第4話 気づかぬままに繰り返す

 深夜にふと、バタンと何かが倒れるような大きな音を部屋の中で聞いた気がした。しかしそれが今日だったのか、それとも少し前だったのか。はたまた夢だったのか。


 それすら分からないまま、私はまた朝を迎えた。


 ローテーブルの前に座りながら手鏡に写る顔は、いつも以上に疲れている気がする。あれだけ寝たのに、化粧をしてもクマが目立つし。


 美容院にすら行けていないボサボサの髪を後ろで一つにまとめ、私はそそくさと部屋を出た。


 しかしなぜか今出社したはずの私は、また玄関で家に入ろうとそのドアノブを握っていた。


 あれ?

 確か今、出勤したんじゃなかったっけ?

 しかし玄関から真っすぐ奥に見える、ベランダの外の景色は夜だ。


 私、一体どうなちゃったんだろう。

 電車に乗った覚えも、今日やったはずの仕事も、何もかもが思い出せない。

 今日どうしていたのか、記憶が曖昧だ。


 頭の中にモヤがかかったようで、どうにも上手く整理がつかなかった。

 だけどそれは昨日だってそう。


 気づいたら、デスクの前で眠ってしまって夜になっていたし。

 急に、何かが変になってしまった。

 

 なんでだっけ。

 なんでだっけ。

 なぜこんなことになったんだっけ。

 なんで? どうして?

 今はいつで、今は何時なの。


 でも、それすら思い出せない。

 しかもドアノブを握ったまま体も動かない。

 玄関のドアから半分体を入れた状態で、部屋の中で光るスマホを見た。


 おかしいな。私、大事なスマホも鞄も忘れて仕事に行ったの?

 そんなことって、あるのかな……。

 何も持たずに外に出るなんて。


 ぐるぐるぐるぐると、ただ思考だけが回る。

 考えなきゃいけないのに、なぜかキチンと考えることができない。

 

 どうしてこんなことになったのか。

 そもそも私は何をしていたのか。

 いや、その前に私って……なんだっけ。


「こんバンワ」


 いつものようにお隣さんの声がする。

 前とは明らかに違う声。

 でもなぜか、今日はそれも気にならない。


「こんばんワ」


 私もいつものように言葉を返す。

 お隣さんが『こんばんわ』と言ったから、やっぱり今は夜なのね。


 なんだ。ああ、安心した。


 毎日同じことの繰り返しで、なんか分からなくなっちゃったみたい。

 きっと疲れすぎたんだわ。


 そして日が昇り、いつの間にか日が沈む。

 気づけば私はまた、いつもの時間にいつもの玄関外で半分体を家の中に入れたままドアノブを握っていた。


「コンバンワ」

「コンバンワ」


 玄関が閉まる金属音はもうしない。

 充電のなくなったスマホももう光らない。


 ただぼんやりとする意識と視界の中で、玄関の開く音と共に母の叫ぶ声を聞いた気がした――

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日常が崩れ行く音 美杉。(美杉日和。)節約令嬢発売中! @yy_misugi

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