変身洗濯機

帆尊歩

第1話 怪しいセールスマン

「これは?」と俺は怪しいセールスマンに尋ねた。こいつが今日のカモだ。

「これが本日おすすめしたい、当社イチオシの商品でございます」

「何ですか?」どう見ても洗濯機にしか見えない。イヤ違うか、洗濯機の形はしているが、十センチ四方くらいの大きさで、とても洗濯が出来るようには見えない。

「言うなれば変身するための洗濯機ですよ」と男は言った。

「変身?」

「そうです。人は皆さん様々な記憶をもっています。その中には後悔もあるでしょう。良い思い出もあるでしょう。そして記憶は積み重なります。積み重なった記憶であなたという人間は形成されて行きます。ではその記憶を洗濯出来たら」

「ああ記憶を選択をし直すと言う事ですか?」

「いえ洗濯です」

「洗濯?」怪しい、あまりに怪しい。と言うか人を騙すならもう少し騙し方があるだろう。まあそれだけこの男がカモということなんだけれど、男は説明を続ける。

「例えば、一つの事象があったとします。それは取るに足らないことでしょう。でも繊細な方にとって、それはとても心に響くことだったとします。では同じ事象で、心に響く人と響かない人、何が違うと思いますか」

「さあ」

「汚れです」

「汚れ。心が汚れているという事ですか?」まあオレの心は汚れているが

「ちょっと違います。心に靄がかかっていると言うのが一番ただしい」

「では繊細な人というのは、その靄がかかっていない人と言う事ですか」

「おお、飲み込みが早いですね。そうです。この機械はその靄を綺麗にしてくれる機械なんです。あなたは変身できる」

「何に変身するんですか?」

「心の靄のかかっていない。純粋なあなたに変身するんです」

「なるほど、それは素晴らしい」ここは話を合わせる。

「心を洗濯して、新たな自分に変身しませんか?今ならたったの1万円」

「素晴らしい。でもその機械を持って帰るのはちょっと」

「いえ、これはサービス用の機械で、今回はサービスの提供でこの機械自体をお売りするという物ではございません。そもそもこの機械は、定価一億円ですので」

「なるほどそういうことですか」全く本当に人を騙すならもう少しわかり易い物にしろよ。あまりに稚拙で、詐欺とはどういう物か教えてやりたいくらいだ。

「分かっていただけましたか?」

「はい、ですか本当にそういう効果があるのか」

「ごもっともです」

「興味はあるんですが」

「では、騙されたつもりでやって見てください」

「騙されたつもりで、一万はきついですね」

「じゃあ、後で、ご満足いただけたら払ってください」

「いや、それでも・・・。では一万いただけますか。満足出来なければお返ししますよ。満足したら、2万払います」

「いや。お金を払って、使ってもらうのは、セールスマンのプライドが」

「そうですか、じゃあそういうことで」と言ってオレは席を立った。

「待って、待って、待って」怪しいセールスマンは立ち上がったオレの腕をつかみ、すがるような目でオレを見上げる。

「分かりましたよ」

「必ず払ってくださいよ」

「だから満足したらね」とは言ったけれど、誰が金なんか払うか、オレを誰だと思っているんだ。人を騙すオレこそが詐欺セールスマンなのに、そのオレを騙すなんて、百年早いんだよ。

男は小さな洗濯機から、電極とイヤホーンをだしてオレにつけた。

今回は楽な仕事だ。

そもそも騙してもいない、みんなこんな奴だったら、俺の仕事は、本当に楽なのになとオレは思った。


イヤホーンからは波の音が聞こえた。

そして電極からは微弱な刺激が、印象は痛くもかゆくもないと言う感じ。小さな洗濯機からは、小さなうなり声が聞こえていた。

一分後、小さなうなり声は止まった。

なにも変わっていない。これで一万ゲット。

「終わりました。いかがでしたか」男がイヤホーンと電極を外したら、オレの目から涙がこぼれた。世界はキラキラと美しく、心は研ぎ澄まされ、まわりの人の心がなだれ込んでくる。ああなんて世界は純粋で無垢なんだろう。それなのに今までのオレは、人々をだまし、それによってその人達がどんなに辛く悲しい思いをしていたか。分かっていたはずなのに、なんにもにしていなかった。そして目の前のセースルマンだ。こんなくだらない物を真面目に売る。そんな苦行に耐えて、よくやって来た。その思いに、けなげさにオレは感動した。君はなんて素晴らしいんだ。よく頑張った。ここが喫茶店でなかったらオレはこの営業マンを抱きしめていただろう。代わりに堅く手を握り、今もっている手持ちの全財産。四万三千二百八十五円をこの男に渡した。

「ありがとうございます。ご満足いただけたようで」

「ああ、素晴らしかった。凄いよ」

「では、私はこれにて」

「ああ。ありがとう」そしてオレは十分後、変な冷静さで、辺りを見渡した。そこのあのセールスマンはもういなかった。

「あれ?」とオレは声にだして、首をかしげた。

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変身洗濯機 帆尊歩 @hosonayumu

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