三重塔

増田朋美

三重塔

寒さが少しづつ緩んできて、もうまもなく春がやってくるかなと思われる季節であった。杉ちゃんたちは、また製鉄所で、いつもと変わらない日々を過ごしている。鉄を作るところではなく、居場所のない女性たちに、勉強や仕事をするための部屋を貸し出すための民間の福祉施設であった。そこへ通っている女性たちは利用者と呼ばれる。その利用者たちは、何かしら事情を持っているのであるが、ときには、こんな重い事情を抱えているのかと、びっくりさせられることさえある。

その日、梅木武治さんが、製鉄所の新規利用者を連れてきた。車椅子に乗った梅木さんに連れられてやってきたのは、まだ、17歳というあどけない女性だった。

「えーと、お名前をどうぞ。」

製鉄所を管理しているジョチさんこと、曾我正輝さんはそう彼女に言った。

「里中陽子です。」

と、彼女は答えた。

「里中陽子さんですね。どこかで聞いたような名前ですが、まあ、思い過ごしだと思います。それで、どういう経路で、ここをお知りになったか、教えてもらえませんか?」

ジョチさんがそうきくと、陽子さんは俯いてとても恥ずかしそうな顔をしてこういうのであった。

「仲間のところへ行こうとして、公園の中で考えていた所、梅木さんが偶然私を見つけてくださって、そんなことを考えるんだったら、ここへ来たほうが良いって言うものですから、それでこさせてもらいました。」

「はあ、そうですか。仲間とは、何の仲間だったんでしょうか?」

ジョチさんは、そう聞くと、

「はい。とても恥ずかしいことをしでかそうと思っていたのですが、梅木さんがそれをしてはいけないと言ってくださったので、それはしては行けないと思い至りました。」

と陽子さんは答える。

「例えば、集団売春とか、そういうことかなあ?」

杉ちゃんがのらりくらりとした表情でそう言うと、

「いえ、それじゃありません。それよりもっとひどいことです。」

と、陽子さんはすぐにそれを打ち消した。本人の口から言えないことを察してくれた水穂さんが、

「もしかして、人殺しとか、そういうことですか?」

と聞くと、陽子さんは、涙をためて

「ごめんなさい。行けないってことはわかってるんですけど、どうしても同級生を自殺に追いやった人物に腹が立ってたまらなかったので、仲間の一人が殺してやろうって言ったんです。私も、そのとおりだと思ってしまったので、それで今日、仲間と、それを実行するつもりだったんです。」

と、正直に言ってくれた。

「その、同級生を自殺に追いやった人物とは誰のことでしょうか?」

ジョチさんは厳しい顔をしてそういった。

「理事長さん、少し酷ではありませんか。彼女の口からはとても、その人物の名前は言えないですよ。」

水穂さんが、陽子さんをかばうように言ってくれた。

「お前さんはまだ高校生だね。その年ごろから見るとそうだよな。どこの高校に通っているかだけでも教えてもらえないでしょうか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「よ、よ、吉永です。」

と、彼女は答えた。

「はあ、吉永高校か、あそこは問題が多くて困るよな。まあ、いずれにしても、不適切な教育をやってることで、そのうち潰れるだろう。今は、公立の学校なんて、何にも良いことないもん。みんな私立学校にとられちまってさ。変な不良ばかりが、目に付くと、前にここに通っていた生徒さんが言ってたぜ。」

杉ちゃんがでかい声でそう言うと、

「わかってくださいますか?」

と、陽子さんは言った。

「わかってくれるというか、事実は事実だもん。忘れようって言われたってできないでしょ。だから、それは否定しないよ。」

「そうですね。確かに、杉ちゃんの言う通りではあります。それにしても、殺人をするというのはちょっと極端すぎるというか、常軌を逸しています。吉永高校でいじめがあったとか、そういうことですか?貴方方は、誰を狙っていたのでしょう?」

杉ちゃんがそう言うと、すぐにジョチさんが彼女に言った。水穂さんが、テレビのリモコンを取って、

「もしかして、その事件は、もう決行されたかもしれません。そうなれば、テレビか何かで報道するかもしれない。」

と、テレビのスイッチを付けた。すると、いきなり報道関係らしい格好をした女性が映って、

「臨時ニュースを申し上げます。たった今入ってきたニュースです。今日12時頃、静岡県富士市の吉永高校近くの道路で、女性が滅多刺しにされるという事件がありました。女性は、吉永高校教員の、羽田珠代さんで、刺したのは、吉永高校に在籍する女子生徒3名でした。この3名は、羽田さんを刺したあと、すぐに警察に自首しその場で逮捕されました。3人は、羽田さんが同級生を自殺に追いやったために、その復讐をしたいがために刺したと供述しています。」

と、早口で報道した。

「あれれ。もう報道されてやがら。」

杉ちゃんが、でかい声で言った。

「早いものですね。もう事件のことが、報道されてしまう世の中ですか。」

梅木さんは、大きなため息を付いた。

「それにしても、羽田珠代さんという女性は、なぜ、同級生の方を自殺に追いやったのでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「敬子は、三重塔から落ちたんです。」

と、里中陽子さんは答えた。

「三重塔?寺によくあるやつか?」

杉ちゃんが聞くと、

「違いますよ杉ちゃん。組体操の大技でよくあるじゃないですか。人間の上に乗って、三重の塔を作るんですよ。その敬子さんという方は、彼女の話によりますと、三重塔の頂点の部分を無理やりやらされて、誤って落ちてしまって下半身不随になり、そのため自殺してしまったそうです。それで、彼女の仲間であった陽子さんを含む女子生徒4人が、担任教師であった、羽田珠代先生に復讐しようと呼びかけたそうです。」

と、梅木さんがそう陽子さんの代わりに解説した。梅木さんとしてみれば、早く本題に入ってしまいたかったようである。

「そうなんです。あたしたちは、敬子が、高所恐怖症であることを知っていました。それなのに、羽田珠代ときたら、それを鍛え直すんだと言って、無理やり三重塔の上に乗せました。だから、あたしたちは、敬子の分を取り返してやるって思ったんです。」

陽子さんは、そう答えた。その言い方が、あまりにも本気で、まるで戦争に出征する兵隊さんのような言い方だった。

「はあなるほど、わかったわかった。ちょっと落ち着こうな。それでお前さんたちは、羽田珠代先生に復習しようと言うことはわかった。だけど、そのせいでお前さんたちのキャリアもだめにしてしまうことは考えなかったの?だってお前さんは一応、学生であるわけだからな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「結局!大人なんてみんなそう言うんですね。わかったとか言うけれど、決してあたしたちのことを思って言ってくれているわけではないでしょう。敬子のことだってそうですよ。みんな事なかれ主義で、敬子があのときの三重塔のせいで死んだんだってことをわかろうとしない。だからわたしたちは、真剣に復讐をしようと思ったんじゃありませんか!友達を守るために、やったことですよ。それで私のキャリアなんてどうでも良いのです!」

と、陽子さんはがなり立てた。

「でも、学生であるわけですし、例えば犯罪を犯して、学校を追い出されるとか、ご家族が悲しむとか、そういうことは考えなかったんですか?」

ジョチさんが聞くと、

「いえ、あたしは、そんなこと考えません。だって、あたしたちなんてどうせ愛されてもいないんだし、居場所があるわけでもないってさんざん言いふらしたのは、羽田の方でしょう。そういうことなら、私達は何も価値がなくて、生きていたってしょうがない、ただのゴミだって、羽田が言う通りなのなら、私達は、犯罪になろうがなかろうが、敬子のことをそうやって自殺に追い込んだ羽田に、しっかり復習してあげます!」

と、陽子さんは言った。その言い方が、もう人間というより、真蛇の面をかけたような、怒りの顔だったので、ジョチさんは、すぐ、スマートフォンを出して、影浦先生に来てもらうように言った。それに構わず、陽子さんは、ひたすらに、羽田が悪い、そして敬子のことは、しっかり仲間として復讐しなければならないとがなり立てていた。終いには、杉ちゃんも梅木さんも、その豹変ぶりに、たじろいてしまったが、水穂さんだけが、それにひるまずに、彼女の話を聞き続けた。彼女は床に何度も自分の頭を打ち付け、仲間の敬子さんを助けられなかったと激しく泣き、吠えた。それは本当に仲間を守ろうとしてそういう気持ちになっているのか、それともまた別の理由があるのか、杉ちゃんたちにはわからなかった。数分後に影浦先生が到着して、彼女の右腕に注射を打ってくれたので、彼女はやっと吠えるのをやめてくれて、床にうずくまったままでいた。

「状態が落ち着くまで、しばらく入院させます。事件のことは報道で知りました。もう吉永高校の前には、報道陣がいっぱいです。」

影浦先生は冷静に言った。ジョチさんが、民間救急に電話して、里中陽子さんを病院へ連れて行くように言った。影浦先生と、救急隊員が、里中陽子さんを掴んで、病院につれていくと、水穂さん以外の人間は、みんな大きなため息を付いた。

「しかし、恐ろしい事件ですね。本当に、三重塔から落下して死亡した生徒がいたのでしょうか。」

ジョチさんがそう言うと、

「彼女のような人間は嘘がつけないと思います。よく多重人格などになる人はそう言いますよね。忘れたいがために、自分がやったことではないことにしてしまうと。彼女もそれと同じなのではないでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「しかし、そういう人は、何でも自分のせいにしてしまいますが、彼女の場合、羽田珠代という犯人をはっきりさせていることがまた違うのではないでしょうか?そして、今回の事件のことも自分たちのことは悪いとは、一切口にせず、羽田珠代という人に復讐すると主張しているのが違うと思います。」

と梅木さんが言った。

「そういうことなら、僕らも調べてみたほうが良さそうですね。」

ジョチさんがそう言うと、

「僕は、なんか違うような気がするんだよな。」

と、杉ちゃんが言った。ジョチさんが違うって何がですというと、

「だから、その、なんかに操られているというか、黒幕がいるような気がする。彼女が、本当に仲間を守ろうとして、事件を起こしたのか?それ自体違うような気がする。」

と、杉ちゃんは言った。

「その根拠はなんですか?」

梅木さんがそうきくと、

「分かんない。なんか直感でさ。」

と、杉ちゃんは頭をかじった。

その翌日。テレビは、吉永高校の教員が殺害されそうになった事件のことばかり報道していた。里中陽子さんのことは、精神病院に隔離されているため不詳だが、他の犯行グループの供述も明らかになってきている。それによると、大石敬子という女子生徒が、三重塔の練習をしていた際に、誤って落下したことは明らかに事実らしいのだ。学校の記者会見の様子も中継された。なんだか、中年のおじさんたちが、ただ謝って、賠償金を支払ったとか、そういうことをいうだけで終わってしまって、事件の内容は殆ど話されなかった。

そしてまた新しい事件がどこかの県で発生し、この事件のことは忘れ去られていくのである。世の中とはそういうものだ。だからこそやっていける部分もあり、続いていくようなこともある。

しかし、その事件から数日後、皮肉なことが起こった。なんと、羽田珠代が刺されたときの映像が、動画サイトに公開されたのである。杉ちゃんたちは、これは誰がアップしたのかと言い合ったが、インターネットなので、発信者を特定することは難しかった。誰かが代理でアップしたのかもしれないし、本人がアップしたのかもしれない。ジョチさんは急いで、富士警察署に電話して、映像をアップした人物を特定できないか聞いてみた。

「いや、俺達も、今解析しているし、犯行を実行した生徒たちからも話を聞いているが、何でも、動画を取る役と言うのがいたらしいんだ。それが誰なのか、と聞いてみると、彼女たちは話そうとしない。それでは俺達も手も足も出ないよ。」

と富士警察署の刑事の華岡は、電話の奥でそう話している。全く警察もいざというときには役にたちませんねとジョチさんは言ったのであるが、

「ごめんごめん。俺達も、一生懸命調べてるんだけど、どうしても結果が出てこないんだよ。まあ、早く解決してほしいっていう理事長さんの気持ちもわかるけど、でも、俺達ができることは限られているのでね。」

と、華岡はそういうのだった。

「それでも犠牲者が出ているのですし、加害者も精神錯乱状態になった人物がいるのですから、早く真実を明らかにしてあげないと困ります。」

ジョチさんは、そう言うが、華岡はごめんごめんと謝るばかりであった。それと同時に、電話の奥で、なにか喋っている声が聞こえてくる。それが何なのかジョチさんにはよくわからなかったが、華岡が、こういうことを話していることは聞き取れた。

「あのねえ。動画は、大石みゆきという人物のスマートフォンから発信されたらしいぞ。その人は、、、。」

あとは何を言っているのかわからない状態で、華岡の電話は切れてしまった。

「大石みゆき。」

と、杉ちゃんとジョチさんは顔を見合わせた。

「つまり大石敬子さんの血縁者かなあ?」

「ええ、その可能性はありますね。」

ジョチさんもすぐ言った。

「ということは、彼女たちに、犯行をさせるようにしたのは大石みゆきという人なのかなあ?」

と、杉ちゃんが言うと、

「おそらく、復讐するように、彼女たちをマインドコントロールでもしたんじゃないですか?」

ジョチさんは、すぐに言った。そして、インターネットで、大石みゆきと検索してみると、大石みゆきさんは、高校生の勉強を補助する支援員のような仕事をしていることがわかった。

「ということはですよ。大石敬子さんを含め、あの5人の女性たちは、大石みゆきさんに勉強を教えてもらうとか、なにかしていたのではないでしょうか。支援員を雇うというのは、今どきであれば、どこの学校でもすることですから。それに、慢性的な人手不足でもありますし。」

ジョチさんは、スマートフォンで調べながらそういうことを言った。

「そういうことなら、辻褄合うな。学校の先生なんて、当てにならないとはっきりわかっている吉永高校で、生徒が担任教師を頼りにすると思えないし。そういう支援員に頼るようになるのも、不思議なことじゃないよね。だから、その血縁者の敬子さんが、三重塔から転落したとき、みんな真蛇になってしまったんじゃないかな?」

杉ちゃんがジョチさんに付け加えた。

「杉ちゃんの言う通りになってきましたね。やはり、大石みゆきという女性が、生徒さんたちをマインドコントロールして、今回の事件を起こさせた。もしかしたら、あの生徒さんたち、里中陽子さんを始めとして、みんなマインドコントロールされたことに、気がついてないかもしれないですよ。それが、一番怖いところですよ。」

ジョチさんはそう言って、静かにスマートフォンをおいた。

もちろん、杉ちゃんたちは、警察の人間でもないのだし、教育関係者でもないので、その人に直接会いに行くことはできない。だから、議論し合うしかできないのが虚しかった。いくら議論しても、最終的には、華岡たちに任せるしかないのだ。

すると、杉ちゃんのスマートフォンがなった。何だと思ったら影浦先生からだった。先日入院した、里中陽子さんが、本当のことを話すので、杉ちゃんたちに会いたいと言っているという。本当なら、水穂さんを連れてきてほしいと彼女は希望しているようであるが、それはできないので、杉ちゃんとジョチさんが行くことになった。

杉ちゃんとジョチさんが、病院に行くと、面会室というところに通された。里中陽子さんが、椅子に座っていたが、周りには6人の看護師と影浦先生が彼女を取り囲んでいた。まだ自傷するおそれがあるが、今回は特別だという。

「それでは、里中さん。あのような事件を、起こすようにというのは、誰に言われてしたことなのですか?」

ジョチさんは単刀直入に聞いた。

「ええ。彼女、大石敬子さんのお母さん。大石みゆきさんです。」

と、里中さんはいう。

「でも、それは警察には言わないで上げてください。あくまでもあの事件は、あたしたちが、やったことですから。ただ、敬子を、ああいうふうにしてしまった、羽田珠代がどうしても許せなかった。それだけのことですから。」

「そうなんだが、でも、本当のことを明らかにしないとさ。いつまでたっても前に進まないんだよ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「前ってなんですか。本当にもう大人って変なことばっかり言うんですね。敬子さんもそうだし、敬子さんのお母さんだって可哀想ですよ。皆さん考えたことありますか?誰も仲間がいないっていう世界を。誰も仲間がいないばかりか、共感してくれる人すらないんですよ。その寂しさは、計り知れないですよ。それを、考えたことはお有りですか?」

里中さんは、そういった。

「わかりました。きっと水穂さんだったらそういうこともわかるかもしれません。彼も、事情があって、どこにも仲間がいないって言ってましたから。でもね、あいにく容態が良くなくて、ここへ連れてくることはできなかったんですよ。それは、ごめんなさい。」

ジョチさんがそう言うと、里中さんは表情をすぐ変えた。

「それでは、。水穂さんは、私の事を、つらい思いをしたうえで聞いてくれたんですか?」

「ええ。そういうことですよね。だから、いつでも寂しいそうです。それは、きっと

敬子さんだって同じことだったんじゃないでしょうか?」

ジョチさんがそう言うと、里中陽子さんは、小さな声でこういった。

「敬子さんのお母さん、こういってました。子どもをなくしたことのない人間に、子どもをなくした悲しみがどうしてわかるか、と。だからあたしたちは、羽田珠代をああするしかないと思ったんです。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三重塔 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る