットが現れた。

「……ミットフォード卿」

 しかし今日は、素直にカップを受け取る気にはなれなかった。

「バンシーとデュラハンから……聞いたんです。私は既に死人であると……貴方は……それを知っていたのではないですか」

 肘掛に頬杖をついたミットフォード卿は、ただ真っ直ぐに私を見据える。怒るでもなく微かに笑みを湛えたその口元は、決して私の言及を否定しなかった。

 やはり……やはり彼は最初から知っていて……。

「私はいつからこうなのですか? まさか、貴方と出会った時からずっと? 私の記憶は、まやかしだったのでしょうか。知っていて、私に教えることなく働かせていたのですか? 何のために――」

「これは例えば、の話だが」

 次々と溢れ出す問いは、しかし低い声に遮られた。

「仮に「」と私が答えたとしたら――君はどうするつもりかね? 私を殺すかね?」

 吸い込まれそうな紫の瞳に問われ、血の気が引くのを感じた。

 ミットフォード卿が私を手にかけて、その魂を使役していたのだとしたら、どうするかなんて。下等な人間の思考を読み、悠久の時を生きる蒐集鬼に敵う術など万に一つもあるはずもない。どうにかできるはずなどないのだ、最初から。

「あ――し、失礼します」

 本能で恐怖を感じた足が、じりじりと後ずさる。背中に当たるドアノブを引っ掴み、一目散に蒐集部屋を後にした。



 行き先も分からぬまま、ただ街を走る。

 とにかく今はあの部屋から離れたかった。彼の手の届かないどこかに……どこへ? どこへ逃げれば良いのだろう。いや、どこに逃げても隠れても、どうせ千里眼で私の居場所など知られているだろうから変わりないのだが。

 そう気付いたら急に馬鹿らしくなって、立ち止まる。

「は……はは」

 膝に手をついて肩で息をすると、乾いた笑いが漏れた。

 ミットフォード卿は私を引き留めなかった。

 どこへ行こうと変わらないから、ということもあるだろうが、明かした話がそれ以上弁明のしようもない事実だから、という証でもあるのだろう。

 勤務時間中に意図的に逃げ出したのなんて初めてだ。彼の意図にそぐわない私は、遠からず消されるだろうか。

 ふと傍らの電柱を見遣ると、千切れかかった張り紙がしてあった。普段なら風景のひとつとして目に留まらないはずのそれを凝視してしまったのは、そこにあるはずのない文言を見つけてしまったからだ。

「何……これ」

 縋るようにその張り紙を破り取り、食い入るように見つめる。ゴシック体の文字は冷たい現実だけを伝えていた。


『汐入みおりさんを探しています』

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抱えた命は生者の紛い ―蒐集鬼ミットフォード卿シリーズ #04― 月見 夕 @tsukimi0518

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