量子力学的むむ

ロックホッパー

 

量子力学的むむ

                          -修.


 「船長、ただいま帰りました。」

 真っ赤なTシャツに短パンの機関士のトムは、小型貨物船ミレニアムイーグル号の操縦室のドアを勢いよく開けて入ってきた。

 「お帰り、いつものことだが出航時間ギリギリだな。」

 着古した船員服を着たクリストファー船長はあきれ顔でつぶやいた。

 「そりゃ、せっかくの休暇なんで存分に楽しまないと・・・。」


 小型貨物船ミレニアムイーグル号は全長100mほどの比較的小型の貨物船であり、乗組員は船長とトムの2名だけだ。

 「で、次はどこに行くんですか。」

 「あー、次は木星の衛星エウロパへ行く。航路もナビにセットしてあるから。」

 「エウロパですか。荷物はなんですか。」

 「魚だ。」

 「え?魚・・・」

 「トム、ここフォボスで魚の養殖が盛んなことは知っているだろう。今回は養殖魚をチルドで輸送して、エウロパのミレニアムイベントで振る舞うってことだ。冷凍じゃなくて、チルドってところが高級感が出るらしい。」

 「西暦三千年祭ですね。え、でも今日は12月29日なんで、3000年1月1日になる前に届けるには2日半くらいしかないじゃないですか。間に合うんですか?航路は・・・。」

 トムはナビを確認して驚きの表情を浮かべた。

 「えー、航路がアステロイドベルトを横切っているじゃないですか。迂回しないんですか。普通は6日くらい掛けるところですよ。危険過ぎませんか。」

 「トム、何を言っているんだ。うちみたいな弱小運送会社は人がやらないことをやらないと飯が食えないんだ、分かっているだろう・・・。このミレニアムイーグル号は強力な量子エンジンを積んでいるし、小型軽量で機敏に動けるのでアステロイドベルトも大丈夫だ。俺の腕を信じろ。」

 トムは一瞬「またかー・・」といった表情を浮かべたが、ナビの画面を見て、さらにあることに気づき、一層驚きの表情が強くなった。

 「船長、よく見たら、航路がバミューダ三角錐をかすめているじゃないですか。これはさすがにやばいでしょ。俺たち、遭難しますよ。」

 「大丈夫だ、少しかすめるだけだし、遭難なんて都市伝説だろう。単に物質密度が高い空間というだけだ。」

 「いやー・・・」

 三角錐と言っても、そもそも明確な境界があるわけではない。トムは不安が残ったが、船長は言い出したら後に引かないため覚悟を決めるしかなさそうだった。

 「仕方ないですね。急いで発進しましょう。」


 量子コンピューターと量子エンジンが実用化されて宙航も随分楽になった。アステロイドベルトを通る航路とは言え、多くの小惑星とそれらの軌道は登録済であり、量子コンピューターが小惑星にぶつからないよう最適な航路を選んでくれ、強力かつ低燃費の量子エンジンのおかげで機敏に小惑星を回避することも可能となっていた。


 ミレニアムイーグル号は順調に宙航し、アステロイドベルトへ入り込んでいった。

 「船長、右舷から小惑星接近、前方200mに岩塊・・・。」

 量子コンピューターが予め航路を設定していたとは言え、登録されていない小惑星や岩塊は無数にあり、2人はレーダーと目視により、終始回避行動を続けていた。

 「回避し続けるのも結構しんどいな。トム、今どのあたりだ。」

 「船長、ようやく半分あたりですよ。まだまだです。」

 2人がだんだん疲れ始めてきたころ船内に警報が鳴り響いた。

 「船長、SOS信号を受信しました。前方、100kmほどです。」

 「このくそ忙しいときに・・・。だが、仕方ないな。救助に向かおう。」


 SOS信号への対応は何よりも優先することが宙航規約で決められていた。もし、SOS信号を無視した場合、この業界にいられなくなるばかりではなく、へたをすると一生刑務所暮らしになってしまう。2日余りでエウロパに辿り着かなければならないといった言い訳は通じない。


 「船長、見えてきました。」

 貨物船のディスプレイには、大きな岩塊に2隻の宇宙船が接岸している様子が映し出されていた。

 「別の船が先に救助に行ったのか。我々は必要ないかな・・・。」

 「船長、まだSOS信号は続いていますよ。1隻はかなり古いもののようですが、もう1隻はこの船と同系の小型貨物船ですね。いや、瓜二つといってもいいかも・・」

 「珍しいな。この船と同じ小型貨物船は見たことがないが・・・」

 2人が会話をしているうちに小型貨物船は岩塊から離れて飛び去って行った。

 「SOS信号が続いているならドッキングしてみるしかないな。」


 岩塊に接岸したのち、加圧ブリッジで2隻をつなぎ、SOS信号を出していた船に移動すると、そこでは初老の男が出迎えた。

 「何か忘れものか・・・。」

 老人の言葉は2人が全く予想していないものだった。

 「えっ、我々はミレニアムイーグル号の乗組員で、たった今ドッキングして乗り込んだばかりだが・・・。いったい何があったんだ。」

 「先ほど話した通り、船のジェネレーターが故障して、この岩塊に接岸して救助を待っていたのだ。先ほど、君たちがスペアのジェネレーターを譲ってくれたので、今から修理しようとしていたところだ。」

 老人の指さす方向にはジェネレーターの梱包が置いてあった。2人は顔を見合わせた。どうも話が見えない。

 「いや、SOS信号がまだ続いていたから救助に来たんだが・・・。」

 「おかしいな。先ほど君たちが来た時点でSOS信号は切ったはずだが。」


 クリストファー船長は混乱していたが、念のためトムにミレニアムイーグル号のスペアのジェネレーターを確認するように命じた。トムは走って船に戻っていった。

 「船長、スペアは無くなっていますね。」

 「むむ、どういうことだ・・。」

 2人が頭を抱えていると、老人が思い出したように話し出した。

 「バミューダ三角錐の中ではどうも時間と空間が捩じれているのではないかと聞いたことがある。この宙域はバミューダ三角錐の周辺だろう。だから、何か影響を受けているんじゃないだろうか。先ほども話したのだが、この船が故障してから1週間も経っていないのだが、この船は20年ほど前の型式だと聞いて驚いていたのだ。新造船の処女航海だったので最新型のはずなのに。何かの間違いではないかと・・・」


 何か分からないことばかりだったが、SOS信号は止まり、スペアのジェネレーターも渡したので、これ以上居ても意味がないということでミレニアムイーグル号は先を急ぐことにした。


 そして神経を使う回避行動がだんだん少なくなり、ようやくアステロイドベルトを抜けだし、最大速度でエウロパへ近づいていった。

 「エウロパ管制局、こちらミレニアムイーグル号、識別番号MC2568KV。エウロパへの着陸を要請する。」

 「こちらエウロパ管制局、ミレニアムイーグル号、識別番号を確認した。30分後に着陸を許可する。急に識別信号が現れたが、アステロイドベルトを抜けてきたのか。」

 「エウロパ管制局、ありがとう。そうだ、西暦三千年祭に生の魚を間に合わせるため、我々はアステロイドベルトを抜けてきたんだ。念のため、正確な日付と時間を教えてくれないか。」

 船長は、時間と空間が捩じれているという老人の言葉が気になっており、念のため確認することにしたのだ。

 「ミレニアムイーグル号、今、12月31日16時15分32秒だ。」

 「良かった。船内の時計とも一致している。途中で救助に立ち寄った船の老人に脅されてたので確認させてもらった。」

 「そうか。西暦三千年祭にぎりぎり間に合ったな。あと数時間で西暦三千年祭も終わってしまうからな。」

 「むむ。」

 船長は、エウロパ管制官の言葉が理解できなかった。いや、まだ西暦三千年祭は始まっていないだろう。

 「どういうことだ。」

 「どうもこうもない。西暦三千年祭は西暦3000年の1年間だけのお祭りだからな。もうすぐ3001年になるから終わるのが当然だろう。」

 「もうすぐ3001年になる?今、西暦何年だ。」

 「3000年に決まっているじゃないか。何を言っているんだ。今、そちらの航宙記録を確認させてもらったが、1年ほど前にフォボスを出航してから記録がないな。どこかの歓楽惑星で羽でも伸ばしていたのか、ははは。」

 エウロパの管制官は楽しそうに話していたが、船長とトムは絶句した。日にちも時刻も一致しているのに、1年余計に経っている。

 「むむ、まずいな・・・・」

 老人の話は現実のものとなってしまった。船長は運んできた魚をどうさばくか途方に暮れていた。


おしまい

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