第15話 バトラーとしての尊厳

 しかし相手も無様なもんだ。こんな何度も走り込みをしているコースでまだ二進数の数え方で片手で数えられる数くらいしか走っていないこんな輩に簡単に抜かれるなんてね。

 おぉっと。気を抜くな、僕。これだけ速度を出している上に後ろからのプレッシャーがかかった状態の僕だといつ事故を起こしてもおかしくはない。それほどまでにプレッシャーに弱いんや。

 自分だってこのプレッシャーにイラつくくらいには僕も精神の状態が変わってきているのか。これまで英才教育だか何とかでろくに友達もできたことのない僕なんかがそんなプレッシャーに勝てるはずも無い訳。弱音を吐いているうちはまあそんな考えなんだろうなとは思うが−–っとっと。余計なことを考えるなとさっき言ったであろう。そんなんだからプレッシャー云々の前に自分に負けそうになってるんや。



 このコースでこれほど走り込みをしてきた俺にとってあいつは害虫だ。突然申し込みが来たから喜んで受けてやったら見たこともない車。その上よ1.6Lという貧弱エンジン。たとえターボを載せてもせいぜい二百馬力程度か?あのVTECですら1.6L NAで185馬力だから、VTECでもないトヨタのエンジンにターボ乗せてもそんなもんだろ。(…まあ俺の車もトヨタのツインターボだけど。)

 そんなやつが、なんであの直角コーナーで俺を抜かせるんだよ。まだ数回しか走っていないはずだ。あの直角コーナーは速度の調整が極めて難しい。俺のチームの中級レベルのドライバーでも手こずるくらいの難易度はある。それを何でなんの躊躇いも無く突っ込んでいけるんだよ。しかもその後の立ち上がりもスムーズ。このコースの初心者ならぶつけてもおかしくないはず。なぜだ。

「チッ、クソッタレ!この野郎今に見てやがれ!」

 俺は知らない間に頭に血が登って舌打ちをしていた。峠バトルにおいて焦りは禁物だ。

 流石にこの状態でバトルしてはいけないと思い、心を落ち着かせようと試みるも結局は怒りがおさまらない。俺はそこにあった電話に手を伸ばした。

「クッソもう!もうこんなんなら次のトンネルゾーンだトンネルゾーンで秘密兵器だ。」

(電話)『了解しました、かしらァ。トンネルの入り口にて作戦を決行します。」

「よし。いいゾォ。これで勝てる!」

 あいつはこれでくたばれやぁぁ!震えて眠れy…あ、バトル中だわ。



 さて、もうすぐトンネルゾーンに入るぞ。ここで轟との距離を離して、プレッシャーからも解放されるんだ。

 ん?トンネルの入り口付近に誰かがいるような?警察の見張りか?いや違う観客…でもない。轟の手下だ。

 どうしているんだろうかと思っていると不幸は訪れるものでして。そいつらは道路にオイルを垂らしたようで、僕のヤリスは制御不可。前後輪共に空転し、まっすぐなトンネルの中で道の直線に対してほぼほぼ90°という角度がついてしまった。

 こんな状況では正直なところ立て直しは難しい。一回止まって体勢を立て直すほかないな。

 クラッチを切ってタイヤの空転を止めたら、こんなこともあろうかと付けておいた(本当はチューニングショップのおっちゃんがおまけでなぜか付けてくれたラッキー☆)このABSキャンセルスイッチでABSを切って、タイヤをロックさせる。くっそ!後ろから轟がきている。でも進路を塞いでいるなら通れはしないはず。と思っていた。

 あいつ、対向車線側にいて僕のことを抜かしてきやがったよ。こんなところでまた抜かれて、彼女がきてるっていうのにみっともないじゃないか。最も、こんなふうにオイルを道に垂らしてまで自分に「勝ち」という立ち位置を作ってこちらを牽制する。そんな汚い手を使って嬉しいのかよ。

 その後、僕が体勢を整え直している間にあいつときたらゆっくり減速してこっちの車線に入り込んできやがった。つくづくイラつくなぁ。全く。

 まあこのような場合、感情に任せて行動に移してしまうと結局最終的に面倒くさくなるっていうのが世の中の定理ってもんでして。僕はそんなことをする人間じゃないし、そんなことをして腹を立てて行動に移してしまうほど許容範囲は狭くない。まあ、まったく許容できることをやったわけではないんだが。

 そういうことで、車体を運転できるような向きに整えてから、もう一度発進する。もちろん、フルスロットルでな。落ち着いてはいるが、やはり許せはしない。どんな時も冷静にしないといけない。

 この時点での轟との距離は大体100mくらいか?まだトンネルゾーン自体は轟のところからでもあと400mくらいはある。ぬかせないにしてただの直進だ。距離を大幅に縮めることだって可能だろう。

 まあでも、今まだバトルを続けられているのはおっちゃんがなぜかつけてくれたABS解除スイッチのおかげだな。機械任せじゃ死んでたよ。

「こんなもん付けといて正解だったよ……おっちゃん、ホンマにありがとなァ……ははっ。」

 さて、まだまだ終わらんよ!当たり前のように逆転勝利してやる!

「とまれ、あんなのはスポーツマンシップのかけらもない。尊厳とかないんかな〜とは思うね。」

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過去転移走り屋 沢に椀 @mura_sawani

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