第12話 ふたつの塔
「はっけ!」
行司の掛け声が響いた。
柏戸宗五郎のほうが低くするどく当たった。
―強い。―
雷電は同部屋の柏戸と稽古を重ねてきたが、最近はずいぶんと力を付けてきている。
当たってすぐに柏戸が左上手を取った。
同時に、雷電も右下手を掴むが、柏戸の左の圧力でいつもの力を発揮できない。
「おっし!」
柏戸が一気に寄る。
—土俵際 — 「ちぃっ!」
雷電は体を開き、強引に右の下手投げ。
柏戸の左上手は切れない。
両者、俵に足をかけて同時に投げをうつ。
「おおっ!」
観客席がどよめく。
―土俵に、ふたつの巨塔。―
雷電と柏戸と、片足ずつを高々と上げて静止した。
—相撲生き人形—。
互いに組んで、妙に均整のとれた彫刻のように佇む。
ゆっくりと落ちながら、雷電は柏戸の眼を見た。
「……親方、粥を持ってきました。」
土俵外に落ちた雷電は目を開けた。
声の主は、弟子である。
「あぁ、……すまんな。」
柏戸と『引き分けた一番』を夢で見ていたことに気がついた。
―同体で落ちた。―
まだ夢見心地の雷電は体を起こそうとするが、言うことを聞かない。
「相撲取りが、ざまぁないな。」
江戸の土俵に轟いた、かみなり様は病に伏せっていた。
「そんなこと言わんでください。親方は、相撲の神様です。」
雷電は仏頂面で褒めてきた弟子を見て、微笑んだ。
雷電は文化十一年に横綱小野川喜三郎の母の追善供養にと、梵鐘と鐘楼を寄進した。
小野川との一番が「勝負預かり」となった際、息子が敗れたと思った小野川の母は自害したという。
雷電はそのことに心を痛め、焼失していた赤坂報土寺の復興にと寄進した。
しかし、寄進した釣鐘の意匠に幕府から横槍が入る。
「天下無双とは、お上をおそれぬ慢心である」と、雷電は江戸から追い出されてしまった。
—慢心などでは。—
小野川喜三郎もまた、谷風梶之助と並び立つ「横綱」であった。
江戸払いとなった雷電は、臼井(現千葉県佐倉市)で妻とふたりで過ごしていた。
布団に潜りこんで、多くの皺を刻んだ己の左掌を仰ぎ見た。
いつの間にか寝ていたらしい。
目を開けると、巨大な円形の土俵らしきものが現れた。
高貴な装いをまとった人々が数十人、整然と座して土俵を囲み、厳かな雰囲気に包まれている。
まわしは締めていないが、白い上等な腰袴を着けており上半身は裸である。
—これは。—
雷電は己の左腕を見た。
皺が消えている。力がみなぎっている。
「東の方、野見宿禰。これに。」
途端に空気が変わる。
「西の方、雷電為右衛門。これに。」
雷電は呼び出されて、進み出た。
土俵の中央に屹立し、神の名で呼ばれた男と目が合った。
行司が高らかに宣言する。
「此より角力を執り行ふ。天つ神、国つ神に奉る力の争(きそ)ひ、ともに潔く戦ひ、ここに天地の理を顕(あらは)さむ!」
宿禰と雷電は、呼吸を合わせて四股を踏む。
力士の四股には厄を祓う力があるといわれているが、土地に住まう神々までも逃げ出しそうな二人の四股は、大地を揺らし雷雨を運んでくるかのように響いた。
宿禰が雷電を見て笑う。
「おぅ、あまっちょろ。臆病風はやんだか。」
低く響く良い声は、谷風梶之助に似ている。
「はっけよい!」
立ち合い、雷電は左の「雷掌」。
ごぉ!と大気を切り裂く摩擦音。
ばちん!と見事に神様の頬を張り飛ばし、宿禰の顔は背中の方を向いた。
宿禰の首は、からくり人形のようにぐるんと雷電に向き戻り、膝をがくりと曲げた。
—膝をつく。— かに見えた宿禰が踏ん張り、雷電の腹に左脚で神速の蹴りを放つ。
右肘で防いだ。
雷電の身体が浮いて、土俵際。
俵に足がのこった。のこった。
宿禰は笑っている。
太郎吉も笑った。
—文政八年弐月(旧暦四月)。—
雷電為右衛門(本名:関 太郎吉)逝去。
享年五十九。
幕内在位35場所(うち大関在位27場所)
生涯成績254勝10敗 引分2・預り14・無勝負5
勝率9割6分2厘は、2025年現在も破られていない大記録である。
雷掌(らいしょう)―雷電為右衛門伝記― マレブル @CODINO18
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